「うまくいかない自分」に対して優しく接していいという感覚
早稲田大学スポーツ科学研究科にて、
学位申請公開審査会が行われました。
同じ教授のもとで
博論を書いていた友人の発表。
そして「合」の取得。
まるで我がごとのようにうれしかった。
研究をする、
論文を執筆する楽しさは、
苦しみの裏返しでもあります。
苦しみから逃れようとせず、
真摯に自分自身をみつめ、自問自答し、
ときに楽しく、喜びもあり、
ときに何かを失うこともあるけど
希望をもって現実と向き合ってきました。
起こった現実に
一喜一憂するよりも、
現実を正しく評価して
どういう態度をとるのかが大事。
喜びと苦しみを味わえる環境に
感謝できるようになったり、
不思議な感覚を得ることもある。
友人の進捗を聞き、
自分自身の進み具合も認めてあげて、
友人の成果を楽しみながら、
自分の成果も楽しむことができるようになった。
同じ大学で、同じ社会人という立場で、
同じ時期に研究したというつながりによって、
いろんな感情を共有することができ、
彼の学位を誇らしく、
その栄光を心から喜ぶことができました。
■この感覚、
どこかで味わったことがあるな~と
ぼんやり考えていました。
なぜ友人のことが
これほどまでに自分に
ポジティブな感情をもたらしたのか?
さっきたまたま、
久しぶりに京都サンガのサポーターと
話しをしていて気づきました。
他者の達成に対して喜びを感じ、
心から自分のことのように幸せになる。
それはクラブ(選手)と
サポーターの関係と同じでした。
一部の人々は、
地元のフットボールクラブに共感を抱いています。
試合に勝つと
サポーターのコミュニティは高揚を覚えます。
ゴールを決めるのは選手であって
サポーターではありません。
でも、クラブとの一体感によって
選手の活躍はサポーターに喜びを感じさせます。
他者とつながるとき、
私たちは彼らの栄光を喜ぶことができるのです。
■私の大好きな書籍
「影響力の武器」にはこんな一節があります。
彼らはスポーツの熱烈なファンというだけではなく、パーソナリティに隠れた欠陥、つまり、否定的な自己イメージがある人びとなのです。心の深層に、自分は価値が低い人間だという気持ちがあるため、自分自身の業績を高めて名声を得るのではなく、他者の業績との結びつきを形成し、それを強めることによって名声を得ようとするのです。
少し誇張しすぎかもしれませんが、
スポーツという非日常
にハマる一部の人たちは、
日常的に鬱積したストレスをかかえ
自己批判的な感情を
無意識レベルでため込んでいます。
そんな感情を一気に開放して、
自己肯定感を求める彼らは
競技性に興奮するというより、
自己の長所に気づくことができる喜び
を重視しているような気がします。
多様化する社会。
他者との相対化が
孤立を生むという生きづらい時代において、
他者とのつながりや共通点を
認識する貴重な場。
それがスポーツの価値です。
他者の成果、活躍、喜びに触れて
純粋に自分も喜べるようになったとき
人は自分に対しても
優しさと善意で向き合うことを可能にする。
そんな感想をもちながら
秋の夜長を楽しんでいます。
■論文でも、日常生活においても、
失敗して落ち込んだり、苦しんだり、
人間だから負の感情から
完全に逃れることは不可能です。
だからこそあえて向き合って、
「うまくいかない自分」
にやさしく接していいんだという感覚
を持つことはすごく大事。
人間の成長ってやっぱり、
喜びとか苦しみ、
成功と失敗の繰り返しを経験しながら、
現実を正直に、ありのままに
受けとめることで達成されるのではないでしょうか?
日常の苦悩にあらがうことなく、
困難を感じているときこそ、
自分を成長させる
チャレンジングな機会であると、
最近心から思えるようになってきました。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!
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