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気づきを育てるリトリート 2023年

浦崎雅代さんのオンライン・コミュニティで開催されたリトリートでのご法話・Q&Aのリンクをまとめました。(下線部分が各話へのリンクになっています。)
とても勉強になるお話ばかりなので、少しずつ追加していきます!


2023年5月2日 朝   スティサート師リトリート中の説法~お話と日本の方からの質疑に応えて

(1)今日初めて瞑想修行をするかのように
          毎回初心にかえる、比較する心・期待を手放す

(2)サティと、体と、心
          純粋に・新鮮に味わう、そうなっていることをただただ知る

(3)手だけに集中?! 足だけに集中?! おしりだけに集中?!
          部分にくっつかず、リラックスして、全体的に知る

(4)その気づきは、偏りなき気づきであるか?
        「2つめ」に鍛えるポイント、気づいても「怒り」が消えない時は...

(5)お話のメモを取ってもいいですか?
        マイペンライ(大丈夫)、実際に瞑想実践をどんどんやっていくと...

(6)サティと心は同じものでしょうか?それとも違うものでしょうか?
        心には「飾り立てられるもの」がある、それを知る、見る役割が...

(7)幸せが生じて好きだ!と感じる人、幸せが生じて嫌だ!と感じる人
        「偏って」知ることに気づくこと、一生懸命過ぎて圧迫になる集中状態

(8)瞑想指導法の3つのタイプ
        いろいろな指導法があることを理解、修行者の状態により使い分けも

(9)ネットで情報を見て怒りや悲しみが起こった時、どのように瞑想実践すればいいのでしょうか?
        はまりこんじゃった時に戻ってくる練習法、なでなでパワー

(10)体に痛みが生じた時、痛みと生じてくる思考のどちらを観ればいいのでしょうか?
        どちらか片方だけを観ようとしてもそれは思い通りにならない、気づきの「柱」を別に立てる方法

(11)ただ知る、というのは八正道の正見にあたりますか?
        第4段階のサマーティの状態、サティとウベカー(捨)、客観的な第三者、在家でも大丈夫

(12)お坊様は出家を決断しただけでも、煩悩の半分はなくなっているのでは?
        人により出家の目的は違う、自分自身の心を鍛えるという覚悟、私たちの心はすぐに変化

(13)なぜ、心を鍛えないといけないのでしょうか?
        仏教の修行の形でなくても苦しみを減らす方法はあるが、仏教の理解が深まってくると自分を観る見方が変わってくる

(14)「この私」がある見方での知恵、「この私」がない観方での智慧
        はじめは「この私がある」ということからスタート、観る力・知る力をつけていくと「この私はない」がはっきりとわかる

(15)「ただただ知る」というのは、五蘊(ごうん)がひとつひとつ観れるということを言うのでしょうか?
        今ここで生じている自分自身のフィルター(心に生じていること)に気づきを合わせていくことがまずは大切

(16)自分の経験もまた、仮なるものである
        見るべきは、他人ではなく、自分自身の心に今生じていること、ウベカー(捨)を思い出す

(17終)型のある瞑想は、タムキット・タムチットを共に鍛えられる
        あ、今はまり込んだな。よし大丈夫だ、またここから始めよう!と再びスタートしていきましょう

2023年5月2日午後 スティサート師リトリート中の説法~2日目午後の質疑応答

(1)いつも一人で瞑想しているので、皆との瞑想ははじめてで気が散ってしまいます
  「一人で瞑想している時の状態」「みんなで瞑想した時の状態」、このどちらも知る

(2)体の不快さを感じて、すぐに動いちゃったり姿勢を変えてしまいます
   疲れや痛みそのものを観る機会、疲れや痛みと共にいる時間(そのとき心はどのようになっているのかな)

(3)生じてくる不快さとほんの少し共に居てみよう
   不快さとともに居てみる練習は、この先の苦しみを受け入れる練習にもなっていく

(4)恩師カムキエン師の最期の姿に学ぶ
   その身で自らの死を迎える時でさえ心苦しむことなく迎えることができますよ、と、示してくださった

(5終)苦しみを観て苦しみの原因はこれだろう、と思うのは思考です
か?

   苦しみが観えたことからくるものなのか、頭で考えて納得しようとしているものなのか

2023年5月2日夜の説法 スティサート師リトリート中の説法~体を知り、心を知って、不放逸であれ

(1)自分自身を知ることは、修行なのです

  名前、業績、体験...、それらはすべて「仮なるもの」、過去のもの。
自分自身の体と心に本当に生じていることを知る、理解するとは。

(2)今自分は健康だから大丈夫、それは放逸

  「自分自身を知るとは」―カンポンさんの例から。
  自分の体をよく観察すると観えてくるもの

(3)自分自身の心はこれまで、どのようなことに慣れ親しんできているのか

  「自分自身の性格や特性を知る」―自分自身の反応(心・体)にしっかりと気づきを間に合わせる

(4)自分自身の心から自由になっていく

  同じような心の状態(感情や思考)が出てきたときに、自分の心の傾向がわかってくる
  蚊にかまれたときの例え―はまりこみから抜け出る方法

(5)はまり込んだと気づいた瞬間は、気づいている

  瞬間でも気づきが生じていれば、その思考や感情は長続きしなくなる
  ご法話の途中での、大声の例え

(6)ゾンビのような修行者になっていないか

  目覚めるということ。水に潜ったときの苦しさの例え
  体を通しての目覚め

(7)無明からの目覚め

  体の目覚め、心の目覚め(思考や感情からの目覚め)
  そして、無明からの目覚めとは...

(8)思考を禁じることはできないけれど、思考を続けるかどうかは選択できる

  「私だ、私のものだと、つかまないようにする」

(9)生じたことをすぐに受け取ることもせずすぐに拒否することもしない

  知るということは、ただ知るということ―試験問題のたとえ
  自分自身を知ると、他者へのまなざしが変わってくる

(10終)良いことを他人に伝えたい!が上手くいかない方へ

  まずは自分自身が学び、自分自身に大きなメリットがあることを実践していく
  苦しみの少ない人の周りには自然に人が集まってくる

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