ジム・スタインマン死去 ブロードウェイのダイナミズムをロック、ポップスに持ち込んだ男
どうも。
今日は残念ながら訃報です。
ポップ・ミュージック界の大プロデューサーのひとりです。ジム・スタインマンが亡くなってしまいました。
名前だけ言われてもピンとこない人もいるかと思われますが、アラフィフ、アラフォーの洋楽ファンには日本でもかなり作った曲になじみのある人だし、それ以上に欧米ではかなり大きな存在です。
何を作ってきた人なのか。今回は経歴の中から言っていくことにしましょう。
このスタインマンですが、1947年、ニューヨーク生まれのユダヤ系です。もともと、シアター、ブロードウェイ・ミュージカルで働いていた人なんですが、1973年
駆け出しのミュージカル・シンガー、ミートローフと出会います。
70年代の半ばというのは、ちょうどロックとミュージカルが融合をおこなっている過程でありまして
60年代末の「ヘアー」を先駆けとして、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、ザ・フーの「トミー」、そして「ロッキー・ホラー・ショー」と大ヒットしたロック・ミュージカルがたくさん生まれていた時期でした。
そんな中、スタインマンとミートローフは1977年
ミュージカルの醍醐味を大胆に取り入れたロック・アルバム「Bat Out Of Hell」、邦題「地獄のロックライダー」をリリースしたら、これがなんと、空前のロングセラーを記録します!
こういう曲がシングル・ヒットを記録したわけですけど、この当時は、スタインマンが作曲、プロデュースがトッド・ラングレン、演奏したのがブルース・スプリングスティーンのEストリートバンドのメンバーたち、という、すごい融合なんですよ、これ!
この結果ですね、このアルバムは全米最高14位ながら1400万枚を売る大ベストセラーとなり、イギリスに至っては522週もトップ100に入る空前のロングヒットになりました。
これによって、スタインマンの名前ってすごく欧米ではビッグなんですよ。この醍醐味は残念ながら、今日まで日本に届いてませんね。
ただ、日本だと80sの洋楽ファンにはこれ、しっかり届くものにはなりました。
やっぱり、それは、この2大ヒットの影響が大きいですね。
ともに1983年の大ヒットですね。エア・サプライの「Making Out Of Nothing At All」、「渚の誓い」、そしてボニー・タイラーの「Total Eclipse Of The Heart」、「愛の翳り」。この2曲により、スタインマンの名前は世界的に浸透しました。
どちらも、ゴージャスなコーラスとドラマティックな曲展開によるスケールの大きなナンバー。これぞジム・スタインマンのミュージカル仕込みの醍醐味です。
さらに84年には
映画「ストリート・オブ・ファイア」で、劇中ではダイアン・レインが歌っている風に見せていました「Tonight Is What It Means To Be Young」「今夜は青春」、そして映画「フットルース」の有名な挿入歌になりました「Holding Out For A Hero」、「ヒーロー」。この2つがまた世界的にヒットします。
この2曲は
大映テレビ系のドラマ「ヤヌスの鏡」「スクール・ウォーズ」の主題歌として、それぞれカバー・ヒットしました。これで日本のお茶の間でも実はかなりおなじみなんですよ。トリビアをひとつだけ言いましょう。実は僕、大映テレビの採用で内定もらってたりします。それくらい、大映テレビ・マニアでした(笑)。
スタインマンの場合、活躍した後にブランクを長く開けることで有名なんですが、93年、カムバックします。これが
これがミートローフ、「地獄のロックライダー」のパート2のこの曲、「I'd Do Anything For Love(But I Won't Do That)」、これで全米シングル1位になります。
さらに
1995年にはセリーヌ・ディオンの「It's All Coming Back To Me」、これも全米2位の大ヒットとなります。
スタインマンのスタイルはきわめて一貫してまして、大げさな曲調に、文学的な長い歌詞。とにかくこれがもう誰にも真似できない彼だけのオリジナルです。そして、映画、演劇にまでその効果が波及する普遍性もあります。
僕自身、なじみはすごくあるんですが、そこまで入れ込んだとも言いがたかったところもあるんですけど、「地獄のロックライダー」、もう一回聞いてみるかと、準備しているところでもあったりします。
これからも彼の歌は巷でよく聞かれることになると思いますが残念です。改めて冥福をお祈りします。RIP