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ベストヒットUSAの40周年に寄せて

どうも。

当初、別のことを書く予定でしたが、今日が記念すべき日だと小耳に挟んで、これは是非ともやっておかなくてはいけないなと思ったので、やらせてください。

きょう、4月4日は

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はい。日本が誇るテレビでの老舗洋楽番組「ベストヒットUSA」の放送がはじまった日です。第1回目の放送が1981年4月4日なので、今年で40周年ということになります!

ベストヒットUSAがどういう番組であるかというとですね

この連載記事、「ロックと日本の65年」の第9章に詳しく書いています。そこに概要は書いているので、今日は僕自身とベストヒットUSAの個人的な思い出を話すことにしましょう。

僕自身が最初に夢中になった洋楽の番組は、最初はラジオです。福岡ローカルの九州朝日放送の「KBC今週のポピュラーベストテン」。これを1980年の10月から聞き始めました。当時、小学5年生でした。この番組は1967年にはじまった長寿番組で、2011年に終わっちゃったんですけど、その前年2010年の暮れに、この番組の特集番組が作られた時に僕、うれしいことにゲストで呼ばれ、サンパウロから出させてもらったことがあります。

この「ポプテン」というあだ名の付いてた番組が僕にとっては最大影響源であることは揺らがないのですが、おそらくその次のナンバー2、もしくは3がベストヒットUSAですね。

存在そのものを知ったのも、ポプテンでですね。「どうやらテレビでそういう番組があるらしい。見たい!」という気持ちを長いことつのらせていた番組です。1981年の秋頃に知ったんじゃなかったかな。番組が、小林克也さんの言葉を借りると「半信半疑」だったのが、視聴率的にうまくいきはじめて世間で話題になり始めたのがその時期だったような気がします。

そして、そのときに


そのポプテンのチャートに、ベストヒットUSAのテーマソングがランクインしてたんですよ。これがVT’s、ヴェイパー・トレイルズともいうんですけど、「サーフサイド・フリーウェイ」って邦題ついてました。原題「Don't Worry Baby」ってだけなのに(笑)。この人たち、これで以外全く知らないんですけど、まさか自分たちの曲が日本でずっと40年使われているとは思ってないでしょうね。

 で、さらに、その81年の暮れからミュージック・ライフ読むようになって、82年になると姉が関西の大学に通い始めて、そのふたつから「ベストヒットUSAはおもしろい」という話を、より強く聞くようになりました。

「どうやったら見れるんだ。なぜ福岡で放送がないんだ!」と僕はずっと欲求不満だったのですが、1983年2月、僕はついに新聞のテレビ欄に「ベストヒットUSA」の文字を発見します!

が!

山口放送だと???

そうなんです。ベストヒットUSA、放送はじまって最初の3年は九州でネットされていなかったんです!なぜか関門海峡を超えなかった。

ただ、福岡県北九州の場合、KRY(山口放送)、一応、映ったんですよ。うろ覚えなんですけど、あの当時の福岡県って、日テレにあたるチャンネルがUHF受信で、そこを周波数で合わせて見る感じだったんですけど、それを動かすと山口放送が映像が砂嵐かぶった状態ではあったんですけど見れたんですよ。だからトライして見てみたら運良く見れまして、

そのときの1位はこれでしたね。

メン・アット・ワークの「ダウンアンダー」。これがラジオ&レコーズのチャートで1位でした。いやあ、うれしかったですよ。「ああ、こんな感じでやってるんだ」ってわかったことが。フォーマットだから慣れればなんてことはないんですけど、中学1年の「洋楽ならなんでも聞きたい」と思っているタイミングには何もかもが新鮮でしたね。


で、「Star Of The Week」がケニー・ロギンスで、この曲流れたの覚えてます。

で、僕が見始めて2ヶ月くらいして、「放送開始2周年特集」というのがあって、番組の歴史を振り返っていたんですけど、それによると番組1回目の1位は

ジョン・レノンの「ウーマン」だったことをなんか強烈に覚えています。番組スタッフの方が第1回めのときの放送ビデオを探しているという情報を聞いたんですけど、見つかったのでしょうか?僕はこれが1位だったことしか教えられないですが。

で、山口放送だとですね、実は、「ブリジストン・サウンド・ハイウェイ」という提供部分がなくて、そこがノルマル・テロップでいきなり番組がはじまってたんですよね(笑)。正式なものを、砂嵐じゃなく見れたのは、その年の7月に大阪に行って、そのとき姉がつきあってた彼氏さんの家で見ました。ただ、内容が信じられないことに、先に山口放送ですでに見たやつだった、というオチもありましたが(笑)。

で、福岡での放送が、結局、84年のゴールデン・ウィーク。実に本放送はじまって3年後のことでした。そこからは、ブリジストン提供もカラー映像もしっかり入ってましたけど、ただ、不思議なことに、ハングリーに「見たい、見たい!」と渇望して狂喜乱舞して山口放送見たときほどの喜びはなぜか半減してましたね。というのも、福岡のほかのローカル局でライバル番組がたくさんはじまっちゃったから。このとき、3局くらいで深夜枠に洋楽の番組があったんですよ。いかにブームだったか、わかるでしょ?

あと、84年の暮れにテレ朝が部分的にMTVの放送はじめたことも大きかったかな。このマーサ・クインの番組とかね。マーサ、かわいかったなあ。

僕が福岡の放送で見はじめたのは時期的にはまさにこの頃ですね。克也さん、若いなあ。今の僕よりこのときの克也さんの方が若いんだもんな。

この、マドンナが激烈に不機嫌だった初来日のときとか、よく覚えてますよ。すごく「怖い」って印象、子ども心に与えられましたね。

このゲストがねえ。この当時はまだ日本の番組に出ること自体が貴重でね。これがいろいろ伝説残ってます。「大志を抱くんだ」と説教かましたU2とか、「Rebel Yell」の日本語の替え歌で「モット、ホーシイー(More More More)」と歌い始めたビリー・アイドルとか、克也さんにハリウッド・スマイルなる強烈な笑顔をプレゼントしたシンディ・ローパーとか。

で、これが、僕が大学1年まで続いたところで終わっちゃったんですよ。1989年の暮れですね。悲しかったですよ。「これでテレビの洋楽番組、全滅だ!」と思いましたからね。

で、そうしているうちに克也さん、俳優の仕事なんかも多くなってしまって、「もう、そっち方向にいくのかな、さみしいな」とも、この当時は思っていたものでした。

 そうしているうちに、僕もNHKのFMに配属されました。克也さんは僕、ずっとお仕事したいしたいと思っていてですね、実は1回、僕が担当でやっていた番組でお声をかけさせていただいたこともあったんですけど、それが残念ながら流れて。それで実現しなかったんですけどね。

 で、ちょうどそのことがあった90年代半ば、なんと

小林克也氏が、ベストヒットUSAを復活させようとしている!

という情報を耳にしました。

そして、その模様を見ることもできたんですよ。克也さん、なんとベストヒットUSAを、ケーブルTVの番組から昇格を狙う形での復活を狙っていたんです!

しかもねえ、これがJコムの、それも学習チャンネルの「レッツ・トライ」ってとこで、タイトルを「ベストヒット・トゥデイ」って名前でやっていて。これ、僕、見てたんですけど、もう完璧にDIYでね。セットなんて、あれ、「自宅?」って感じのところだったし、今でいうユーチューブと変わらない感じでしたね。それで番組フォーマットだけ、完全に前と同じでね。

 この当時、もうMTVも、スペースシャワーも24時間体制でやってたし、「1時間枠の洋楽番組」って、正直、少し古くも見えました。ただ、このときの克也さんの気持ちが僕にはすごく嬉しくてですね。しかも、喋り方、変わったんですよ。NHKの先輩がいうには、克也さんって、その昔は「完全台本じゃないと喋らない」という話を聞いていたんですね。それが、この復活を目指す番組では、自分の意思で、自分の思うことをしゃべろうとしていたんですね。だから、かつて見ていたベストヒットUSAほど流暢じゃなく、「その〜」とか「ええと」とかが多くて滑らかじゃない。でも、克也さん自身が番組を動かしたいのはすごくわかったんですね。

これで僕はもう、克也さんを俄然応援したくなって、ベストヒットUSAの復活を心から願うようになりました。

それからこの番組はレッツ・トライから、テレビ埼玉とかMTV、ラジオでもやったと聞いてます。そうしているうちに2002年に特番という形でテレ朝に復活。さらに2003年からはBS朝日で復活して今日にいたっています。

それもこれも

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克也さんの奮闘の賜物です。本当に心からリスペクトします。

で、今、書きながら思い出したんですけど、82年にFM東京の日曜深夜の番組で、キャッシュボックスのチャートを紹介する番組があって、アメリカ人の担当が読み上げるチャートを、あの渋い美声で相槌打ちながらこたえる番組があったんですけど、そこで1年慣らした後に僕はベストヒットに移行しましたね。あの頃はアメリカ、ビルボードとキャッシュボックスとラジオ&レコーズの3つのチャートがあった時代でしたね。

あと、ベストヒットUSAは通常のビデオ・クリップのほかに、アメリカの謎のテレビ・ショーの映像を見せることでも知られていましたが、それが「Solid Gold」という、アメリカの音楽番組の映像を借りたものであることもyoutube時代に知ったものです。そこからの映像で、ベストヒットで見たもので締めましょう。そして、ベストヒットUSAと克也さんに「おめでとう」と「今後もがんばってください」と改めて。













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