激化するガザ情勢
10月7日朝にパレスチナのガザ地区を実効支配するハマースがイスラエル領内へ数千発のロケット砲を打ち込むとともに、イスラエル領内に侵入し、1,000人以上に及ぶ民間人を殺害した挙句、外国人を含むおよそ150人を拉致して人質としたことをきっかけに開かれた戦端は、開戦から1週間を経て、さらに激化する兆候を見せている。
50年ぶりの戦時体制となったイスラエル
同日夜にイスラエル政府は安全保障閣議を開き、「基本法:政府」第40条に基づいて「戦時体制」にあることを承認し、必要な軍事的措置をとるとした。イスラエルとハマースは過去に何度も衝突しており、2014年の衝突ではパレスチナ側に2,000人を超える死者が、イスラエル側には73人(うち軍人は66人)の死者が発生した。しかし、過去のいずれの衝突においてもイスラエルは戦時体制には移行していない。同国が戦争状態に入ったことを公式に宣言したのは1973年の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)でエジプト・シリアの奇襲攻撃を受けて以来のことであり、今回の事態がイスラエルにとって、これまでのハマースとの応酬とは異なる段階に入っていることを示唆している。
イスラエル空軍は開戦から6日目となる10月13日の時点で、6,000発の爆弾を投下したと発表している。中東研究所のチャールズ・リスター上級研究員によると、国際的な反「イスラーム国」連合がシリア・イラクで投下した爆弾の月平均が2,500発であり、人口が密集した狭い空間に短期間で激しい空爆が行われたことを示している。
イスラエル軍の作戦は空爆から地上戦へと移行するのが秒読みに入っている。10月14日、イスラエル軍は「部隊が国内各地に配備され、重要な地上戦に重点を置いた戦争の次の段階に向けた即応性を高めている」と発表した。イスラエルは建国時に周辺を敵国に囲まれていたことから徹底した徴兵制が敷かれており、10月9日には早くも予備役30万人の招集を決定し、大規模な作戦の開始に向けた準備を迅速に進めてきた。2014年のガザ紛争では当初4万人、最終的に8万人の予備役が招集されたことから、今回の招集規模に鑑みると過去50年に例を見ない程の大規模な作戦になることが予想される。
「人間の盾」を使うハマース
奇襲攻撃を成功させたハマースだが、イスラエルの軍事能力を削ぐような作戦は実施しておらず、ハマースはイスラエル軍に対して軍事的には圧倒的に劣勢な状況にある。2008-09年のガザ紛争では、イスラエル側の死者が13人に対し、パレスチナ側の死者は1,330人に上っており、被害者数の差は100倍も開いている。地下トンネルを駆使してイスラエル軍に予想外の損害を与えることに成功したと言われる2014年の衝突においても、イスラエル側の死者72人に対しパレスチナ側の死者は2,251人であり、被害者数の差は30倍だ。
イスラエルによる大規模な地上作戦を抑止すべくハマースが実行しているのは、イスラエル領内から拉致してきた人質とガザ地区の住民を利用した「人間の盾」作戦である。
10月9日、ハマースの軍事部門イッズッディーン・カッサーム旅団のアブー・ウバイダ報道官は、イスラエルが警告なしに民間住宅を爆撃するたびにイスラエル人の人質を殺害すると脅迫し、イスラエルの攻撃を止めようと試みた。その後もイスラエルの空爆は停止していないが、ハマースによる人質の殺害は現時点で確認されていない。他方、ハマースはイスラエルの空爆によって人質が死亡したと発表しており、本稿執筆時点で外国人を含む22人が死亡したとしている(イスラエル軍は人質が死亡したとの情報を否定している)。ハマースは拉致した人質の総数や国籍を明らかにしていないが、これはイスラエルに対する交渉の材料として利用するためであり、同時に自国民が拉致された可能性がある諸外国がイスラエルに軍事作戦を抑制するよう働きかけることを狙ったものであろう。
また、イスラエル軍は大規模な地上作戦の開始に備えて、ガザ地区の北部一帯から避難するよう住民に要請している。イスラエルは安全地帯を設定した上で住民の避難を誘導していると主張しているが、国連のマーティン・グリフィス事務次長は「ガザ北部から110万人の住民を避難させようとする指示は、戦時国際法と基本的な人道に反する」と述べ、イスラエルを批判している。これに対し、ハマースは住民に自宅に留まり、「占領者」による心理戦に立ち向かうよう呼び掛けている。ハマースの立場を正当化するならば、ガザの住民が避難をすれば「占領者」であるイスラエルにより更にパレスチナの土地を奪われることになり、帰還することができなくなるというパレスチナ問題の根源に関わる危機感の表れと言えよう。しかし、ガザ住民が留まればイスラエルは民間人の死傷者を最小限にするため大規模な地上戦の開始には踏み切れず、また民間人の被害者が増えれば増える程イスラエルに対する国際的な非難が高まると期待できることから、戦術的にガザ住民を利用しようとする思惑もあると考えられる。イスラエル軍はハマースが道路を封鎖する等して住民の避難を妨害していると主張しているが、現時点では真偽は不明である。
既に数十万人のガザ住民が南部に向けて避難しているとも報じられているが、病人や怪我人、高齢者等、避難が困難な者も多くいることから、住民がすべてガザ北部から退避するという事態は起きないだろう。また、ハマースが拉致した人質はイスラエルに対する交渉の鍵となることから、何の見返りもなしにハマースが人質を解放することも考えづらい。
仲介する力を欠く国際社会
このような状況において、イスラエル軍が地上戦に踏み切るかが一つの焦点となっているが、国際社会はイスラエルやハマースの行動を抑制するだけの圧力をかけられておらず、開戦から1週間で危機はエスカレートする一方である。米国を始めとする欧米諸国は、今回はハマースが先に軍事攻撃を仕掛けたこと、そして民間人を虐殺する非人道的な行為を実施したことが明らかなことから、イスラエルの自衛権行使を認めており、イスラエルの軍事行動を十分に抑制する働きかけが出来ていない。
同様に、ハマースに一定の影響力を持つイランやエジプト、カタール、トルコといった国々も、パレスチナ問題をめぐっては国内世論にも配慮する必要があることから、まずはイスラエルが軍事行動を停止するべきであるという立場を示しており、ハマースに強い姿勢で圧力をかけられる状況にない。
今のところ国際社会や周辺国が一致して対処できているのは、ガザでの紛争が周辺国に飛び火し、より大きな動乱を招かないようにしている点のみであるが、ヨルダン川西岸やレバノン南部では既に新たな衝突が発生しており、これが深刻化していかないか注視を要する状況になっている。周辺の情勢の詳細は次回で取り上げたい。