シリア・アサド政権の崩壊
11月27日から始まったシャーム解放機構(HTS)を中心とする反体制派による攻勢は11月29日にシリア第二の都市であるアレッポの制圧を容易に成功させると、これを皮切りにアサド政権軍の戦線は崩壊し、反体制派は12月5日に第四の都市であるハマー、8日未明に第三の都市ホムスを制圧していった。これを受けてバッシャール・アサド大統領は12月8日にロシアに亡命、反体制派は無血開城となった首都ダマスカスに入り、2011年から13年間続いていたシリア内戦が終結、アサド親子2代に渡る53年間のシリア統治が崩壊することになった。
シリア内戦の経緯と余波
2011年にアラブ諸国で発生した体制転換運動である「アラブの春」はシリアにも波及し、同年3月には大規模な抗議運動がシリア国内各地で発生するようになった。アサド政権は抗議運動を苛烈に弾圧したことで、抗議運動は武装化し、内戦に発展することになる。13年間の内戦は、人口2000万人のシリアで、死者50万人、国外避難民500万人、国内避難民720万人という未曽有の人道危機を引き起こした他、2014年には「イスラーム国」(IS)がシリア領内で占領地を広げて国際的にイスラーム過激派の活動を活性化させることにも繋がった。
シリアでの内戦が長期化していた背景には、「アラブの春」で体制転換が起きたチュニジアやエジプトと異なり軍の中枢が体制側に付いたこと、反体制派勢力が統一した戦線を築くことができず相互に対立を続けたこと、国際社会による反体制派への支援が限定的だったこと、イラン、ロシアがアサド政権を軍事支援したことが大きな要因だったと考えられている。
イラン、ロシアの軍事支援を得たアサド政権は、2016年にはアレッポを反体制派から奪還、2017年にはクルド勢力と協力してIS支配下にあった第6の都市デリゾールを制圧した。反体制派勢力の支配地は北部のイドリブに縮小したものの、トルコ軍が部隊を前方展開したことでアサド政権軍は進軍を停止し、2020年3月にはロシアの仲介で停戦が成立、これ以後は大きな戦闘が発生することなく戦線は膠着することになる。
アサド政権の存続が確定的になったと見られたことから、2021年以降は内戦により関係が途絶えたアラブ諸国との関係正常化が進んでいった。2022年3月にはアサド大統領が内戦後初となるアラブ諸国訪問となるUAEへの訪問を実現し、国際的な孤立を打破しつつあることを印象付けた。2023年5月にはアラブ連盟において内戦によって参加資格を凍結されていたシリアの復帰が決定されており、米国の対シリア制裁解除やトルコとの関係正常化に向けた外交が進められてきたところであった。
一方、2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始し、2023年10月から始まったガザ戦争が波及してイスラエルによるヒズブッラー、イランへの攻撃が激化したことは、アサド政権を支える軍事支援がか細くなることを意味していた。ロシア、イランの立場を強く支持するアサド政権とアラブ諸国との関係正常化の動きも停滞するようになり、アサド政権の孤立した状態は解消されてはいなかった。
シリア情勢の展望
ダマスカスを制圧したHTSは、アサド政権下で今年9月から首相を務めてきたムハンマド・ガージー・ジャラーリーが暫定的に政権を率いることを承認する声明を発出し、シリア国民によって選ばれた政権への平和的な政権移譲を実現する意思を示している。ジャラーリーは民主的な選挙の実施を呼び掛けているが、本稿執筆時点(12月9日)では、選挙の実施の有無も含めて新政権がどのように成立するかは明らかになっていない。
シリアの反体制派は利害の異なる複数の勢力で形成されており、今回の攻勢作戦を主導したHTSはその一つに過ぎない。シリア北東部ではクルド勢力の人民防衛隊(YPG)を中心とするシリア民主軍(SDF)が広範な自治を確立させており、トルコから支援を受けるシリア国民軍(SNA)はシリア北部においてHTSと比肩する存在である。南東部には米国が支援する自由シリア軍(SFA; 内戦開始当初の反体制派勢力の総称である自由シリア軍(FSA)とは別の組織)がおり、南部では新たにドゥルーズ派の勢力等を糾合させた南部指令室(SOR)が結成される等、複雑な様相を呈している。これらの勢力はアサド政権の打倒では一致していたが、新政権の樹立に向けて協力関係を築けるのか、そして武装闘争を完全に放棄して武装解除に応じるのかは予断を許さない。各勢力が自派の影響下にある地域において支配を継続するようであれば、仮に新政権が発足したとしても中央政府の統治が及ばず、国家は分断状態に陥りかねない。
また、攻勢を主導したHTSは新生シリアにおいても大きな政治的影響力を有することになるだろうが、同組織はアル=カーイダとの関係性を疑われて欧米諸国を始めとする複数の国からテロ組織指定されており、これが解除されなければシリア復興の大きな阻害要因になりかねない。HTSは2011年にシリアにおけるアル=カーイダの下部組織として設立されたヌスラ戦線を母体としているが、同組織は2016年にアル=カーイダとの公式な関係を清算し、2017年にその他の複数のイスラーム主義組織と合併して設立された。これに不満を持った親アル=カーイダ分子はHTSを離脱して2018年にフッラース・ディーンを結成しており、HTSはこれと対立関係にある。従って、組織的にはHTSとアル=カーイダの関係は切れているものの、思想的にはアル=カーイダ同様の過激なイスラーム主義に基づく統治の実現を目指している可能性があるとして、米国等の諜報機関からは警戒されている。HTSの指導者であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(実名アフマド・シャルア)は、今回の攻勢作戦においても他宗教の信徒や旧アサド政権の幹部にも寛容な姿勢を打ち出しており、包括的な政治の実現を目指すことを表明しているが、こうした態度が今後も継続するかを国際社会は注視することになる。
また、シリア領内では現在、内戦の混乱に乗じてゴラン高原を占領したイスラエル軍、反体制派を支援するために北部に進駐しているトルコ軍、アサド政権を支援してきたロシア軍、対IS掃討作戦を継続する米国軍がそれぞれ展開しており、これらの諸外国との関係をどのように整理していくかも新生シリアの大きな課題となる。支援すべき対象を失ったロシア軍は早々に撤退する可能性もあるが、地中海唯一の基地であるタルトゥースの海軍基地は重要な戦略資産であり、新政府と交渉の余地があるならば維持したいのが本音だろう。反体制派支援を継続していたトルコは、国境地帯におけるクルド勢力の排除を目的にシリアに介入しており、新政府との間でどのような合意が結ばれるかが大きな鍵となる。米国はIS掃討が実現するならば撤退に向けて舵を切ることになるだろうが、シリア情勢の混乱が収まらないようであれば現状維持を図る可能性が高い。いずれにせよ、どの国も情勢を見極めながら行動することになるだろう。