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言語化への格闘が不可欠


さて昨日は、

「サポーターのクラブに対する信頼が換金される」

という一文とともに、
活況を呈しているプレミアリーグの現状が、

各クラブの、サポーターとの
信頼関係構築に注力したことにはじまる、として

クラブが意志を発信することの大切さ
についてまとめてみました。

レアルマドリードにも明確なミッションがある、
ということにも驚かされました。


そういえば、、、
また書きながら思い出しましたが、

以前訪れた
ドイツのボルシアドルトムント。

ここにも、情熱的なミッションがありました。
まずはこちらをご覧ください。

以下4つの指針が示されていました。

Intensity
Authentisity
Cohesion
Ambition

自分なりに解釈すると、

真摯さ、率直さ
闘争心、情熱、激しさ
唯一無二

Intensityの象徴である黒と黄
正真正銘、地域の価値観と密接につながること。
喜びや悲しみも一緒に

Authentisityを約束
幸福と連帯感

スタジアムはCohesionの象徴
常に自信とプライドを持って

これからもAmbitionを持って。

といった感じでしょうか。


これらミッションが、
クラブ経営における意思決定基準になります。

ありとあらゆるクラブの施策に
一貫性をもたらし、だからこそ、

それぞれの施策に対する
説明責任を果たすことができる。

継続的になされてきたであろう、
ぶれない姿勢と覚悟ある意思表明は、

地域社会の共感を得て、
人々のクラブに対する信頼はお金に換金され、

80,000人の観客が毎試合、
選手に圧巻の声援、チャントを送り続けます。


炭鉱の街ドルトムント。
都心部に対する劣等感を結束力に変え、

ドイツサッカー界の巨人・バイエルンミュンヘン
に対する闘争心をミッションとして言語化し、

人々に高揚感を与える。

スポンサー獲得においても、
業界2番手の企業を狙ってクラブミッションを伝え、

共感を得ているそう。

自分たちは常に「2番手」
であることを認め、

ナンバーワンを打倒することを旗印に
多くのステイクホルダーを味方につける

ドルトムントの戦略は
いつもしたたかであり、心震わされます。


やり方あり方

ミッションについて書くときに
よく使う言葉です。

集客や売上、営業成果を向上させる
テクニックや方法論といった「やり方」と、

クラブの存在意義や経営者の意志、
ファンが応援する意義を言語化した

ミッションという「あり方

こうすればうまくいく、とか、
これさえマスターすれば成功するといった方法論
を伝授する本はいろいろあって、

それはそれで貴重な情報であり、
成果がでることもなくはない。

でもセンス、というか
雰囲気というか、

本質的な、人としての魅力が
ノウハウ本を読んで備わることはない。


小手先のテクニックではなく、
どっしりとした「あり方

あり方」を軸に
やり方」がデザインされるから

説得力ある(説明責任をともなった)行動
としてファンの目に映るんだと思います。

やり方が先にきちゃうと、

「個人の好き嫌い」

にマネジメントされた行動になってしまう。

社員A、社員B、社員C
それぞれの嗜好に合わせて施策が考えられ、
発信されるとどうなるか。

一貫性はあっという間に
崩壊してしまいます。

あり方」が大事だと訴えるのは
一貫性と信頼の棄損を防ぐためでもあります。


戦略読書日記(楠木建)

モテている人にはその人に固有の理由がある。センスとはそういうものだ。モテない人ほど、こうやったらうまくいくというデートの「必殺技」「必勝法」を探しに行く。
国語算数理科社会の教室を出て、デートをしてみることが大切である。四教科の平均点が高いというだけでセンスの欠如した「代表取締役担当者」からは、ビジョンも戦略も出てこない。
「熱き心」が経営者には不可欠


ここに書かれているのはまさに
あり方」の話。

やり方」を求めれば求めるほどに
おかしな方向に進んで

大変な結果に陥ると指摘しています。

ファッションセンスのない人に30万円を渡して
セレクトショップに行かせたらおそらく、

ヒドいことになって出てくるはず。

逆にセンスある人は、
息を呑むような見事な姿で現れ

周囲のため息を誘うことになるでしょう。


少し話が逸れますが、

早稲田大学スポーツ科学学術院
石井昌幸さんが記された

日英サッカー報道に見る『スポーツの言語化』とは

という論文に、
こんな文章が掲載されていました。

英国人の彼は、どちらかというとサッカーはラジオで聴くほうが好きなのだそうだ(中略)ホームゲームはスタジアムに足を運び、アウェーゲームはラジオで聴く。
大人も子どもも、男も女も、いっぱしの評論家のようなコメントをしている。みんなサッカーを語る言葉を持っているのだ(中略)サッカーの言語化は、すでに100年以上の歴史を持つ。
長い歴史のなかで積み重ねられてきた、言語によってサッカーを「伝え、伝えられる」文化が、人々の日常生活のなかに、歴然と生きているからだと思われる。
スポーツという事象を言語によって切り取り、共有するという作業は、きわめて高度で、困難な営みである。


100年以上の歴史がある
イングランドサッカー。

発足当時はテレビがなく、
新聞やうわさで試合の様子や結果が伝えられ、

スタジアムに行けない人にとっては
「言葉」がサッカーを知る唯一のよりどころでした。

そしてラジオが世に出回り、
瞬時に、たちどころに言語化して伝えられる

ピッチパフォーマンス、
スタジアムの様子、ファンのチャント、
天気の具合など、

それらはサポーターに「サッカーの言語化」
の浸透をより一層加速させたはずです。


アナウンサーが発する豊かな言語は、
あらためて新聞記事に活用、転用されたりもして、

サッカーやサッカーにまつわる事象を
言葉によって伝えるという営みが育まれ、

洗練されていったと推察されます。

イングランドにおけるサッカーは、
競技そのものだけではなく、

「サッカーを言語化する」こともまた、
100年以上の歴史を積み重ねて今がある

ということを石井さんが
論じていらっしゃいます。


日本はぼんやりとした叙情的な表現が非常に多く、試合描写よりもエピソードがちりばめられていることが多い一方、イングランドでは試合のプロセスそのものが言語で表現され、それが持つ文脈や意味が、さまざまな角度から重層的に分析・解説される

として、サッカーの報道による違いを指摘。

安易な叙情化に流れることは、
スポーツそれ自体について語る言葉を脆弱化させる

として、

サッカーという事象を
言語によって切り取り、共有するという

極めて高度で困難な営みと努力の積み重ねが
いまだ浅い日本のサッカー文化に対して、

言語化への格闘が不可欠

であると警鐘を鳴らしています。


これはサッカーという競技に対する言語化
について論じたものですが、

ビジネスサイドにおける
言語化への取り組み、努力も、

プレミアと比較して
Jクラブには圧倒的に不足していると感じます。


映像がコモディティ化されていない時代に、
ノンバーバルなコミュニケーションは成立しない。

だからこそ言語化能力の発達が
促進されていったのでしょう。

一方日本では、

プロ化された1993年には
すでにテレビが一般化され、

某解説者よろしく、

そこに豊かな言語がなくとも
サッカーを楽しめる環境が整っていました。


その後急速にインターネットが発達し、
今やスマホで手軽にいつでも、

解像度の高い映像を通して
サッカーの魅力を堪能できる恵まれた時代。

「サッカーを知ること」に昔ほど、
高度な言語化能力が必要とされなくなりました。


であればそんな時代に抗うことなく、

クラブミッションは、
映像を通して発信することができる。

流行りのYouTubeやVoicyでもいい。

毎日ファンに向かって、
熱く自分の思いを伝えるクラブが出てきてほしい。

ちなみにこの方は
毎朝ファンに語りかけてくれる。

熱い人だ。




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