フランソワーズ・アルディ死去~高感度女性シンガーソングライターの国際的先駆者
どうも。
久々に訃報ですが、これまた悲しいですね。
フラワンソワーズ・アルディが亡くなってしまいました。もう、彼女と言えば60年代の、いまだに世界の人が愛しているあの時代のフランスのイメージの一部を彩った主人公の一人ですよね。日本にも好きな人、間違いなく少なくないと思います。
僕もこの訃報は本当に残念ですよ。でも、僕の場合はどっちかというと「フランスがどうか」というよりは、一人の国際的な女性アーティストとしてやった功績があまりにでかい。そのことを改めて問いかけたいと思ってます。
フランソワーズは1944年生まれ。レコードデビューは18歳の時になります。まあ、上の写真のような美貌ですからいきなりアイドルとして話題になるわけですけど、同時に彼女は熱心な音楽ファン。たぐいまれなセンスで自分で曲も書いたわけです。
こうして
このデビュー・アルバム「Tout Les Garcons Et Filles」がいきなり国民的な大ヒットを記録してしまうことになります。
こうした曲が立て続けて大ヒットします。
なんかアイドルなんですけど、比べて優劣つけるとかではないんですけど、やはり同じ時期にアイドルとして出てきたフランス・ギャルやシルヴィ・バルタンと比べると、すごく落ち着いたクールなイメージがこの時からありますよね。
彼女はこの当時のフランスの他のアイドルのように、ヒット曲を出しながら映画にも出演するという活動を展開。それがこの当時の彼女のパブリック・イメージをつけたようなところがあります。
ただ、そんな「フランスの恋人」みたいなイメージのフランソワーズ、実際の素顔は本当に熱心な音楽好き。彼女は英語やドイツ語、イタリア語の風数言語のレコーディングをこなす一方
イギリスではキンクスでおなじみのPyeレコーズに所属。Pyeのスタジオで、その当時まだ駆け出しのセッション・ミュージシャンだったジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズ、いうまでもなくのちのレッド・ツェッペリンのメンバーたちともセッションすることにもなります。
1964年にはこの時期ではかなり珍しいヘヴィなファズギターをかました曲も歌っていたりするんですけど、これがジミー・ペイジとのセッションだと一般では言われているようです。
で、多くの人が知っているように、60年代という時代は最初の方は楽天的な明るい時代だったりするんですけど、時が経つにつれ、進歩的な気風の実験精神があらゆる分まで強くなります、
そんな矢先の1968年に出たのがこれですね。
はい。名曲「さよならを教えて」ですよね。これの入ったアルバムも、メランコリックなバロック・ポップな趣になっているんですけど、これ出た当時、「五月危機の気分を象徴した曲」とも評されていたんですってね。五月危機というのは
新左翼の学生運動ですね。この時、パリの大学生たちがチェ・ゲバラを英雄視して、ベトナム戦争とアルジェリア戦争という、旧植民地戦争を行っていた政府の打倒を目指したものでした。
この時にカンヌ映画祭が中止になって、この時に共産主義を支持するジャン・リュック・ゴダールがフランソワ・トリュフォーとの仲を悪化させたこともフランス映画の世界の語り草になっているものです。
そんな時代からフランソワーズの音楽表現もより自由となってくるわけです。
そして1971年、リオの音楽フェスティバルに参加したことで刺激を受けたフランソワーズはパリ在住のブラジル人アーティストTucaとレコーディング。この結果は「La Question」として実を結びます。
このアルバム、リアルタイムでは売れなかったらしいんですけど、のちにカルト化して彼女の代表作の1枚に数えられています。
1972年のアルバムに関しては、アシッド・フォークやってますからね。しかもこの曲なんて聞いて思い切りモロなんですけど
ニック・ドレイクの影響受けてるんですけど、フランソワーズ、彼が生前の時から注目してて、本人とも多少交友があったんですって!ニック・ドレイクって今でこそ伝説の存在で有名ですけど、この当時。ほとんど無名で動いてる映像すらない人ですよ!そんな人をリアルタイムで追ってたということだけでも尊敬に値します。ちなみに彼は1974年に亡くなっています。
フランソワーズは1973年に出産をします。相手はジャック・デュトロン。この彼もフランスのポップ・ミュージック界で非常に重要な人です。フランスの場合、ロックはアイドル歌手が歌うものとして浸透していたんですけど、彼はその中でも
ダンディなモッズっぽいイメージで人気だっったんですよね。この当時のフランスの男性アイドルのトップはジョニー・アリデイと言って、シルヴィー・バルタンの旦那でもあった人で、この人がタフがいっぽい、トム・ジョーンズともキャラが被る人だったんですけど、その向こうを張ってた優男っぽいイメージですね。彼とフランソワーズは生涯の伴侶になります。
ただ、彼との結婚前後から、フランソワーズ、不調も重なって活動がすごく不定期になっていきます。かなり間隔が空いての作品発表になっていくんですけど
1988年に発表した「Decalages」っていうバリバリの80sサウンドのアルバムからガラッと変わりますね。シンセ使ってね。髪もショートになって、晩年までのイメージにつながっていきます。
僕が彼女知ったの、この時期なんですよね。高校の時の友達の家に大学の時に行った時、普段メタルとプログレばかり聞いてる彼がなぜかフランソワーズのコレクターになっててですね。その時に聞かせてもらったんですよね、旧譜と共に。それで興味持ったんですよ。彼はその時、カエターノ・ヴェローゾモ持ってたりして。僕のサブリミナルな非英語圏音楽への興味がそこから始まってます。
そして1995年、フランソワーズは、当時ブリットポップの寵児だったブラーの誘いを受け、彼らの「To The End」の別ヴァージョンでヴォーカルで参加して、その時に再評価を受けるんですよね。
その影響下で
フランソワーズは1996年、ブリットポップやグランジ、トリッポホップからの影響を受けたアルバム「Le Danger」を発表。かなりトンがった
彼女らしい側面を発揮します。
これを出した後、彼女の作品発表が活発化しまして
2000年に夫のジャックとのデュエット曲になるこれがヒットして、商業的にカムバック。以降、亡くなるまでに発表したオリジナル・アルバム、すべてフランスのアルバム・チャートのトップ10に入ってます。
この頃、イギー・ポップともデュエットしてるんですけど、魅惑のバリトン・ヴォイスで正統派シャンソン歌うイギーがかっこいいんですよね。
そして2018年、74歳の時に出した「Personne dautre」と言うアルバムが最後のオリジナル・アルバムになるんですけど、これかなり好評だったみたいでそれまでの流れで見てもストリーム数の多いアルバムになってます。
その後に彼女は癌になりまして、2021年に実質的な引退を発表していました・・・というのがキャリアの流れですね。
日本にも「私のフランソワーズ」というフランソワーズについて歌った有名な曲がユーミン、しかも最高傑作扱いをしばしされる「ミスリム」にあります。改めて今回、フランソワーズ聞いてみて、実は歌い方、似てるんですよね。舌のちょっと足らない感じのメロディ運びが特に。ユーミンって、フランソワーズとかプロコル・ハルムみたいなヨーロッパからのメロディの影響強いところを、それとはあんまり縁がなさそうな、70s前半当時のキャロル・キングとかジョニ・ミッチェル意識したみたいな細野晴臣、鈴木茂のキャラメル・ママが演奏することによって独自のものが生まれてたんだなと改めて思った次第です。彼女がサウンドの割にシティポップ評価を受けないのも、その出自が理由なのかな、なんて改めて思った次第でもあります。
あとフランソワーズなんですけど
自作曲を歌うことに関して、こうした女性レジェンド達よりもさらに5年くらい早かったことも併せて覚えておいて欲しいと思います。