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相模原の民俗学研究者・鈴木重光と澤田四郎作―澤田四郎作の日記(大正15年)を読む③

 先日投稿した記事で、神奈川県相模原の民俗学研究者・鈴木重光は柳田国男と深い交流があったことを紹介した。鈴木は柳田以外にも様々な民俗学関係者と交流があったようだ。例えば、澤田四郎作とも交流があり、澤田と鈴木の間に書簡のやり取りがあったことは、大正15年から昭和2年までの澤田の日記にも書かれている。(注1)

 鈴木と澤田の間にはどのような交流があったのだろうか?ウェブで閲覧できる鈴木重光の著作目録を確認してみると、澤田の発行していた雑誌『Phallus Kultus(ファルス・クルツス)』に鈴木が投稿していたことが分かった。この著作目録によると、鈴木は大正15年3月発行(注2)の『Phallus Kultus』12号に「相州津久井郡北部の道祖神」をはじめて投稿している。その後も鈴木はこの澤田の雑誌の第13, 14号にも投稿した。大正15年から昭和2年までの澤田の日記は10月からなので、残念ながらこのあたりの経緯は日記には書かれていない。

 では、鈴木と澤田の交流はいつごろから始まったのだろうか?両者の間の交流は澤田と知り合う前から始まっていた可能性が高い。『柳田國男全集』別巻1(筑摩書房, 2019年)の年譜に澤田が初めて登場するのが、私が確認した限りでは大正15年4月1日の柳田が澤田宛てに「「神隠し」の報告の葉書を書く」という記述である。鈴木は前述のように大正15年3月発行の『Phallus Kultus』12号に投稿していることから、この雑誌の発行年月の前から澤田と交流があったことが分かる。また、澤田の年譜には、大正14年に「『神奈川県津久井郡内郷村地方道祖神調査録』原稿のまま一冊にまとめて製本(未印刷)」とあり、この時期に澤田が道祖神の調査のため鈴木が住んでいる内郷村を訪問したと推測される。鈴木の著作目録の解題によると、鈴木は道祖神に大きな関心を持っており、澤田と共通の関心があったようだ。両者の交流は澤田のこの調査の前からあったかどうかは分からないが、澤田と柳田の交流が始まる前からあった可能性が高いと思われる。

 ここで重要だと思われるのは、澤田の民俗学関係の人間関係は柳田や渋沢敬三と出会う以前から形成されたものもあり、それは意外と広かったのではないかということである。澤田の年譜から、初期の澤田は道祖神や柳田が意図的に避けたような性に関する民俗に対して関心を持っていたことが分かるが、これらの関心を媒介にして共通の関心を持った人々へ関係性が広がっていったのではないかと推測できる。澤田は柳田や渋沢と深い交流があったため、どうしてもそこに目が行きがちになるが、澤田の人間関係はそこだけでなく多方面に広がっていたということに、澤田と鈴木の交流は気づかせてくれる。また、この澤田の「柳田以前」の交流は、柳田とは無関係に当時広がっていた民俗学関連の動向のひとつの事例でもあり、民俗学の歴史に関しても考えるきっかけとなるだろう。

 ところで、鈴木は澤田の編集していた『Phallus Kultus』以外にも多くの雑誌に投稿していたことが鈴木の著作目録から分かる。以下に、鈴木が論文を投稿していた主な雑誌を紹介したい。

『土俗と伝説』
『民族』
『武蔵野』
『土の香』(愛知、加賀紫水編集、土俗趣味社)
『民俗芸術』
『旅と伝説』
『郷土研究』
『いなか』(大阪、横井照秀編集、住吉土俗研究会)
『百人一趣』下巻

有名な雑誌から一部にしか流通していなかった雑誌もある。興味深いのは、鈴木が『土の香』(愛知)、『いなか』(大阪)という神奈川から離れた地域で発行されていた雑誌に鈴木が投稿していることである。これは、以下の記事でも紹介しているような地方の民俗学関係者同士の交流があり、その一例であることが分かる。

当時はこのような地方間の民俗学研究者の間に積極的な交流があったことは鈴木の論文の投稿範囲からも伺える。

 以下のウェブページより閲覧できる論文「資料紹介 柳田国男関係資料について」によると、鈴木は郵便物の受信や発信の履歴を管理したリストを作成しており、このリストも残っている。論文中では、このリストを利用して鈴木と柳田の交流が検討されていたが、このリストには他の人物との交流も記録されているようだ。このリストを調べることで、鈴木と各地方の民俗学研究者の間の交流の詳細が分かるのではないかと考えている。私が言うまでもなく進められているかもしれないが、このことに関して資料を所蔵している相模原市立博物館に相談してみてもおもしろいかもしれない。

(注1)澤田の日記は以下のウェブページで閲覧可能。

(注2)鈴木の著作目録では『Phallus Kultus』12号の発行が大正15年2月と記載されているが、今回は澤田四郎作の年譜を参考にして発行を大正15年3月とした。上記のウェブページより澤田の年譜も閲覧可能。


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