ビジョンという「タグ」がなければ検索のしようがない
時代の変化とともに、
お金に対する考え方も変わりつつあります。
オンラインサロンにおける
交流や体験という価値、
についても
昨日触れました。
「おもしろいこと」を求めて
自発的に参加するサロンメンバーは、
そのサロンで何ができるのか、
何が実現されるのか、という
「ビジョン」
に魅了されます。
オーナー自身が誰よりも楽しんで、
誰よりも働く。
その背中を追って
メンバーの熱狂は加速度を増していきます。
■「分断」による新しい価値観の共有方法
私のスマホは、
サッカーと本に関する情報であふれています。
それ以外の情報は、
「私が探さないと」見つからない場合が多い。
プッシュ通知などでお知らせが届き、
サッカーや本に関する情報を
受動的に楽しむことができます。
そして当然のことながら、
同僚のスマホには、
同僚の趣味趣向に合わせた情報が届き、
機種が同じであっても、
全く違った世界が
スマホの中に展開されることに。
「昨日の試合見た?」
といって、
大好きなリバプールの情報を共有したい
と思って同僚に話しかけても、
「阪神戦?」
という期待外れの返しに
がっかりするという
かみ合わない状況が
頻繁に起きてしまうのは、
ネットのアルゴリズムや
それぞれの好みに合わせた設定が引き起こす
「分断」
が原因です。
このように多様性が広がる世界では、
となりの同僚とのコミュニケーションが解体されますが
一方で、
イングランドに住むリバプールファンと
容易に繋がれるという、
パラドックスが日常的に広がっている、
ということも事実。
情報が、テレビや新聞に限定され、
翌日に会社や学校で情報を共有し合う
画一的な時代はもはや
遠い昔の話。
地理的な近さに頼るのではなく、
「タグ」を目印にして、
価値観は共有されることになりました。
■お金を出して働き、自分をブランド化する
幕末には
「松下村塾」
という私塾がありました。
「新しい時代を切り開く」
という壮大なビジョンのもと、
吉田松陰を筆頭に、
高杉晋作や伊藤博文など
そうそうたる面々を世に輩出し、
明治以降の発展に貢献。
武士や町民、にはじまり
農民や足軽など身分の分け隔てなく、
同じ志をもって、
学び、語り合い、
行動をともにしました。
その後、
近代化による人材確保を背景に、
学校という効率重視の形態が採用され、
今に受け継がれていますが、
「非効率性」ゆえに
一時的に社会から姿を消した私塾が、
別の形態をとって
社会に発展的に復活。
それがオンラインサロン
にあたるのかもしれません。
年齢や性別、居住地、
国籍も問いません。
朝9時から一時間目が始まる、
というルールも存在しません。
誰もが等しく、いつでも参加でき、
意欲あるものは手をあげて発言(コメント)するなど、
自発的に負荷をかけることも可能です。
そして現代版私塾には、
「働く」というオプションがてついてきました。
やりがいや楽しみ、
おもしろいことをしたいという欲求
を満たすために働く人は、
誰から指示されることなく自ら行動し、
自分自身をブランド化して、
個人として活躍する日を夢見て
経験を積んでいきます。
■旗印(タグ)が共通性を担保
それではいったい塾生たちは、
どいういう経路で
お好みの「私塾」に
入塾するのでしょうか。
そうです。
旗印(タグ)ですね。
町中にそびえる、
さまざまな旗印(タグ)を、
くまなく探します(検索します)が、
自分の価値観をあてにして
(キーワードを入力して)
時間を短縮しようと試みます。
松下村塾が
「学は人たる所以を学ぶなり」
を旗印にしたかどうかは
勉強不足で定かではありませんが、
旗印があったからこそ、
入塾する前にある程度の共通性が担保され、
幕末の志士たちがモチベーション高く
学びに没頭することができたのだと思います。
嫌だったら辞めればいいだけの話。
残っている人はやらされているわけでも、
しがみついているわけでもありません。
「意味がある」
と感じて、好きな人たちと夢中になって
将来を語り合うことに幸せを感じていたはずです。
塾の志の「質」は、
その雰囲気についていけない人が
淘汰されればされるほど、
高まっていくとも言えますね。
■タグを通して自分という存在が問われる
少し前置きが長くなりましたが、
オンラインサロンは
「お金を払って学び、働く」
という世界です。
お金を払う以上、
入会にいたる心理的ハードルが高くなりますが、
そのハードルを乗り越え、
参加していただくために、
結局自分は何者で、
何がやりたくて、
今何をしているのか
オーナー(塾長)は、
明確に言語化された「タグ」を
世の中にはためかせられなければなりません。
自分という存在が、
厳しく問われるわけです。
夢を語り、夢を見させる言葉、
そして実行力が共感を生みます。
オーナーは、
自分が語る世界観を
一緒に共有できる場所を提供。
人々が夢中になれる空気を売る存在、
ということになります。
■予定調和を壊して前のめりに失敗する
サッカークラブにおいて、
一番目立つのは選手。
お客さんの多くは、
選手を応援するためにスタジアムに足を運びます。
そして社長をはじめとするスタッフは裏方。
そんな認識が当たり前の感覚だと思いますが、
これからは社長だけではなくスタッフも、
誰もがクラブを代表して
視界を濁らせる過去の成功体験を捨て、
習慣を踏襲するという思考停止状態にスイッチを入れ、
クラブのビジョンが
どのように実現されうるのかを、
ひとりひとりが責任をもって考え続け、
動き続けるべきだと思っています。
「裏方の分際で目立とうとするな」
という意見も
なくはないですが、
それはクラブのために誰よりも汗を流し、
周りが引くぐらい努力することを放棄する
言い訳にすぎません。
過去のデータを正しく分析して
「やめといたほうがいい」といって
完走をできない理由を疑って、
とりあえず100メートルダッシュを試みる。
意図的に予定調和をぶっこわし、
誰かが作った道を外れて、
前のめりに失敗を重ねる、
そんな恐怖をエンタメに昇華させること。
選手だけが公にさらされて
闘い続ける世界は終わりをつげ、
社長やスタッフも、
ファン、サポーターの監視のもと、
闘志をむき出しにして
未来を切り開いていかなければなりません。
そしてそれは
志をもって(ビジョンをもって)
旗印を掲げ(ビジョンを言語化し発信して)
私塾(オンラインサロン)に
たくさんの同志(ファン)を集める
という新しい価値観と世界が
実現してくれるのです。
※本稿は以下文献を参考にしました。
死ぬこと以外かすり傷(箕輪厚介)