#親友との別れ 今は乗り越えられなくても、また会えると信じてる。
突然ですが、大人になってから新しい友だちを作るのは簡単なことではありませんよね。
職場で素敵な人に出会っても、職場を離れて、子どもの頃のように当たり前に一緒に遊んだり、時間を共有する環境ってなかなか難しい。
同僚関係を超えて友人になっても、学生時代からの親友たちのように、あなたのために泣き、あなたのために笑い、あなたのために喜んで、あなたを思い叱ってくれる存在・・・
でも時には起こるんですよね、常識を覆す奇跡。
約6年間勤めた日系商社・営業職を退職し、31歳で初めての外資系メーカー・営業職に転職しました。
日系→外資系、商社→メーカー、唯一の女性営業とで、仕事のやり方、上司との付き合い方、頑張りたいプレッシャーが募り最初はとても辛かったです。
新しい商品を覚え、新しいお客様を訪ね、がむしゃらにイベントをこなして6か月が過ぎたころ、社を挙げて取り組む一大プロジェクトのために大阪支店から東京本社へ人事異動になって来たのがジョナサンでした。
これが初めてジョナサンとしっかり話した初めての機会でしたね。
最初ジョナサンのイギリス南部訛りの英語が難しくて聞き取れなくて。笑 私のつたない英語もあってお互い何度も聞き返しあって、スムーズな会話ではなかったはずなのに、この時なんかピーンときたんです。「あ、波長が合う。」
家に帰って真っ先に旦那さんに伝えました。「今日大阪から来たジョナサンと話したよ!イギリスの出身なんだって、一緒だね!めっちゃいい人だと思うんだ。今度会ってみてほしい。」
その2日後くらいにジョナサンが「東京の引越し先決めたよ、〇〇にした。」って、決めた先!まさかうちから歩いて10分のマンション。笑
「ご近所さんだよー嬉しい!歓迎会しよ!」
今思えば、これも絶対運命だった。
月島もんじゃ屋さんでの歓迎会。
「ジョナサン日本食なんでも好きって言ってたけど、もんじゃなんて食べられるかな?(ちょっと見た目があれじゃないですか。笑)」なんて心配をよそに、生ビールともんじゃとじゃがバター焼きを満喫。うちの旦那様もみんな一緒。二軒目のウィスキーバーで日本のウィスキーをさらに満喫。三軒目のカラオケでボブ・マーリーのStir it Upを歌うレゲェ好きなあなたと旦那様のイギリス人タックは面白すぎました、お酒強すぎるやん。エンドレス生ビール。
旦那様も帰り道、「ジョナサン、ポジティブでリラックスでいいやつだね。」と太鼓判頂きました。第一印象で感じた直感は間違ってなかった。
それから家族ぐるみで距離が縮まるまで、まったく時間がかからなかった、本当に嘘みたいです。
うちの旦那様の誕生日会、誰も知り合いがいないのに来てくれて、3次会朝4時までお付き合いありがとうございました。
六本木Bauhouseでロックライブコンサート!エアーギターきめてる写真、大切にとってあります。
3ヶ月後にはジョナサンの奥様アンジーも来日して、毎週のようにみんなでお出かけ。東京モーターショー行ったり、BBQしたり、BBQしたり、またBauhouseでお誕生日会!朝方までロックンロール!
極めつけは、社長と六本木で朝4時までカラオケ大会!12時間飲んでたよ、嘘みたいな本当の話。みんな若くないのに80’sみたいなハットかぶって、ジャンプして、Barbie girl踊って、何杯ショット飲んだか数えるのが恐ろしい。笑
ラグビーワールドカップ2019、毎週末スポーツバーのテラスで大きな声援を送りました!ふたりがいなかったらあんなに楽しめなかった。間違いない!
クリスマスディナー、インディアンカレーパーティー、スペイン会、数えきれない会社の飲み会もみんなと話したあと、なんかジョナサンの隣に戻ってた。そして千鳥足で一緒に家に帰ってた。振り返ってみるとシラフで遊んだこと、会社の飲み会以外なかった。笑
2・3日に一度オフィスで顔を合わせたときのスモールトークが、私は大好きだった。「週末何してたの~?」「家の近くでVWのカルマンギアみたよ!見てみて~」「ハルミチーズ見つけたよ!あそこのKALDIだよ!」何気ない時間を一緒に過ごせるってすごく大切な友人だと思う。
そしてジョナサンはいつもポジティブだった。楽観的なんじゃなくて、彼の前向きさがみんなを前向きにさせてくれる。
どんなに仕事で嫌なことがあっても、日本の文化の違いにイライラたまってても、お得意のジョークで笑かしてくる、場をたくさん和ませてくれた。
本当に、ジョークほど日本語に翻訳難しいものないよね。だって翻訳するとなんかおもしろさが伝えられないんだもん。
お客様も同僚たちもジョナサンの事大好きだったし、尊敬していた。
ジョナサンの口癖があった。「ハッピーデイズ!」私はこの言葉が大好きだし、それを聞くだけでいつも笑顔になれた。
旦那様が言うには、イギリス南部の方でよく使われるらしいけど、私にとってはジョナサンの名言でしかない。
一番大切なお客様の仕様でどうしてもわからなくて、会社の誰もわからなくてお手上げで、泣きそうになりながら調べまくっているときも、ジョナサンだけが最後までイギリスチームに聞いてくれたり、世界中の情報を調べてくれた。最高のテクニシャン!
そして素敵な人の周りには、必ず素敵な人が集まってくる。奥様のアンジーも知的で頭の回転が速くて、誰にでも優しい天使の心を持つ素敵な方だった。
来日してゆっくりした日を過ごすと思いきや、2週間でボランティアの仕事を自分でみつけて頑張っていた。そのバイタリティーはすごい。2人の息子を成人させた料理の腕前と手際の良さは憧れでしかない。チキンの赤ワイン煮込みとフォンダンショコラ(日本の3倍サイズ)が忘れられない。いつも笑顔で、スウィートで、裏表がなく
スコーンにのせるコッテージクリームとジャムどちらを先に塗るのが正統派か言い争う二人は、いつまでもわたしたちの憧れのカップルです。
二人がそばにいてくれて心強かったのは、私だけじゃない。イギリス出身の旦那様にとって、家族と離れて日本語もまだ勉強中、日本文化もまだまだ不思議がいっぱいの暮らしの中で、同郷の素敵なふたりがそばにいたくれることほど励みになったことはないと思います。家族のようになんでも話し、親友のようにバカをして心から楽しめる二人の存在は、私たちカップルにとってとてもかけがえのない存在でした。
ジョナサンの日本任期は1年の予定だったんだけれど、彼の技術と厚い人望で3年9か月まで延長、延長勤務でした。本当に本当に、最後までお疲れ様でした。
イギリスでの家族との生活、キャリア、日本で教えられることをやりきった彼は、イギリスに帰国する決断をしました。
親友の新しい人生のスタートの決断はとっても誇らしい気持ちでいっぱいですし、応援してやみません。
長い間イギリスの息子さんたち、親戚、友人と離れて暮らし、見逃してしまったイベントも、これからは参加できますね。
それでも、見送る日が近づくにつれて、別れの辛さが心に重たくのしかかります。
出会いがあれば別れもあります。頭ではわかっているんです。でも、別れには痛みが伴うんです。一緒に過ごした時間や思い出が深ければ深いほど、辛さも増します。
あんなに楽しかった週末の飲み会も、もう今まで見たく一緒にできないんだ。
冒頭にも書いた通り、大人になってから出会う親友なんてめったになくて、本当に神様がくれた奇跡だと思っています。
第一印象でピーンときたあの直感を今でも忘れられません。
なにより物理的距離ができることで、心も離れ離れになってしまうようで悲しかった。
にじむ涙をこらえきれず、夜な夜なベッドでしくしく泣いてしまいました。
お見送り当日、羽田空港。早めに着いてカフェしてたら、まさか反対側の窓にジョナサンたちが歩いてきた。笑
神様、最後まで素敵な奇跡の連続をありがとう!!
ジョン、アンジー、息子のブランドンと、日本の娘のような存在の晶子さん、晶子さんのめいっこさんとみんなで最後の別れです。
「これでさよならじゃなくて、これからも連絡取ろうね。また会おうね。またみんなで飲もうね。イギリス行ったら絶対会いに行くからね。本当に本当にたくさんありがとう。ジョナサンと出会えて本当に幸せだった。あなたがいなかったら私は仕事を乗り切れなかったし、あなたがいたから本気でやりがいがある仕事を見つけられたと思う。二人の新しい人生のスタートをいつも応援してるよ!・・・寂しいっっ!!」
アンジーが涙ぐむたびにみんな必死に笑わせる。「泣いたら罰金1,000円だよ!それでみんなで飲みに行こう!」
「アンジー、カートは僕が(うちの旦那)押すからどいて。女性ドライバーの事故率のが高いからね!(差別ではなくてイギリスジョークです)。」
アンジーにすかさずはたかれてました。笑
みんなで写真を撮って、たくさんハグをして、今度はイギリスでつぶれるまで飲む約束をして、3人がゲートを超えて見えなくなるまで見送りました。
泣かなかった、でも、私も旦那様も涙がにじんでいました。マスクしててよかった。
家に帰宅してからわんわん泣きました。そして旦那さんとたくさん話しました。
これが最後の別れじゃなくて、また会えるから。また会いに行くためにお仕事頑張って稼いで、たくさん会いに行こう!これが今私が言える精いっぱいの頑張りです。
つらつらと想いを書いてしまいました。。。書くことで気持ちを消化したかったです。
P.S ジョナサン、アンジー、ブランドン、無事にイギリスのお家についていますか。東京の空は3人が旅立ってからずっと雨模様です、きっと別れが寂しくて空も泣いているのかもしれません。Happy Days!