『柳田國男全集』の年譜のスキマ④―関西旅行の空白を埋める
前回の更新から大分時間が経過してしまったが、重箱の隅をつつく下記のシリーズの続きである。
『柳田國男全集 別巻1 年譜』によると、1949年5月26日から6月3日にかけて、朝日新聞社の文化講座の講師として関西各地をまわっている。年譜には、この旅程の詳細が記載されているが、5月27日と6月2日の日程が空白になっている。
5月27日に関しては、『宮本常一写真・日記集成 別巻』によると、同日の宮本の日記と以下のように書かれている。
1949年5月27日(金)・・・鳳。上六→心斎橋 5月27日。金。11時上六へ行き、沢田、錦氏と先生を待つ。11時すぎ長谷川如是閑氏と共に柳田先生来る。色々はなして先生は富雄の宿へ行かれる。(後略)
宮本が、この日大阪に到着する柳田を出迎えていたことが分かる。この日柳田は上六(大阪)から富雄(奈良)へ移動したようだ。
日記中に登場する「沢田」は大阪の民俗学研究者で大阪民俗談話会(後の近畿民俗学会)を組織した沢田四郎作だ。「錦氏」は、錦耕三のことであろう。『宮本常一著作集7』の「新版後書」によると、錦は大阪朝日新聞社につとめており、国学院大学で折口信夫のもとで学んでいたという。また、錦は、宮本の『日本の村』、『ふるさとの生活』という小中学生の社会科教育向けの本の出版に大きな貢献をした。
余談だが、5月29日に、柳田は奈良女子高等師範学校で講演しているが、宮本もこの講演を聴いている。『宮本常一写真・日記集成 別巻』の同日の日記によると、沢田も奈良を訪れていることから、おそらく沢田も柳田の講演を聴いたのだろう。ちなみに、沢田に関しては、最近日記の翻刻が進んでいるようだ。下記のウェブページでは、閲覧できる。
また、沢田に関する様々な記事が閲覧できるウェブページもある。
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