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追悼・クインシー・ジョーンズ〜あらゆる垣根を超えた不世出の才人

どうも。

いやあ、遂にこの日が来ましたね。

あのクインシー・ジョーンズが亡くなってしまいました。3日、ロサンゼルスのベルエアの自宅で家族に看取られて亡くなったそうです。91歳。大往生ですね。

音楽界にとってはあまりにも大きな人で、キャリアをまとめるのも一苦労なんですけど、なんとかまとめてみましたので紹介したいと思います。

クインシー・ジョーンズは1933年シカゴの生まれです。当時の黒人にしては比較的裕福な家庭で育ったようでして、10代から音楽を学び、50年代に奨学金でシアトル大学に通います。

そしてそこから音楽の道に。ジャズを志し、担当楽器はトランペットとピアノでしたが、アレンジャーの才能を見出され、ジャズ指揮者になります。すぐに引っ張りだこになって、ライオネル・ハンプトン、ディジー・ガレスピー、そしてフランク・シナトラと仕事をし、ツアーで世界を駆け巡ります。本人曰く、世界ツアーをしたことで、「これまで白人と黒人でものを考えていたところから一歩外に踏み出すことができた」と思ったとのことです。

あと、テレビでの仕事やレコード会社の副社長になったりと、このころから才人ぶりを発揮していたようです。

アレンジャーなど裏方の仕事が多かったようですが、自身の名義でも50年代半ばからアルバムも発表していました。最初に有名になったのはこれです。

1962年に発表した「Soul Bossa Nova」。これはのちに映画「オースティン・パワーズ」でもかかって有名になるんですが、いかにも60sなお洒落な雰囲気を持った曲ですね。

1963年には人気アイドル、レスリー・ゴアのプロデューサーとして当てます。ポップ・ソングのプロデューサーとして彼が当てた最初の例が彼女です。

映画やテレビのサントラのスコアの仕事を1964年から始めます。最初の作品はシドニー・ルメット、名匠ですけど、彼の「質屋」という映画でジャズ色の強いサントラを作ります。先ほど言った「Soul Bossa Nova」も劇中で流れます。

ここからは怒涛のサントラ・ラッシュ。オスカーの作品賞にもなった「夜の大捜査線」、ウィークエンダーのジングルでものちに有名なドラマ「鬼警部アイアンサンド」、「ミニミニ大作戦」、「サボテンの花」。すごいお洒落映画もたくさん手がけてるんですよね。

こうした縁もあってか

この当時に、日本でも放映されていたドラマ「モッズ特捜隊」の主要キャストだった女優ペギー・リプトンと結婚します。

で、60年代の終わりころから自身のリーダー作が売れ始めまして

1969年のアルバム「Waliking In Space」からこの曲が初めてシングル・ヒットします。

1974年にはこの曲の入ったアルバム「Body Heat」が全米6位のヒットになります。当時のソウル、ファンクにシフトした作品でディスコ、AOR界隈で支持を受け始めることになりますが

70年代半ばにはファンク・バンド、ブラザーズ・ジョンソンのプロデューサーとして当てます。コンテンポラリーなソウル・ミュージックのプロデューサー・イメージが出だしたのはこの辺りですね。

そして大きな転機になったのは1978年、シドニー・ルメットの映画「The Wiz」の音楽担当をした際、スケアクロウ役で出演したマイケル・ジャクソンと知り合ったことです。この時マイケルが「僕にいいプロデューサー、いないかな?」と切り出され「僕じゃだめかい?」と答えたことでそれが

これが1979年の傑作アルバム「オフ・ザ・ウォール」として実を結ぶわけです。これがこれ以降のアーバンR&Bの雛形を作ったと言っても過言ではありません。

そして

1981年、自身の名義で世界ヒットが飛び出します。日本のディスコでも特大ヒットになった「愛のコリーダ」、そしてジェイムス・イングラムのヴォーカルによるバラード「Just Once」。この世界的ヒットによって知名度が飛躍的にアップします。そこからの

マイケル・ジャクソンの人類最大ヒット・アルバム「スリラー」と続いていくわけです。

そして

1985年の「We Are The World」につながるわけです。このMVでもクインシー、指揮棒振ってる姿が確認できます。あの姿みてると、もう完全に音楽界のリーダーですよね。

で、マイケルとの仕事が1987年の「BAD」まで続いた後

そして1989年には自身のアルバム「Back On The Block」も全米トップ10ヒット。大学生でしたけど、日本でも結構売れてましたね。

90年代以降も何かと話題はあってですね

ラッパーだったウィル・スミスに俳優になるよう進言したのも有名な話だし


ナスターシャ・キンスキーと恋仲に落ちたり

90年代半ばには2Pacが長女のキダダと婚約したり。ただ、残念ながら2Pacは殺害されてしまったんですけどね。

そして、それからだいぶ後のことになりますが、キダダの妹のラシダ、女優でもお馴染みですけど彼女がヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・コーニグと結婚しました。

そこからは音楽的に特に大きなニュースはなかったんですけどね。まあ高齢にもなっていましたからね。

でも、すごいですよね。足掛け50年位ずっと一線にいて、ジャズもポップも、リーダーも裏方も、映画やテレビも、まとめ役も、黒人と他人種への架け橋もみんなやった人でしたからね。

マイケルが成功した頃には「白人にすり寄った成功」なんて揶揄する声もそういえばあったんですけど、逆に今はクインシーに当たる人がR&Bにもヒップホップにもいなくなっているような気がするんですよね。彼がバックアップした頃のマイケルほど黒人以外の人たちに橋渡しできた人って存在しないと思ってるので。

この話しようかしまいか迷ったのですが、クインシー、ディディに目をかけていたんですよね。後継的ポジションとして考えてたと思うんですけど、ただ僕から言わさせてもらえばクインシーほどの才能はなかったし、それ以前に全てはもうあの事件で台無しになっってますけどね。ジェイZも後継ポジション、今も行きたいと思ってそうな気もしますけど、彼のLIVE NATIONとかイベントの仕切りとか見てると、どうしても偏りがあるというか、超えられない何かは感じてしまいます。あと、彼も疑惑がね・・・。

その意味でファレル・ウィリアムズかクエストラヴかなあ。仮にもしクインシーの後継できる人がいるとしたら。

やはりこれだけの功績残した人です。感じるロスは想像以上に大きいですね。改めてご冥福を祈りたいと思います。

 

 



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