「幸せになりたい」と「思い通りにいかない」
「幸せになりたい」という願いを、皆が持っている…その一方で、それが「思い通りにいかないことがある」という、厳しい現実。ここからパイサーン師のお話が始まります。
(このnoteは、2020年11月15日更新分の浦崎雅代さんのnote 『苦しみを減らし、気づきを育てる人生へ~ブッダに学ぶ心のリスクマネジメント~』パイサーン師ZOOMで説法(11月8日)全文書き起こし の感想です。)
「欲しいものが思い通りに手に入らない」というのは、本当に、この一瞬、一瞬のことにすら、色々と現れてくるなあ、と感じます。
例えば、今、私はこの文章をパソコンのキーボードで打っているのですが、この数行を打つだけでも幾つかミスタイピングがあったり、変換ミスを訂正したりしています。また、次に書く文章がなかなか思いつかなかったりもしています。
そうすると、
「(私が本気を出して、完璧な条件にいたら)もっと素晴らしい文章をスラスラ、タイプミスも無く、ちゃんと打てるハズなのに…キーボードが古くて、お昼ご飯が炭水化物過剰で、座布団がぺちゃんこで背中やお尻が痛いから集中できなくて、頭が働かなくて、期待したような完璧な仕事ができない…いやだなあ」
なあんて、頭の中に次々とネガティブな気持ちが浮かんできたりします。
いやむしろ、無尽蔵に楽々、なんの努力をしないでも泉のように、このネガティブちゃん、「思い通りに手に入らない」という心は沸き出てきます。
「こういうふうになったらいいのになあ」という期待の気持ちも同じです。何かを行うたび、太平洋の波のように、一時も休むことなく、心の浜辺に打ち寄せてきます。
そしてその範囲は無限大。自分自身に対する期待、人に対する期待、物に対する期待、社会に対する期待、天候に対する期待…自分の周り、すべてに対して、何らかの「期待」を持ちがちなのです。耐用年数をはるかに超え、時折 不思議な音がする洗濯機にすら「あと2年はがんばって欲しい」と願ったり、ほぼほぼ直接には関係ない他の国の選挙にまで「○○氏が勝利するといいな」と勝手な期待をもったりしてしまいます。
また、ささいな事ならともかく、自分が大切にしているもの、大きな価値を見いだしているもの、力を入れて取り組んでいるものが、思い通りにならないとすると、がっかり落ち込む程度も甚大です。
そうした、「欲しいものが思い通りに手に入らない」ということから、いったいどうやったら、逃れられるんだろう???――と、普通、思いますよね?
しかし、パイサーン師は「直面し、失望することを逃れることはできないのです」と、これまた、一見すると辛い言葉でぴしゃりとおっしゃります。
でも、この「直面し、失望する」――この超厳しい現実を知ることが、キーポイントになるのかな、と感じました。失望から「逃れられない」ことも、肝に銘じておきたいです。
今日のところは、思わず「うぐぐ」と声が出そうな、色々な「思い通りにしようとしても思い通りにならない」ことたちに、しっかり「直面」&「失望」しておきたいです。現実の自分・問題・障害――目をそらしても逃れられない「現実」に。
さて、お話はどう続いていくのでしょうか?次回が楽しみです!