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斎藤昌三の『いもづる』同人だった伊崎等(日登志)について

 先日、都内某所で資料調査を行った際にその資料が伊崎等という人物の旧蔵書である可能性が高いことが分かった。この人物については聞いたことがなかったが、ぬりえ屋様がX上で伊崎についてパートナーの祖父が趣味人として知られていた西沢仙湖であると紹介しており、趣味関連の人物であることが分かった。確かに斎藤昌三『いもづる』には、第5巻第1号(1927年)以降『いもずる』同人として伊崎日登志という人物が名を連ねているので、伊崎等はおそらくこの人物であると思われる。ただ、伊崎の経歴はよく分からない。このような時に確認するトム・リバーフィールド様編・書物蔵様監修『昭和前期蒐書家リスト』(2019年)(注1)にも載っていないので、国会図書館デジコレと他の雑誌を確認してみたい。

 『第四版 満州紳士録』(満蒙資料協会、1943年)では、伊崎のことは以下のように紹介されている。

伊崎等 日本郵船(株)営口出張所長
【出生】明ニ五・五岐阜県御嵩町三七番戸
【本籍】同上
【学歴】大四年早大商科卒
【経歴】卒後直に入社康徳十年(筆者注:1943年)九月現職に就く
【住所】営口市大和区南本街四ノ五其出張所
(筆者により現代仮名遣いにあらためて読みやすいように改行した。)

 伊崎は日本郵船につとめていて1892年5月に岐阜県で誕生したということが分かった。しかしながら、この伊崎が『いもづる』同人と同一人物であることを確認する必要がある。伊崎は早稲田大学の卒業であることから『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』(早稲田大学校友会、1934年)を確認すると、この時期伊崎が日本郵船会社船客課に勤務しており、住所は「板橋区上坂橋町五ノ五六三一」であったことが分かる。ちなみに、この名簿はデジコレの検索で引っかからなかった。

 また、同時期に発行された『いもづる』第9巻第1号(1935年)も確認すると、『いもづる』同人として伊崎は「板橋 伊崎日登志」と紹介されている。第10巻第1号(1941年)には、伊崎の住所の詳細が載っており「板橋区上ノ根五六三一」となっている。『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』と住所表記は少し異なっているが、上記に経歴を引用した伊崎等は『いもづる』同人であった伊崎日登志と同一人物であるとみなして問題ないだろう。

 『いもづる』の総目次(『斎藤昌三編『おいら』→『いもづる』―郷土研究的趣味雑誌の1920~1941年』別巻(金沢文圃閣、2022年)に収録)で確認した限りでは、『いもづる』での伊崎の投稿は多くないが、以下に伊崎の投稿を記載したい。仕事(生業)が忙しくて原稿を書く時間があまりなかったのだろうか。

欧州綺譚 日登志生 第4巻第5号(1926年)
趣味往来 伊崎生(熱田丸) 第4巻第5号(1926年)
趣味といふ英語 日登志 第5巻第1号(1927年5月)
船客の話 日登志 第5巻第3号(1927年11月)

 また、伊崎は谷川要史(久米龍川)が発行していた雑誌『郷土風景』(注2)の第2巻第1号「郷土玩具号」(1933年)に「郷土玩具の宣伝的考察」という文章を投稿している。投稿時の伊崎の役職は「日本郵船株式会社 国際観光協会計画委員」と紹介されている。伊崎は斎藤をはじめ他の『いもづる』同人とどのような交流があったのだろうか。

(注1)この本の有用性については以下の記事を参照。

(注2)雑誌『郷土風景』とその発行者である谷川要史(久米龍川)については以下の記事でを参照。

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