【アート思考とコミュニティゼミ】 第1回「コミュニティをアートする」
いよいよ始まりました!
若宮和男さんこと若さまと学ぶ「アート思考とコミュニティゼミ」。
ゼミの第1回を、特別に公開します!
このゼミは後述するように「体験」型ゼミです。読んだだけではわかりませんし、わかった気にもなれません!また、全5回のゼミのうち、ここまでさらけ出すのは今回限り!ということで、ちょっとでも「おっ!」と
改めて、このゼミのスコープ
コミュニティでも、アート思考寄りの部分を共有する。コミュニティは、作り、仕掛け、自走していくもの。運営が手をかけずとも「自律分散型」で盛り上がるのが真のコミュニティ。ここにアート思考が重なる。コミュニティがアート思考に寄ってきて、自律分散型で有機的に動くまでを考える。
アクティビティ「音楽の時間」
「体験」を通じて学ぶこのゼミ。さっそくアクティビティからスタート。
ー音楽John Cage「4‘33”」
まず「聴き」ました。皆さん、この「4‘33”」、ご存知ですか??読み進める前に、ぜひお聴きください。
いかがでしたか?…何も聴こえない!ですよね??
続いてのワークは、この「4‘33”」をゼミメンバーで「演奏」しました…三楽章全てが「休止」のこの楽曲を!
ー「どんな音が聴こえましたか??」と各自の感想を共有
「生活音」「戸惑い」「緊張した自分の鼓動」「子供の歌声やバイク音」「男性のスーハースーハーという呼吸音」「乗用車の音やイヤホンがこすれる音」「戸惑いのため息、空気が漏れる音、ものを動かすコトっとした音」「キーボードを叩く音。下で喧嘩している声」「生活音、キーボードを叩く音、咳払い」
ー中にはこんな方もいました。
「宇宙音。小さなプチプチ、という音」
「やばい、これどうすればいい?と思っていたら、心臓がバクバクしてきた。そのリズムが一定ではなかった。スタッカートとか。でもそれは、オーケストラだから、そうしなきゃ、と思っていたらからも。」
「みんなの顔を見ていたら、ニヤニヤしてきた。」
「第一楽章チェロ、第二楽章バイオリン、第三楽章ティンパニーな感じ」
「自分の頭の中でオーケストラが動きそうになった。でもタイトルは休止。なので、眠れるような音楽が流れ出した」
「音楽をやっていたので、休止は休止、だと思った。でも、オーケストラが好きなので、ラフマニノフが流れそうになったけど、消した」
「最初はモニター越しの視覚情報が入ってきた。第二楽章で、衣ずれのような音が聞こえるようになった。第三楽章で、意識の変化があった」
ー感想を共有した後、「色、味、匂い、温度、感情」に着目した感想を共有
「色は透明、水の中にいる感じ。温度は生温い、人肌な感じ」
「ワクワクした感じ。でもだんだん感情や思考なくなり、無になって考えることをストップした」
「朝の空気を吸う冷たさ」
「体温下がっていく感じ」
コミュニティをアートする
ここで少し若さまから解説。
ービジネスにおける思考の変遷
ロジカル思考→デザイン思考→アート思考と変遷してきた流れを確認。
ー価値のパラダイムシフト
今求められている理由は、パラダイムの変化。今までの「工場パラダイム」は、違いは悪いこと。同じであることが価値で、違うことは悪。規格化された同じものが出てくることが大切だった。そのために、プロセスがマニュアル化された。
しかし今からの「アートパラダイム」は、他と違うものを作ると価値になる。同じものはパクリや贋作である。
ーアート思考とは
同時多発的に話題になっている考え方。確定した定義はない。
課題解決ではなく、自分起点での自分の見つけ方。
ーアート思考的コミュニティ
コミュニティは「工場」ではない。トップダウンではない。計画通りにはできない。メンバーは取り替え不可能。規格化されたものではない。ここ数年で「コミュニティ」が話題になっているのは、工場の組織では価値を生みづらく、働きにくく、人は生きづらいから。
コミュニティとは?
ーチーム、グループ、コミュニティの違い
ここでブレイクアウトルームへ。コミュニティ(C)にだけある要素、こうなるとチーム(T)、グループ(G)といった要素などを話しました。
ー各グループからの発表
・いろいろ話題になり、時間が足りなかった。グループ(G)とチーム(T)は違う。コミュニティ(C)は?という感じ。Gは集合体、Tは利益や勝敗がある、CはGとTの間。Cは受動的でも能動的でもあり、分類できない。どっちもある。タグで集まるのがC。
・Gはただの集まり。分類できる。Tはアウトプットあり。役割ベース。期限や納期がある。外発的か内発的か。Tはマスト感がある、Cは共感ベース。
・G→T→Cの順で温度感が高まる。色でいうとどれが赤青黄?という話も。Tは志向、目的、ゴール、自立性、厳しさ、人に選ばれて形成。Cは、神話的、連帯、周辺がボケていて、入りやすく、出やすく、自然に作られる。Gは幾何学的だけど、仲間っぽく、両義的。Gは意識的であり、機械的。Gはブレイクアウトルームのような機械的なものもあれば、女子校の女の子=同じ好み、思考性もG。
・Tは目的と期限がありそう。Cにも目的はありそう。Tはいつまでに、どうすると言った、プロジェクト的な感じ。目的はTとCにはあり、Gにはなさそう。面白いなあ、と思ったのはGの単位の大小。人によっては、4〜5人くらいで、G=Tの同じくらいの大きさと思う人もいれば、G=なんとかフィナンシャルグループで何万人レベルと考える人もいる。TとGは「分け」を使うが、Cに「分け」はない。チーム分け、グループ分けとは言うが、コミュニティ分けとは言わない。Cは「場所」みたいな概念。Cは、決められるものではなく、自分で出たり入ったり、分けるという言葉はない。
ここで若さまから一言。
このゼミのワークに正解は無いので色々な視点から面白がって考えるのが大事。違う意見や角度があると学びが深まるので色んな意見を出してください
・Cは決められて集まっているわけではない。出入り自由で、上下関係がなく、横のつながり。とすると、OB会・OG会は?決められた枠や上下関係がある。実はコミュニティではない?コミュニティは春のイメージ、チームは「これをやらねば」があり暗く、冬や夏のイメージ。Cは、人と人との関係で、ねっとりしてる感じ。
と、グループでの議論を共有したところで、ここで若さまから解説。
ー「コミュニティ」ってなんだ?
コミュニティは「分け」=assignがない。チーム分け、グループ分けはあり。「分け」はアート思考的に「他分」。自分で選んだりではない。しかし、先程の議論でグループにも同質性での集まりの「Groopy」という話があて、コミュニティとは違う同質性もあるかな、と考えたくなった。
コミュニティは「共有する」が語源。何を共有するのか、が大事。OB会、学校のクラスなどの集団は「グループ分け」の集団であり、コミュニティではない。しかし、4年3組はコミュニティになっているのに、4年2組はコミュニティになっていない、ということはある。作品もアートになるものと、ならないものがある。違いを生むのは「もう一層乗る意味性や空気感」。チームは、目的があり、競い合い、目標を達成するイメージ。とすると、コミュニティは何を達成するのか。これは自明ではない。
ーいろいろなタイプのコミュニティ
目的、属性、趣味の共有は、コミュニティの本質ではない。
例えば、よなよなエールの「超宴」。集まるが、ビールが目的ではない(第3回で「焚き火と発酵の話」で詳説)。その場の空気が好きで集まっている。
学びの場は、コミュニティになる場合とならない場合がある。学ぶという同じ目的を達せるために、学びに来ている。セミナーも一緒。目的とは違うことの共有、例えば、時間、空間、関係、体験などが共有されることでコミュニティになる。
チームは目的のための集まり。しかし、スポーツはチーム解散後にコミュニティになるのは「体験」の共有があるから。チームは目的性や合理性がある。分けられる。グループもそう。それを超えた空気や体験があると、コミュニティになる。
このゼミの最初にやった「4分33秒」も、集まりがコミュニティになる「体験」。このゼミでは、最初の自己紹介をやめたい、と思っていた。自己紹介は情報を共有することになる。体験や時間の共有の前に情報だけを共有すると、最初に情報を共有すると、その情報で「人」や「もの」を見てしまう。なので、最初に体験の共有が大事。Zoomにみんながいた空間があったが、Zoomの部屋は別。しかし、スクリーンの先につながったホールがある感じがする。そこでの時間と空間の共有からスタート。
ーコミュニティの構造
スター型・ハブ型・牧羊犬型の三分類。
スター型は、スターに矢印が向かっていては、コミュニティにならない。ハブ型と牧羊犬型は、目的が無くなっても、体験が共有されているので、コミュニティはなくならない。スターに向かった矢印だと、コミュニティにならない。ハブ型は間にコミュニティマネージャーが居て人をつなぐイメージ、牧羊犬型は羊の群れで方々からキャンキャン言ってまとめている。
しかし、フェーズが必要。ハブ型などはコミュニティマネージャーしかFacebookグループへ投稿しておらず、その投稿が止まると死ぬ。そんなグループはたくさんあると思う。アート思考的なコミュニティは、誰かが抜けても他の誰かがカバーする感じ。人間の脳のどこかが欠落しても、代わりに要素を受け継ぐイメージ。これが、本当の意味のコミュニティであり、アート思考である。
コミュニティとアートの共通点
Solutionではない。今は同じようなテーマでたくさんのコミュニティがあるが、それぞれ空気感などがちがうから存在意義がある。それぞれにユニークなのがコミュニティ。
コミュニティは、計画通りに出来ないし、変化する。メンバーは、抜けたり入ったりするので、紙に印刷したリスト化は難しい。どこまでがコミュニティが、わからない。
アートもコミュニティも、ブヨブヨと動的で、作っていく時に作っている中で変化する。アートは、出来上がって作りたかったものがわかる。情報は還元できない。コミュニティもアートも、情報でなく体験でつながる。
アートもこれは何の絵?と考え、例えばモナリザを情報として知って見てしまう。アートは存在のありように意味がある。情報に還元すると見逃すものがある。分解し、部分に分けると、有機性が無くなる。
コミュニティは、言われた通り、見る・聞くのではなく、参画して出来事を一緒に作るもの。「何してくれる?」とか「楽しませてくれ」ではコミュニティにはならない。初期のコミュニティや初心者が作るコミュニティほど、コンテンツやスタードリブンになりがち。共同、共有される体験あってこそ、コミュニティになる。ドライブをかけていたピース(コンテンツやスター)が抜けても、コミュニティであり続けるものが、アート思考的にもコミュニティである。コミュニティに再現性や教科書はない。
この場はコミュニティ感があるとか、この人が作ると発酵してきて熱量が出てくることなどがある。コミュニティも、アートも、頭で理解はない。実践している中で磨かれる。このゼミは隔週5回の開催。限られた中で、一緒に考えたり、コミュニティ的体験を通じて、カンを見出すことを目指したい。
質疑応答など
ーQ1:学校はコミュニティか?
学校には入る目的がある。しかし、その目的は形式的だったり、社会の風潮で入る、という側面もある。しかし、子供は先生とも友達とも、体育祭や文化祭などを体験してコミュニティ化していく。しかし、先生はチーム。先生は「子供を育てる」というミッションのあるチーム。学校は混在している。自分は、学校を「学習するコミュニティ」にしたい。何個も側面あっていいのかなとも思う。
ーA:若さまの会社(ユニック)は会社とユーザーのコミュニティ
会社はBasC(Business as Community)。一般的な企業の流れは、BtoCからBwithC。最近は、Cとともに成長を目指し、カスタマーサポートからカスタマーサクセスへ。カスタマーの改善点を吸い上げる。
分社化した「ユアネイル」では、ユーザーとメンバー(スタッフ)の垣根、区別をなくしてみては、という議論になった。アプリを使いこなすユーザーは、メンバーよりもサービスに詳しく、いろいろと教えてくれる。
ユーザーも、サービスとかプラットフォームを通じて自己実現したい、他の人に価値を提供したい、といった思いがある。その対価が、金銭的価値や感謝の気持ち。AirBnBは、会社側から見ればホストも利用者もユーザー。ホストが生み出した価値や感謝に、利用者が対価を支払う。
学校も、先生も生徒も対等に思いながらやってみるのは一案。もちろん、教育指導要領とかがあり、いろいろと難しいことはあると思う。しかし、先生方は、学校の外でいろんなコミュニティでつながっている。きっとそうしたものを求めている。
ーA補足:ゼミメンバーからのコメント
教育現場でBasCを実践している。数千人の学部で、オンラインで日記を書いて交流している。そこに先輩が誕生して、教え合うコミュニティとなっている。さらに卒業生をコーチとして導入した。すると、知識のレイヤーができ、それぞれ主役になれる状況ができつつある。
ー若さまの気づき
これを突き詰めると「職を失う」のでは問題が出てくる。なぜなら、指導者が抜けても存在するから。プロでお金をもらっている人、能動や受動がワンウエイじゃない。
楽天大学のがくちょこと仲山進也さんは、楽天大学で「何も教えないカリキュラム」を作っている。自分が何かを教えるのではなく、どこかの店長の話が他の店長の役に立つ、という「フォーマット」だけ意識した、とのこと。AIに聞いた方が早い、検索してわかることが増えてくると、より「コミュニティ的教育」「教育的コミュニティ」へ揺り戻していくと思う。
ーQ補足:質問したメンバーからのコメント
授業がそうなりつつある。他のクラスは講義をしていても、自分は講義をしない。ディスカッションや対話しかしない。なんなら、一緒にピッチしたりもする。伝えることは対話のコツなど、やることはグループワークをエンパワーすること。
ー若さま
レイヤーは大事。がくちょ曰く、同じ売上の店長だけでは盛り上がらない、とのこと。高低差が大事。友人の東京工業大学の伊藤亜紗准教授と話した時、猫も杓子もアクティブラーニングというが、本当に学ぶ意識からするとつまらない」らしい。学ぶ意欲の高い人は古典の哲学書を読んで、頭をけられたい感じになっている。グループワークのメンバーに高低差がないと、仲良しクラブになってしまう。コミュニティと仲良しクラブは違う。
ーQ2:コミュニティはコモディティ化するか?
コミュニティは、パターンがあるとうまくいくのか?うまくいったコミュニティを移植できるか?アートは引っ掛かりや、作り手の中にあるどす黒い部分が出てくるもののイメージ。それがコミュニティとは結びつかない。
ーA:若さま
今回のゼミのテーマは「コミュニティをサイエンスする」ではなく、あえて「コミュニティをアートする」にしてみた。サイエンスは基本的には再現性がある。しかし、アートは「勝手」にやればいいというものではない。
最近、世阿弥の稽古の話を研究している。稽古はその人しかできないものを生み出すために、形を身につけるために、先に形を作る。再生産することにはならない。コミュニティも再生産はコミュニティではない。世阿弥は稽古の重要性を説いている。能は物真似だからだ。女性や鬼の物真似。だから、最初に稽古をちゃんとするまでは真似るな、歌いと舞をひたすらやれ、体幹を付けないと、その後のことが身につかない、と言っている。
本が出ると上っ面を見て「アート思考できますか?」と聞かれるが、そんなわけない。稽古のための「導き」でしかない。やっているうちに体感できる。コピーではない、だからアート的なのだ。
ー若さまの補足:アート=コミュニティではない
アートとコミュニティは、全部共通ではない。違うところもある。アートもコミュニティも葛藤の発露の場。歪みや残酷を出す。欠点を隠したままだと、丸いものしかできない。コミュニティにおける「何かを共有」は綺麗ゴトだけではない。曝け出せることが大事。「世界平和」を目指すコミュニティもあるだろうが、そこで綺麗なことしか言えないと、コミュニティにならない。アートにもコミュニティにもハラワタあり。両者に共通する可能性を触るところが、このゼミのテーマ。
ー若さまの補足:アートとコミュニティの余白
アート思考的にも制約、ガイド、補助線があった方がいい。子供に真っ白な紙を渡しても、手を動かしにくい。ガイドが引かれた塗り絵くらいがいい。塗り絵だと、自由に色を塗り出す。アートもコミュニティに、どの次元の制約、余白をどの程度残すか、が大事。
ー若さまの補足:コミュニティとメンバーの関係
コミュニティのために成員(メンバー)がいるという感覚は、どうなのか。本来、個人の個性やその人らしさを発揮できる場があってコミュニティのはず。その断片を発揮できる場がコミュニティ。とすると、どっちがどっちに従属していることになるのか。コミュニティはこの可能性を引き出す場。その時にコミュニティはどうあるかを考えていきたい。
編集後記
「アートも、コミュニティも、今、求められている理由は、パラダイムの変化」…どちらも以前からあったものですが、ここ数年、改めて注目されています。その理由は、若さまがゼミ中に話していた「パラダイムの変化」だと、これまた改めて思いました。
今までの「工場パラダイム」では、違いは悪いこと。同じであることが価値で、違うことは悪。規格化された同じものが出てくることが大切でした。ゆえに、そこに集う人材や組織の在り方も「規格化」されがちでした。しかし、工場パラダイムから生み出されるものの価値が下がり、加えて、そこに集う人たちの感覚も変化しつつあります。
「アートパラダイム」では、他と違うものを作ることが価値となります。そのためにも、多才な人が、多様な動き方を許容することが求められます。また、組織が何かを与えるものではなく、自分も参画して一緒に作っていくもの。この在り方が「コミュニティ」とも言えます。
工場パラダイムではプロセスがマニュアル化されていました。しかし、コミュニティ化した集まりは社員と顧客(議論の中では先生と生徒)の境界も曖昧になり、プロセスや組織も「動的」になっています。こうした集まりをどのように生み出していくのか、そこに参加するのか…などなど、今までになかった状況なので「体験」を「共有」しながら見つけていくのかな、と改めてこのゼミの意味を考えました。ボクの中にある「コミュニティ」のイメージも揺さぶられています。
次回ゼミは4月8日(木)。
テーマは「いびつさとユニークバリューを見つける」です。
宿題も出ています。「自分が気になった風景」の写真を5枚撮り、その理由を考えておく。みんな、どんな写真を撮ってくるのやら?!