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吉原はこんな所でございました: 廓の女たちの昭和史

数多くの文学・芸術に大きな影響を与えた吉原遊廓。 1617年、幕府公認の遊里として現在の日本橋人形町付近に開設され、 振袖大火で浅草近郊に移転し1958年の売春防止法施行まで京都の嶋原、 大阪の新町と並ぶ「日本三大遊廓」の一つ、しいては日本を代表する遊廓として名を轟かせました。

 吉原遊廓に関する資料、研究書は主に江戸時代を取り上げられていますが近現代の吉原の様子を記された書物の一つが『吉原はこんな所でございました: 廓の女たちの昭和史』です。

『吉原はこんな所でございました』の著者・福田利子は最後まで残った引手茶屋「松葉屋」の女将で大正から平成にかけて吉原遊廓の変遷を見てきました。

感想を申します。近現代の吉原遊廓を経営者の視点で書いており当時の様子が伺えます。しかし遊女たちの声は聞こえてきません。自分のしてきたことが正しく、人身売買を批判する人は「悪」だと言う風に捉えています。楼主(妓楼経営者)と同じく典型的な遊廓経営側の人間であることがわかります。

福田利子は幼少期、「松葉屋」の養女となり後継者として育てられ遊廓の様子を観察しながら成長し引手茶屋の女将として戦後の吉原を生きていきました。

はとバス夜のコースで人気を博した松葉屋は1998年、惜しまれながら閉店。閉店する際、吉原の源流といえる嶋原・輪違屋へ挨拶に来たのは感慨を覚えます。江戸、日本一誇る吉原遊廓は嶋原には頭が上がりませんでした。そして福田利子は2005年、死去しました。

※ 2023. 10. 30 追記
※ 2023. 11.  3 追記、リンク追加

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