2007年01月20日に書かれた北山コピー機物語

好評だったので、残っている日記から北山コピー機物語を探しまして、さらに掲載しておきます。またほかのエピソードを含め加筆も行い、電子書籍化しますので、気になった方はその日をお待ちください。(LESS北山)

98年夏。

西成を大きくぶち抜く国道の左側、玉出西のとあるビルを僕たちは「Cビル」と呼んでいた。

大学をでた僕はOA機器の販売メーカーに就職をして、研修後、住吉の営業所に配属された。任されたのは研修時に習ったような「アポイント」の取りかたも存在しなければ「社長室」もほとんど存在しないような町「西成」の3分の1の担当。1日に40件程度の会社を訪問し、特別に買ってもらった中古の自転車をこぎ回って毎日営業を繰り返す。

当時この業界は大きく分けて3つのメーカーが牛耳っていた。その一つは僕の務めたメーカーであるリコー。あとの2つは巨大会社のシェアを握るゼロックスとデジタルカメラやプリンター・カラーコピーで一気にシェアを拡大しているキャノンだった。だが業界図式はそんなに簡単なものではなく、シャープ、NTT、パナソニック、コニカ、ミノルタ、MITA、エプソンとどれもがみんなOA業界の勢力拡大を狙っていた。またそのメーカーものを扱う販売会社の争いも熾烈を極めており、シャープ一つとっても僕の地域では光通信を初めとする3つの販売会社が存在した。彼らは他販社の入れたシャープ機械を自社のシャープ機械に入れ替えたりする「共食い(業界用語・通常タブーとされる)」行為も辞さなかった。ともかく、この小さな町はいつも戒厳令下。あらゆる営業の車と人が所狭しと動き回っていた。

僕の元々の担当会社はおよそ800程度。そのシェアを他社に奪われることなく機械を入れ替えていくのは当然のこととした上で、所長からは他社機械の入っている会社を攻めることを強要されていた。ま、とはいってもなかなかそんな入れ替わりが起こるものでもない。

「Cビル」というのはキャノン販売がそのビルに入っている全ての会社を抑えている場所のこと。僕にとってはとてつもない要塞に見え、飛び込んでも飛び込んでも玉砕される辛い場所のひとつだった。

ある夏の日、いつものように「Cビル」をルートに入れていた僕はドアホンを1つ1つ鳴らし、面談できるかどうかのお伺いをたてていった。もちろんのこと、いつものように門前払いをくらっていく。ところが、ある1件で「中に入りなさい」とこれまでに一度もなかった反応をしてもらえることができた。

入る会社では僕は必ずOA機器の場所と機械をチェックする。見たところ、コピーはFaxと複合されたものでCanon製・経過年数3年程度、CV(月間の使う枚数のこと)は150程度。PCはWinの3.1でIBM製が2台、プリンターはCanonのインクジェットが一つ。どれもそんなに古くないな、と思いながら席に着いた。

そこは社会保険労務士の事務所。僕が面会した先生は60歳くらいの方だった。僕は一応OAフェアの話を持ちかけたが、どの機械も入れ替えることは不可能だということは大体を見渡して感じていた。恐らく時間潰しに僕を呼んだのだろう。そこで、途中で営業トークをやめ、相手の話にそれとなく入ってみることにした。だが先生の話は僕の予想を大きく上回る。

「そこの窓を開けてみてみ」
僕「何ですか?」
「ええからええから」
勧められるまま窓を開けると、心地よい風と玉出の公園が見えた。
僕「公園が見えますね」
「君はあそこでねっころがれへんねんな」
僕「は?」
「営業の人間はみんなあそこで昼寝してるねん、車もよく止まってるやろ」
僕「はぁ」
意図していることがあまり分からないので相手の反応を見ていた。
「つまりやな、君はさぼらへんのかな?」
思いがけない質問だった。何の禅問答だ?これは。
特に深く考えることもなく、僕は正直に答える。
僕「あそこじゃさぼりませんよ、うちの事務所が近くですからね」
「なるほど、そういうことか」
合点いった表情の初老の人は思いのほか喜んだ。

「いやあ、暇なのでいっつも外をみてるんやけど、この時間は昼寝する営業マンがいっぱいでな。いつも寝てるあの営業マン達の中の誰かじゃないかと期待して会うことにしたんや。」
僕「はぁ」
「そしたら全然見ない顔やったんでびっくりした。1週間に1回はドアホン鳴らしてなんやかんやとうるさく来てる君やのにや」
僕「うるさくてすいません」
「いやいや」

その後、「うちにはもう来なくていい、というか来るな、迷惑や」ときっぱり言われ、所長にも報告をした上で「Cビル」内のその事務所は僕のルートから外れた。そんなことは日常茶飯事なので、特に気にも留めなかったし、まだまだ周るところはいっぱいだ。自然僕の記憶からその事務所は忘れ去られていった。

一ヵ月後、営業所に一本の電話が入り、その事務所へのコピーファックスプリンター複合機の導入が決定した。僕はダメージC(業界用語、キャノン入れ替え時に使われる)をやったということで夕方に盛大な拍手を受け、所長から珍しく飲みの招待を受けた。「ただのCじゃなくCの拠点「Cビル」に入ったのは表彰モノや!」と所長は大絶賛だった。

でも、どうにもしっくりこない僕は、飲みの席で正直にこれまでの経緯を説明することにした。静かに所長は僕の会話を全て聞いた後、「運がある。それはすごいことや。それこそが君の実力やよ」とボソっといった。僕はどうにも納得がいかなかったが、「そういうこともある。頑張っても報われへんこともあれば、なんもせんでも入ってくることもある。だからって待ちぼうけではこまるねんけどな」と矢継ぎ早に言われて反論するのが面倒になった。

1週間後、機械はCからR製に変わった。お礼の電話の時も導入の時にも社労士の先生は不在で、結局僕はその後も先生と会話することができなかった。


数ヵ月後、退社の日にちが決まり残務処理が進む中、ふと玉出公園を通りがかった僕は急にあの日のことを思い出し、はじめて公園内に入った。

たしかこのベンチだ。きっとあの事務所から見えるはずだ。そう思って僕はゆうに一時間は寝転んだことだろう。

これが僕からの先生への無言の退社の印だった。先生が受け止めてくれたかどうかは定かではないが。

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