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激動の時代に「とるべき」ストレスとは


吉本興業での雇用期間もあとわずか。独立後も吉本で仕事は続け、コンサル契約を結んだサッカークラブでの業務はすでに始めています。個人事業主としての開業手続き、拠点の変更、もろもろ事務処理を並行させながらの毎日。この年になって日々あたらしい経験ができることは、負荷はかかりますが新鮮で、刺激的で、かつ幸福感を味わえます。

会社という後ろ盾を失って、未来の生活の保障はゼロ。激動の時代にコロナ禍が襲い、まったく不安を感じない人は少数派なのではないでしょうか。そんな環境下で「挑戦」を志向した自分は果たしてどうなのか?今風に表現すると「オワコン」とささやかれかねない決断。なぜ自分はこんな無謀な挑戦を志したのか?いま一度考えてみました。以下、ちょっと理屈っぽいかもしれませんが、偽りなき現在の自分の心境です。

皆さんは、ストレスのない人生を想像できますでしょうか?首肯される方はけっこう少ないと思われます。ですがストレスには様々な種類があって、明確に補助線を引くと、「とるべきストレス」と「とるべきではないストレス」があることに気づかされます。成長や達成感につながるストレス。周りに振りまわされて感じるストレス。いうまでもなく「取るべきストレス」は後者です。

そもそもストレスがない人生は味気がありません。スパイスが使われていない、塩味、甘味、苦味もなにもない料理と同じ。つまりストレスは人生におけるスパイスであり、人生によろこびや満足感を与えてくれます。ストレスを乗り越えることで、自分の人生には「意義がある」と感じることができると思っています。

ストレスパラドックス。ストレスは、とらえ方によって効果が変わると言われています。事実、ストレス指標が高い国ほど国民の幸福度、満足度、GDPが高いうえに平均寿命も長いという報告があるくらい。ストレスをアドレナリンに変えて挑戦を増やせば、自分は常に変化して、前進しているという感覚を得られるはずです。この感覚が、変化の激しい今の時代に「安心感」をもたらしてくれると私は考えました。

挑戦を続けていると、自分の実力は少しずつでも右肩上がりになります。ですが悲しいことに、成果や結果は、必ずしも右肩上がりにならないところに難しさを感じます。あるとき、予期せぬタイミングでもたらされるのが成果や結果であることを考えると、常に挑戦を続けるという姿勢はデフォルトにしておくべきでしょう。

重たい荷車は最初、相当のパワーをかけて徐々に動き出すもの。そして一度動き出すと、あとは惰性で前進していくのでパワーはそれほど必要ではなくなります。それと同じように、結果や成果はタイミングが合えばあとは階段状に上がっていくもの。そのタイミングがいつになるかは誰も分かりませんが、だからこそ挑戦を続けたい。そんな理屈です。

変わろうとしなければ、現状維持からの下降しか残されていません。自分が行動を起こさないかぎり、その下降を止めることはできない。行動=変化であり、変化し続けることをがんばりたい。不安で押しつぶされそうな毎日。ドキドキが止まらない瞬間こそ、身体中にガソリンが注入されている証左です。

そんな刺激を得ることは、なにも独立せずともちゃんと味わえる人もいます。ですが私の現在の環境ではそれが叶わず、あたらしいチャレンジが必要だと考えて独立を志向しました。結果はどうなるかわかりませんが、結果は無理やりにでも取りに行く決意。

ストレスとうまく向き合いながら、変化し続けて、がんばりたいと思います。

久保大輔




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