祈りの戦士
翌朝、9月から始まるバイブルスタディのグループリーダーズミーティングに行った。そこで、私の乳ガンについてリーダーから短い説明があり皆が祈ってくれた。その時、私が風邪をひいていたため咳き込んでしまうと、友人が咳き込む私を見て憐れんで泣いていた。私は、咳は癌の症状にではないのにと思いつつ、やはり癌は死を予感させる病なのだと改めて感じた。
そこには、昨年私のグループメンバーだったが、今年はグループリーダーとしてこのリーダーズミーティングに参加しているメンバーがいた。彼女は、昨年乳ガンを煩い、手術をしていた。彼女はすぐさま私のもとに来て、ハグをしてくれた。昨年は私が彼女を励ましていたが、今回は彼女が私を励ましてくれた。当時私は乳ガンの精密検査をしたことがあったので、彼女の苦しみに寄り添っているつもりだった。しかし、乳ガンの精密検査をしても乳ガンでなければ、実際に患者の気持ちは理解できない。私は自分が乳ガンと診断され、初めて彼女の辛さが理解できた。彼女は、私に「いつ手術するの?」と聞いてきた。私は、手術するつもりはないこと、医師にもイエスキリストの癒しと薬膳による癒しを信じると伝えたことを話した。彼女は困惑していた。私が「あなたはなぜ手術したの?」聞くと、彼女は「医師に手術しなければ死ぬと言われたの。」と言って涙ぐんだ。彼女はステージ2だった。
その後、別のリーダーが声をかけてきた。彼女は、5年前に全身リウマチになって、動けなくなった時のことを話してくれた。全身の痛みで、食事を作ることも、食べることも、寝ることもできないほどの酷い痛みに苦しんでいた。医師からは薬もなく、手の施しようがないと言われた。ある日彼女の病を聞いた友人が連絡をしてきて、その友人はそれから毎日、彼女のために聖書から癒しのことばをメールで送ってくれたそうだ。その後、彼女は奇跡的に癒され、今は何の問題もなく普通の生活をしている。彼女は私にその友人が彼女に送った聖書のことばをシェアし、祈り、励ましてくれた。イエスキリストの目的は十字架ですでに完了していると。
[イザヤ書 53:5]
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
通常、乳ガン手術の決断は1ヶ月くらいで決めなければならない。乳ガン手術をしたリーダーの信仰の度合いとは関係ない。私のように他にも癌の可能性が見つかり検査のために1ヶ月の猶予が与えられたのは稀なケースだ。しかし、奇跡的な癒しの経験者をこんな身近に備え、祈り励ましてくれたことは、癒しは神の目的であるとしか思えなかった。
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