常識には「反論の可能性が外部に開かれている」という脆さがあることを知る
論破しようとして嫌われる。
そして何も実現されない
という負の流れは
僕がかつて頻繁に経験したこと。
「なんで分からへんねん」
という傲慢な態度で、
説得力のない企画やアイデアが通らない不満を
他者のせいにするという
なんとも許しがたい行為です。
理路整然、
どこからも非の打ち所がないロジックで
よしんば企画が通ったとして、
企画を実行するメンバーに嫌われていれば
成果はおぼつきません。
人は理屈では動かない。
noteでも何度かしたためた題材。
今日もまとめてみました。
■これが正しい、
とかこうすべきだとか。
なぜならこのような証拠やデータがあるから、
この仮説は実行されるべきだ、とか。
時間をかけてデータ収集を行い、
緻密な分析を経てつかんだ新しい発見は、
もちろんリスペクトされるべきだし、
たとえば営業やマーケティングにおいて
とりあえず試してみる、という姿勢も
尊重されるべきだと思います。
ただ、前提として
充分に心にとどめておくべきは
提案されている仮説や命題は、
いつでもひっくりかえされる余地があるということ。
検証に必要な一時情報を集めて、
分析し、検証を重ねた
科学的、学術的命題も、
まったくあたらしい説によって
あっさりくつがえされることがあるということは
人類の歴史が何度も経験してきた
真理です。
カンタンな例でいうと
▶運動中は水を飲まない
最近だとメジャーリーガーの
ダルビッシュさんが
▶走り込みは不要
という持論を展開して
日本野球のトレーニングに疑問を投げかけています。
何百年も前、誰もが疑わなかった常識
を聞かされて笑ってしまうことは少なくありません。
今ある常識は、
さまざまな見方からアプローチする人々によって、
たゆまぬ議論と反証が重ねられ、
揺れながらゆっくり醸成されてきました。
そんな前提を常に心にとどめていれば、
論破とか、あいつは分かっていないとか、
自意識過剰で身のほど知らずな心的態度
はなくなるはずです。
■もはやサッカー主義は飽きられている!
という主張があって、
お金をつかって有力な選手を獲得し、
有能な監督を招へいして
魅力的なサッカーを披露することへの
「限界」と「警鐘」を鳴らすもの。
勝利という絶対的な評価指標を、
疑うことなく真摯に追求し、
実際に成果をおさめて
栄誉を獲得する人やクラブはたくさんありますが、
ごく限られたパイを奪い合うことに
リソースをすり減らして
枯渇(破綻)の瀬戸際
に追いやられる事例は枚挙にいとまがありません。
Jリーグでいうと、
18クラブあって優勝は1つなので、
18分の1の確率を狙って億単位の投資を行ったり、
J2は22クラブありますが、
J1昇格の3枠に挑むために
全営業収入の10%もの投資を行うことも
実は珍しくありません。
博打とまではいいませんが、
そんな勝算の低い、
取り分が極端に狭められた目標を
嬉々として目指すことが
実はそんなに疑われていない、
というのが
サッカー界の常識です。
いい選手、いい監督
そして強いチームをつくりさえすれば
チケットも売れて、グッズも売れて
広告も爆売れ!
という「設計図」は当たり前のように
多くのクラブの社長室に掲げられている。
チーム優先の経営は
常識中の常識なのです。
■そして
そんな命題へのアンチテーゼとして
もはやサッカー主義は飽きられている!
という主張は多くはないですが
ちらほら育まれてきた希望の光。
僕たちが掲げるビジョンは
こちらからご覧いただけます。
サッカーはあくまでも「手段」
まちがっても「目的」にはなり得ません。
2030年にJリーグ入りを目指すのも
僕たちのビジョンの成就にとって
効率がいいから、という成り行き。
Jという看板は偉大です。
その看板を掲げられることによって
地域が抱える課題
人々が思い悩む課題
を解決するという
僕たちの仕事にドライブがかかります。
僕のフォロワーも少しずつ
入会してくれているみたいでうれしいです。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?