ビジョン、世界観、そしてクリエイティブコントロール
昨日は、
サッカー専用メディア「Runway」において、
吉本興業が展開する
オンラインサロン
についてまとめてみました。
4つのポイントのうち
最も重要だと考えるのは
「ビジョン」
今ここにない未来
「こういう社会が実現したら素晴らしい」
というビジョンを
いかに打ち立てられるか。
そしてビジョンを内外に示し、
オーナーの一挙手一投足すべての振る舞いに、
一貫性をデザインできるかどうか
が重要です。
今日は
主体をサッカークラブに置き換えて、
その重要性について
あらためて深掘りしていきます。
■お手本の背中を追うことがビジョン
Jリーグにおいて
明確なビジョンを伝えてくれるクラブは、
私の知る限りにおいてはありません。
「クラブ理念」
のようなステイトメントは
各クラブのウェブサイトに掲載されていますが、
これらは
「今ここにない未来を構想する」
といった大義ともいうべきビジョン
とは似て非なるもの。
サッカークラブの経営を通して
どんな世界をつくっていきたいのか、
情熱的に語りかけるようなビジョンは
今のところ限りなく少ない、というのが現実です。
概して印象的なのは、
どれも「行政文書」的で、
ユニーク性に欠けるという点。
無作為にクラブ理念を抽出し、
それを読んでどのクラブの理念なのか、
言い当てるのはおそらく
非常に困難。
多くが、オリジナリティと情熱を感じがたい文章
であることが特徴です。
これについては、
100年先を行く欧州クラブという、
これ以上ない「お手本」が、
ビジョンなき経営を可能にする要因
ではないか、という見立てを持っています。
ネットを介して容易に手に入る情報の
獲得コストはほぼゼロ。
目指すべき姿は「欧州クラブ」であり、
目指すべき理由も、
「ゴールを達成することで幸せになれる」
仮にそう考えているとすると、
Jクラブは得られる情報をベースに
「どのようにやるのか」が最重要課題となり、
「社会を変える」という上位概念を
構想することに意義を見出しにくい
と言えるかもしれません。
ビジョンをたてて、
ビジョンに立脚した世界観のもと、
クリエイティブを統治していくコストは、
むしろ競争戦略を阻害する要因
となるかもしれません。
■同質化したサッカークラブの量産
これは日本製の携帯電話(ガラケー)です。
どれも機能性に優れた商品でしたが、
いつしかiPhoneに市場を奪われ、
撤退の憂き目にあいます。
今見ると、レトロでかわいい感じがします。
ホンダのスーパーカブのように、
当時は機能的で移動を売りにしていた商品が、
今もその原型をとどめ、
「逆にレトロでおしゃれ」
という意味をまとって生き残っているように、
携帯電話も同じような生き残り戦略
(スーパーカブが戦略的だったかどうかは不明ですが)
を模索できたかもしれません。
少し脱線しましたが、
日本の企業には
デザイン性というよりも、
機能性の向上を目指すことに強みがあるように感じられ、
サッカークラブも同様、
欧州というベンチマークにならい、
クラブの機能向上を志向する流れになるのでは
と予測しています。
では果たして
「欧州クラブの背中を追って幸せになる」
という考えも実現されるでしょうか?
個人的には肯定しづらい
というのが本音。
携帯電話のように
機能性には優れているものの、
どのクラブも「似たり寄ったり」
豊かな独自性を担保したサッカークラブが
日本全国あちこちで活動する
という世界がイメージできません。
そしてそれは、
ビジョンのなさ、
つまり
「サッカークラブを通してどんな価値を生み出すのか」
について深く思考することなく
歴史を重ねることによる弊害。
結果として、
画一的なクラブの量産
という、日本サッカー界にとって
歓迎できない状況が待ち構えている、
と若干の危惧を感じています。
■クリエイティブの統治
また、仮にビジョンがあったとして、
そのビジョンを可視化するクリエイティブ
を生み出すセンスがあるかどうかも、
注視していくべき事案ではないかと。
つまり、
各クラブのクリエイティブ、
たとえばウェブサイトやSNSのデザイン、
チラシやポスターのデザイン、
部門をまたいだ資料のデザインなど、
クラブが発信する
ありとあらゆるクリエイティブ(言葉含む)に
一貫性が確保されているかどうか、
に少し懐疑的になっています。
ビジョンがそもそもあいまい、
という状況で
クリエイティブをコントロールすることが
原理的に不可能という前提はあれど、
おそらく
クリエイティブディレクター的な
役回りを担う存在がいないのでは?
と感じることが多々あります。
デザインは
「人格を与える」といいます。
ビジョンがあり、
コアターゲットを設定して、
ビジョンを実現するための世界観を精度高く考えます。
どんな男女で、どんな服を着て、
朝は何を食べて、何で移動して、
どのような夜を過ごすのか。
そんな細かい設定がなされた後に
デザインが施されていきます。
デザインをする前に、
丁寧な構想が練られているかどうか。
そして「意味ある」デザインで差別化を図り、
共感者を増やす活動ができているかどうかも
問われるべきではないかと思っています。
■大義あるビジョンと発信を長期的に
クラブ理念と同じくして、
クラブそのものの独自性を欠くとするならば、
それは各クラブのサポーターにとって
悲しいこと、なのかもしれません。
地域性、歴史、人や言葉、
衣食住すべてにおいて
その独自性が認められる
日本各地域で、
それぞれに活動するサッカークラブが
同質化してしまうことは、
地域の、特に今のところサッカーに関心のない層の
感受性に違和感を与えやしないか。
今よりもっとたくさんのファンベースをつくり、
毎試合、チーム成績に依存することなく
スタジアムが満員にするためには、
無関心層に無理なく近づいていただくこと
が喫緊の課題。
そして、
オリジナルティ豊かなクラブのビジョンと、
ビジョンと紐づく世界観から発信される
美しいアートの数々が、
どこを切っても齟齬やほころびのない、
安心と信頼を担保した
クラブ運営に傾斜すべきだと感じています。
短期的に、特に年間の成績(ピッチとビジネス)
が厳しく問われがちですが、
オーナー、そしてサポーターや
クラブを取り巻くすべてのステイクホルダーも
ちょっと立ち止まって、
長期的視点で、
クラブが大義あるビジョンを掲げ、
クラブの想いに共感する人を増やし、
情熱的に誇りをもって
世界観の構築を
粛々と行っていける環境をつくっていきたいと
あらためて感じている次第です。
※本稿は以下文献を参考にしました。
世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術
(山口周・水野学)