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中国主導のパレスチナ「和解」?

7月21日から23日、中国の北京においてパレスチナの14各派を集めた対話が開催され、各派の分裂を解消してパレスチナの団結を強化することを謳った「北京宣言」への署名がなされた。同対話にはヨルダン川西岸においてパレスチナ政府を主導するファタハのマフムード・アルール中央委員会副議長と、ガザ地区を実効支配するハマースのムーサー・アブー・マルズーク政治局次長が代表としてそれぞれ参加しており、ヨルダン川西岸とガザ地区の分裂状態を解消することが期待されていた。北京宣言では、パレスチナ解放機構(PLO)がパレスチナ人を代表する唯一の正当な機関であることを確認し、戦後のガザ復興に焦点を当てた暫定的な国民和解政府を樹立することに合意しており、パレスチナ国家の独立を強く呼びかけている。

北京対話の閉幕式(前列中央は中国の王毅外相)
出所: 中国外務省

パレスチナでは2006年1月に立法評議会選挙が実施され、定数132議席のうちハマースが過半数となる74議席を獲得して圧勝、PLOを主導してきたファタハは45議席しか獲得できず、同年3月にハマース主導の内閣が誕生した。しかし、イスラエルと欧米諸国はハマース主導のパレスチナ政府を認めず、パレスチナへの経済支援を停止。苦境に陥ったパレスチナは、2007年2月にサウジアラビアの仲介でファタハとハマースによる挙国一致内閣を成立させるマッカ合意を結び、同年3月に内閣を発足させたが、両者の対立はすぐさま先鋭化し、6月にはヨルダン川西岸をファタハが主導するパレスチナ政府が、ガザ地区をハマースが実効支配する分裂状態へと発展し、今日に至っている。

パレスチナの分裂はパレスチナ国家の独立を妨げる最大の内的要因となっており、最大の外的要因であるイスラエルとの交渉を進める上でも早々の解決が求められていた。2007年の分裂以降もファタハとハマースの和解の機運は何度もあり、2008年にはサナア宣言、2011年にはカイロ合意、2012年にはドーハ合意とカイロ合意(2回目)が結ばれたものの、いずれも履行の段階において成果を挙げられずに終わっている。2014年4月にはガザ合意が結ばれ、同年6月には7年ぶりの統一内閣が発足したが、ハマースがガザの支配権を譲渡しなかったため翌年5月に崩壊している。その後も2017年にカイロ合意(3回目)、2020年に和解合意(調印場所不明)、2022年にアルジェ合意が結ばれているが、いずれも履行で失敗をしている。

これらの過去14年間の合意の締結と履行の失敗の歴史を振り返ると、今回の北京宣言の実効性は極めて疑わしい。両者はこれまで和解への原則や早期選挙の実施では何度も合意しており、和解実現の障害が原則論ではなく履行プロセスにあることは自明である。こうした和解協議が中国で開催されたことは中国の中東外交政策や中東における存在感の向上を確認する上では一つの興味深い事例であるが、積極的な関与をほとんど行わない中国の外交方針が大きく変わらない限り、パレスチナの分裂の解消を始めとする中東の地政学情勢に意味のある変化をもたらすことはないだろう。

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