謎の男・平澤哲雄の郵便趣味?
昨年末に国会図書館デジコレがリニューアルされて使い勝手が劇的に向上したというのは、個人的に昨年の重大ニュースの一つであった。特に収録されている資料の本文が全文検索に対応するようになり、次世代デジタルライブラリーと同じような使い方ができるようになったという点は、私のようなマイナー人物や雑誌を調べている方々にとっては朗報である。マイナー人物の情報はどこに何が書いてあるか分からないからだ。
私は数年前より南方熊楠周辺にいた謎の人物・平澤哲雄のことを調べているが、デジコレのような検索ツールの進化がある度に平澤について分かることが増えている。たとえば、次世代デジタルライブラリ―が使用できるようになった際に以下のようなことが分かった。
リニューアルされたデジコレを使用して調べていると、やはり平澤について新発見があった。今回紹介したいのは、平澤と郵便関連雑誌『郵便切手雑誌』の関係性である。平澤は、『郵便切手雑誌』第15、16号(1924年)に「端西郵便の印象」という文章を投稿している。上記の平澤の年譜でも紹介したように、この時期平澤は大阪毎日新聞の特派員としてヨーロッパに滞在していたので、その印象を述べた文章である。また、この雑誌の第32号(1926年)には、平澤について以下のような文章が掲載されている。
上記に紹介した私が作成した平澤の年譜から補足すると、平澤は1925年9月21日に亡くなっているが、この記事の筆者が遅れてその情報を知ったという状況であると思われる。この記事から得られた情報は以下の通りである。
①平澤が切手を蒐集していた。
②平澤は東神倉庫に勤務していた。
『日本全国諸会社役員録』(商業興信所、1910年)によると、東神倉庫は1909年に設立された会社で社長は三井元之助である。『人事興信録 第4版』(1915年)によれば、三井は三井物産の社長も勤めていた。以下の記事で紹介したように、永井荷風は平澤を三井物産の社員と述べているが、正しくは東神倉庫であったのかもしれない。
③北澤楽天と交流があった。
以下の記事で紹介したように、平澤の追悼会の発起人の一人が北澤であるが、平澤と接点があったことが分かった。平澤の妻であった吉村せい子は、『時事新報』に小説を投稿していたことがあるので、吉村経由で知り合ったのだろうか。
ところで、平澤が郵便関連の雑誌に投稿していたのは父である平澤三郎の影響があると思われる。三郎は埼玉県菖蒲郡の郵便局長を務めていたので、その人脈を活用して哲雄は郵便関係者と交流が生まれたのかもしれない。
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