専業ミュージシャンはもう古い
あけました。おめでとうございます。
書きたいことや言いたいことは山のようにあるのですが、
面白く読ませる自信がないので記事が滞りがちの倉坂です。
今日は"専業ミュージシャンはもう古い"
と、プロミュージシャンに真っ向からケンカを売るようなタイトルにしてみました。
ごめん。
タイトルでちょっと釣った。
正確には
"専業バンドマンはもう古いかもよ?兼業バンドマンを目指すのもアリじゃない?"
って内容です。
ミュージシャンってよりバンドマンってニュアンスの方が言いたいニュアンスに近いかも。
さて
ひと昔まえ、学生さんが進路の話題なんかになった時によく聞いたフレーズ
「俺は音楽で飯が食いたいんだ!」
じぶんも高校を卒業するタイミングで口走った気がする (照)
はじめてKANA-BOONのライブを見た時に、ライブ終了後のGtの古賀をつかまえて「音楽で飯くいたい?」なんて前のめりに質問したのも、気が付けば10年前ぐらいの話。
時の流れおそるべし。
だけど、10年たって思うんですが
「音楽で飯を食う」
なんてフレーズはここ最近では、ぼくはまったく使わなくなったなぁ。
ちなみに「音楽で飯を食う」というのは、
イコールで「バンドでプロになる/メジャーデビューする」
という意味で、当時は使ってました。
「バンドをはじめたからにはメジャーを目指せ!」って考え方が、ここ10年ですっかり古くなってしまったなぁ…とせつに思う昨今。
理由はもちろん色々とあるのですが、やれ「CDが売れなくなった」とか「音楽業界の不況が…」みたいなよく見かける理由とかとは別で
もっと俯瞰で社会全体を見てみると色々と気づくことがあります。
ぼく的に、一番おおきな理由になっていると思うことを書いてみたいと思います。
それは
資本主義社会の限界
どん
ああ、閉じないで。
もうちょっと我慢して読んで。
そんなにややこしいことは書かないから。
アレルギーをおこさないで…!
前の記事にも書いたことがありますが
資本主義ってのは
お金をみんなでがんばって稼ごう!
そして成長していこう!
そしたら、みんな幸せになれる!いえーい!
みたいな考え方のことだと思ってます。
ここでの話のキモは
「成長していこう」
という部分。
社会的な成長=生活が豊かになっていく
それが、みんなの幸せにつながる
…って事なんですが、
そもそも、豊かさの限界が近づいてきてる気がするんですね。
車もテレビも携帯電話もパソコンも当たり前にあって、300円代でおいしい牛丼を食べれる国、時代。
がんばったとして
これ以上、なにを豊かにしたらいいんだ?と。
すでに満たされてしまってる僕らは、これ以上どう成長したらいいんだろう?と。
え?これを続けていって、みんな幸せになれるの?
これがつまり資本主義の限界
資本主義というシステムが限界がむかえると、システムの破綻がはじまります。
これもよく言われる話ですが例えば
"終身雇用"制度の崩壊。
ああ、待って。
閉じないで。
マジでややこしい話じゃないから。
ちゃんと、音楽の話につなげるから
説明します
終身雇用ってのをめちゃくちゃ簡単に説明すると
みたいな雇用システムのことです
間違ってたらごめん。
だいたいこんな感じ (と思う)。
ひと昔前の日本はこれが基本だったのに、残念ながらみごとに崩壊しました。
これを言い換えると
「仕事をはじめたての若い時は安い給料で我慢して!
その代わり、あと10年、20年とこの会社でがんばってくれたら、
出世して給料も上がるから!」
っていう条件で納得して、会社に雇ってもらってった。
こういう前提で働いてた人が
あとで給料いっぱいもらえると思って、若いころは我慢してがんばってたのに、けっきょく給料上がる前にクビかい!
とかやられたら、やってられないっすよね。
まさに崩壊です。
やってられないぜ。
で、それによって、どういう事が起きるのかと言いますと
「生涯ひとつだけの仕事をして人生を終える」なんて、もう過去の話じゃね?
という意識の変化がおきる。
意識が変化していくと、どういう行動が起きるか
が増えてくると思います。
本音はね
もしかしたら、正社員として働きたいし、ひとつの仕事でビッグマネーを稼ぎたい!と思ってるかもですけど、これは世の中の流れ的な話。
昔のやり方に固執してるわけにもいかないので、生きていくために自然とそんな流れに移行してるように僕には見えます。
一つの仕事にコダワリすぎる
というのが、どうしても前時代的になってるように思うのです。
で、前置きが長くなりましたが、この"仕事"という言葉を"音楽"に置き換えて考えてもらえたら、すごくわかりやすいんじゃないかな?と。
一つの仕事(バンド)にコダワリすぎる
ことによって、自分の首をしめてしまうぐらいなら、例えば別の仕事をしながら、きちんとこだわって(プロ意識をもって)バンドをやる
という生き方も、いまの時代っぽいのではないかな?と。
もちろん、バンドだけをやっているバンドマンには負けてしまう部分もあるかもしれません。
それでも、ペースは遅くてもしっかり自分らしく音楽と向き合って、活動してるヤツもかっこよくないかな?と。
「そんな風に片手間でバンドやってるって思われるのかっこわるくないですか?」と思われた方もいるかもしれませんが、
それなら別に"仕事してる""バイトしてる"って人に言わなければいいだけだし。
自分の生き方としてベストをつくして向き合ってやってるのなら、それは決して片手間ではないと思うのです。
"無理をして進んでいく"っていうのと同じぐらい、"自分らしくやっていく"っていうのにも価値があるんじゃないかな?と。
そもそも
「〇〇で飯を食う」という言いまわしが、職人気質を良しとする時代の考え方だと思うんです。
つまり、これは
「技術で飯を食う」
というニュアンス。
この感覚って、高度経済成長期の日本人的な発想に引きずってる風に見えてしまうんですね。
技術力で一丸となって経済を成長させていた頃の話。
それを追い求める
夢として追いかける
こんな生き方を美徳と考える感覚。
個人的に嫌いな考え方じゃないんですが、ちょっといまの時代感とこの感覚はズレてきてるんじゃないのかな?と思います。
さらに言えば、そもそも"夢を追いかける"という生き方が美徳されていた時代っていうのは
ある程度の豊かさが社会的に保証されていて
ひとつの仕事を生涯をかけて全うする
というのが美徳だった時代
…これも80年代バブル期の産物だったのではないでしょうか。
話はそれますが「夢を追いかけよう!」みたいな前向きすぎるメッセージに対して、妙にしらじらしく感じてしまう理由っていうのも、こういうことなんだと僕は思ってます。
なんか"今の時代とずれてる"という違和感。
ひとつのやり方を否定するわけではないのですが、
逆にひとつのやりかたを肯定しすぎず
盲目的に信じすぎに、自分らしいやり方をさぐっていくのも大切なんじゃないのかな?と、なんとなく思いました。
生きる糧を二つにわけるんです。
金銭的な生きる糧は、割り切って他の仕事で得る。
精神的な生きる糧は、音楽と向き合って得る。
もちろんどっちも手を抜かない。
そんな生き方も、すごくかっこいいと思うんですけどね。
生活様式が変わると、考え方も変わる
そうすると正しいとされいたものの価値や意味も変わる
変わったんじゃなくて更新されただけかもしれませんが。
で、これも大切なことなんですが
こんな時代だからこそ逆に
職人気質をもって、プロとして音楽にたずさわってる人間
には、最上級にリスペクトを持つべきだとも思ってます。
プロの仕事っていうのは、ようは"職人芸"や"伝統芸能"的な側面もあるので、
これはこれでしっかりした形で伝承していかないといけないと僕は思ってます。
そういう"プロ育成的な話"はしかるべきタイミングで、文字どおりプロの方にお任せするとして
僕らライブハウスの人間は、大げさに言えば
それぞれが人生の中でどう音楽やバンドと向き合っていくか?
みたいな話を一緒に考えられたらと僕は思ってます。
そんな2020年初頭。
長くなってきたので、次回はこの話の続きで
「ライブハウスの人間の限界がそのままバンドの限界になってしまう」みたいな話を書いてみたい。
ご清聴ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
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