イラン大統領選の決選投票で改革派が勝利
第14期イラン大統領選挙の決戦投票が7月5日に実施され、改革派のマスウード・ペゼシュキヤーン候補が保守強硬派のサイード・ジャリーリー候補を破り、当選した。同選挙は6月28日の第一回投票にて過半数の票を獲得した候補がいなかったため、第一回投票での得票数上位2名による決選投票となっていた。
選挙結果は以下の通り。
事前の予測では、有力な保守穏健派・改革派の候補が資格審査で排除され、残された唯一の改革派候補であるペゼシュキヤーンは知名度が低いのに対し、競合する保守強硬派候補は政治経験も豊富で知名度も高いことから、改革派候補の勝利は絶望的と見られていた。ペゼシュキヤーンは第一回投票で予想外の躍進を果たし首位で通過したものの、決選投票では第一回投票で敗退したガーリーバーフ候補が同じ保守強硬派のジャリーリー候補支持を表明したため、第一回投票の結果から見られる支持層の差ではペゼシュキヤーンが不利であると指摘されていた。
ペゼシュキヤーンが事前の予測を覆して勝利したのには、主に二つの要因が考えられる。一つは、第一回投票をボイコットした層の票を掘り起こすことに成功したことである。ライーシー大統領の事故死により急遽実施されることになった大統領選は、体制の意向が色濃く反映され、保守強硬派の勝利を演出しようとしていたことは明白であった。「出来レース」に辟易するイラン国民の態度は第一回投票の投票率に現れており、史上最低の投票率を記録した2021年大統領選の48.5%を大幅に下回る39.9%が記録された。ペゼシュキヤーンはジャリーリーとの討論において「6割の有権者が投票をボイコットしたことは政府へのメッセージだ」と言及する等、政治無関心層への呼びかけを続けた。またペゼシュキヤーンが第一回投票で首位に立ったことで、政治変化を起こせるとの期待が広がり、決選投票では投票総数が600万票増え、投票率は10ポイント近く上がり49.7%と大きく上昇した。選挙において決選投票の投票率は一般的に低下するものであり、イランでも2005年の大統領選で決選投票になった際には第一回投票の62.7%から決選投票は59.8%に低下している。今回の49.7%はイラン大統領選の歴史において3番目に低い投票率ではあるが、わずか1週間で有権者の1割が投票態度を翻したことは驚異的な変化と言えるだろう。
ペゼシュキヤーンが勝利したもう一つの要因は、保守強硬派内の対立が大きくなり、一部がペゼシュキヤーン支持に流れたことがある。保守強硬派陣営では第一回投票の前にジャリーリーとガーリーバーフのいずれかに候補を一本化すべきだとの議論が為されていたが、最後まで両者は譲らず、投票日に突入した。敗退が決まったガーリーバーフはジャリーリー支持を表明したものの、ガーリーバーフの選挙運動の責任者はペゼシュキヤーン支持を表明するという不可思議なことが起きている。また、ガーリーバーフの支持層である革命防衛隊の司令官等、他にも複数の保守強硬派支持者がペゼシュキヤーンへの投票を呼び掛ける現象が確認されていた。これは保守強硬派の中でも穏健派に近い人たちの間で、ジャリーリーはあまりに過激な強硬派であることへの懸念があり、国会議長であるガーリーバーフが大統領に就任したジャリーリーと対立することを恐れたためとも指摘されている。一方、ペゼシュキヤーンは改革派の政治家であるものの、選挙戦では保守層にも訴えるレトリックを駆使しており、穏健な改革派と見られたことで保守層の票の取り込みに奏功した可能性はあるだろう。
選挙全体を通じて波乱の展開になったが、ペゼシュキヤーン当選は粛々と受け止められており、敗北したジャリーリーはペゼシュキヤーンに祝意を伝達している。ハーメネイー最高指導者も選挙戦の最中において米国への接近を非難して保守強硬派を側面から援護する間接的な選挙介入をしたものの、選挙結果には異を唱えず、ペゼシュキヤーンとの会談では決選投票で投票率が上昇したことへの満足を表明した。ハーメネイー最高指導者は第一回投票の後、投票率が「期待よりも低かった」と述べており、民衆の体制不信の高まりを懸念していた可能性は高い。体制の安定性を優先する立場からペゼシュキヤーンの当選を受け入れたとすれば、イラン内政はひとまず大統領選出という最初のハードルは超えたことになる。
もっとも、選挙に勝利したペゼシュキヤーンの前途は多難に満ちている。ペゼシュキヤーンが獲得した1600万票は、当時の史上最低投票率で当選したライーシー前大統領が獲得した1800万票より200万票も少なく、国民からの強い支持に支えられているとは言い難い。また、69歳での大統領就任は過去最高齢である。高齢でありながら過去の政治経験は2001年から2005年までの保健相と2008年から16年間続く国会議員のみであり、国政に精通した老練な政治家というわけでもない。さらに、今年3月の国会議員選挙によって国会は保守強硬派に占有されており、国会との関係においても調整が難航するものと見られる。
政策面では、西側諸国との対話を通じた対イラン制裁の解除をペゼシュキヤーンは掲げているが、大きな変化が期待できるかは微妙なところだ。今次大統領選においても、ペゼシュキヤーンは他候補から核合意を離脱したのは米国側であるにも関わらず、米国への妥協を容認するつもりかと厳しく糾弾されたが、これと同じ議論が新政権下でも繰り返される可能性は高い。核問題においても最終的にはハーメネイー最高指導者に決定権があり、ペゼシュキヤーン政権が取り得る選択肢の幅は限られている。IAEAの査察への協力や核濃縮活動の停止といった米国との対話再開の糸口となるような部分的な政策変更や、ザリーフ元外相を始めとする核合意の成立に貢献した人々を政権入りさせることは十分に有り得るだろうが、ライーシー政権下でもロウハーニー政権下でも核合意の復活には失敗しているように、合意の条件をいずれかが修正しない限りは何度交渉をしても同じ結果になるだけだろう。さらに、米国では11月に大統領選が控えており、8月に発足するペゼシュキヤーン政権との間で即座に交渉が始まる可能性はほぼない。そしてトランプ候補が勝利するようであれば、これらの議論は全て水泡に帰すことになる。
また、ペゼシュキヤーン政権で欧米諸国との融和が図られるとしても、革命防衛隊を通じた周辺諸国への影響力の浸透や民兵への支援といった軍事方針が変更されることはない。最高指導者の直下にある革命防衛隊は大統領の指揮下になく、政権幹部ですら革命防衛隊の動向について情報共有されないことも日常茶飯事である。特に革命防衛隊が改革派政権に積極的に協力姿勢を示すことは考え難く、彼らは彼らの独自の利害に基づいて行動を続けていくだろう。ガザ情勢を中心として、レバノンやシリア、イラク、イエメンにおけるイランの行動に変化がない以上、周辺諸国や欧米諸国との一定程度の軋轢は今後も残されたままとなる。
一方、イラン国内の人権問題については、一定の改善が期待できるかもしれない。ペゼシュキヤーンは体制による民衆デモの弾圧には批判的な立場であり、2022年のヒジャーブ問題においてもデモ側を擁護した。自身の出自がアゼリー系とクルド系であることもあり、マイノリティを始めとする社会的弱者の保護にも熱心な姿勢を見せている。イランの人権状況がたびたび欧米諸国から問題視されることを考えれば、イラン国内の政治的変化が好感を持って受け止められる可能性は十分にある。