【コミュラボ】2周年特別企画!第36回オフ会 佐渡島庸平さんと語る 「これからのコミュニティ」
第36回(オンラインでは第18回)のコミュラボオフ会。
今回は2周年特別企画!佐渡島庸平さん(サディ)と「これからのコミュニティ」をテーマにお話ししました。
毎回、このコミュラボのオフ会は学びと気づきがありまくり!なのですが、この回もまた、あふれまくりでした!文字数約1万字!ここまで書き起こしに近い形でまとめることは余りないのですが、今回は2周年企画ということで、皆さんにもお福分けします!
佐渡島庸平さん(サディ)とは
1979年生まれ。
中学時代は南アフリカ共和国で過ごす。灘高校から東京大学文学部に進学し、大学卒業後の2002年に講談社へ入社。
週刊モーニング編集部に所属し、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当する。
2012年に講談社を退社後、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。
従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントの
モデル構築を目指している。
サディにお声かけした2つの理由と今宵の流れ
ー①コミュニティについて話す機会があまりなかったから
サディとの初めての出会いは2014年8月。
慶應義塾大学(当時)の中村伊知哉先生主催のイベント。「メディアではなくコンテンツの力≒コンテンツに集う人たちで、コンテンツの価格が決まり、お金が回る仕組みを作りたい」と話していました。
サディは、コルクで作家や作品の周りにコミュニティを作るなどしてそれを実践しつつ、17年1月にコルクラボを立ち上げ。僕もそのタイミングで第1期生として参加し、今に至ります。
コルクラボは、そもそものコミュニティの作り方、考え方、動き方、活用の仕方などを試し続けています。コルクラボ4周年の今、さまざまな知見が得られたり、そこから通じて見えてきたものがあるはず。
そんなサディとはいろんな機会でさまざまな話をしているものの、「コミュニティ」については、17年10月にコルクラボのオフ会で話して以来、ご無沙汰でした。そこで、コミュラボ2周年のタイミングで、改めて話してみたいと思ったからです。
ー②この1年、話したかったけど、話す機会がなかったから
サディと話すのは、カフエマメヒコオーナーの井川啓央さんと、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さんとご一緒する「ここから何か生まれるかも会議」や、コルクラボ でのゲストを招いての「オフ会」。しかし、コロナ禍になり参加できなくなったり、そもそも開催されなかったり。
しかしサディはこの状況下でも、お芝居に挑戦したり、地方へ移住を決めるなど、いろいろと動いています。そんなサディと久しぶりに、話したかったからです。
このようなサディの生き方や動き方、そこから得られた知見は、今後のコミュニティ作りやこの時代の生き方につながると思い、お声かけしました。
そんなサディとのおしゃべり、スタートです!
コルクラボとその運営方法
ーコルクラボとは
コルクラボを今の心地よさを維持した、1,000人のコミュニティにしたい。
運営に、誰をどう入れるか、どのくらいのペースで入れるかは任せている。いつまでにどうやって達成するかは、運営が自由に実験していい。コルクラボは「コミュニティを学ぶコミュニティ」だから。
自分でコミュニティを立てて1,000人にするのは難しい。
コルクラボであれば、佐渡島庸平の時間とインフルエンスを使って仮説検証できる。そこには漫画家も参加したり、自分も議論に参加できる。この実験の結果、運営しかいなくなってもいいと思っている。
ー運営メンバーはどうやって決めている?
1人はお願いし、あとは自主的な参加を募っている。
今期から、会費の50%はコルクの売り上げとして漫画家の育成に使うが、残り50%はコミュニティ運営に使うことにした。さっそく、合宿に参加するとお土産がついたり、新たに募集した11期には初回のオフ会にお茶が届くなどに使われている。
運営ミーティングはメンバーに公開されている。
ミーティング参加者は10人の時もあれば30人の時もある。ミーティングでは、その場の参加者が自由に発言できる。
コミュニティとは
ーサディにとってのコミュニティとは?
今までと今のコミュニティの違いは?
(コミュラボにおけるコミュニティの定義=「共通の興味関心の『旗』の元に集った『仲間』と、継続的に行う『活動』と『役割』のある場、より)
もっと雑。「人の集まり」。
今までのコミュニティは、地域、学校、職場など、仕事をしたり、生きていたら「必然の集まり」を称していた。
生きる以外では、ゴルフクラブやテニスクラブなどの、上流階級であることを示す「社交場」が別のコミュニティとしてあった。生きる上以外では、そうした上流階級に所属することで示していた。この他は、寺、銭湯、教会などが、コミュニティのハブだった。
朱に交われば赤くなる「朱」のことだった。
朱をどう良くするのかを考えてきた。そのために受験を頑張ったりしていた。大学の価値は人脈とも言われる。これは、そのコミュニティに入るチャンスを得ることを意味していた。
かつては生まれながらに入るコミュニティが必然的に決まり、変え難かった。しかし日本は、学歴とか会社とかでコミュニティを変えられた。そのことで朱に交われて、人生を変えることが起きた。
しかし今は、インターネットの中で自由に人が集まれるようになった。
ここで集まっている人たちは外部に公開しても、なぜ集まっているかを特定するのは難しい。以前は現れているもの、例えば着ている服、容姿、関西弁などの言葉、手にしわがあるなどで、コミュニティを特定できた。
今は(目に見える何かでコミュニティを特定することは難しく)旗印で特定する時代となった。
ー今のコミュニティの作られ方
今は(生活の動線ではなく)趣味や概念で集まれるようになった。
今までより複雑。ゴルフをスポーツとしてやる人もいれば、健康のためにやる人もいる。この状態は、実は交わりづらい。しかし、「宇宙兄弟」好きで集まるように「好き」で集まると譲れない一線がわかりやすい。猫好きで言うと、そういう飼い方してると悪い人はいないとか、3匹以上飼っている人に悪い人はいないといった話など。かつては、○○大卒やこの企業勤務なら、といった見方があった。今は「概念」でつながっている。
ーコミュニティでの人とのつながり方
生きている流れでのコミュニティは、人同士が自然と接触する機会があった。会社に出勤するとか、ゴミ出しするとかで互助があり、否が応でも話す機会があり、相手のことがわかった。冠婚葬祭などを一緒にやることで身体接触が生まれ、それで心理的安全性が担保された。
しかし、概念でつながっている場合、自然と接触する機会はない。
そのためコルクラボでは、2on2で話す「スクエア」という仕組みを取り入れている。この導入に際し、運営2人に20万の研修をコルクラボで負担して行ってもらった。それをコルクラボの掲示板やSlackで報告してもらい、文化として取り入れ、知り合うための方法を仕組みとして作っている。
コミュニティにおける文化、そして人とのつながり方
ー文化とは
生きている流れでのコミュニティにおける文化は、醤油の味や風呂の入り方などが、地域ごとに、気候などに応じて決まっている。しかし、概念でつながっているコミュラボのようなコミュニティは、挨拶の仕方からイベントの終わり方まで、いちいち自分たちで決める必要がある。
生活に組み込まれたコミュニティの中だと「機能」が入っている。概念でつながった仕組みには、機能が入ってない。
完全に知らない人同士の場合、文化をどのように醸成すればいいか、どのような順番で作るか、その方法は確立されていない。時間をかけずして仲良くなる方法を知っている人は、意外にいない。
ー人とのつながり方
学校生活では、机を横に並べれていればつながった。
しかし、大学時代は授業が自由すぎて、サークルは入らないと仲良くならないこともあった。人同士がつながるのは、実は難しい。
人は、どうやったら友達になれるのか、どうやったらお互いの心理的安全性を担保できるのかを、実は知らない。かつては、そういうのは、自然の流れでなるものになっていた。そのため、技術を磨いていていない。
会社の飲みニケーションは、効率が悪い。
仕事を一緒にしていて、相手を知っているはずなのに、飲みにいって雑談して、ようやく仲良くなれる。とても時間がかかっている。どれだけ仲良くなるのが下手なのか。
コルクラボで、人と人が仲良くなる様子を見ていると、いろんな気づきがある。言うと怒られるかもと思うとあの人にこれを言えない、みんなの前で拒否されると怖いから個別でメッセする、相手に話せなくてちょっとした確認ができない…などなど。大人になっても、幼稚園の時に友達の家に行きたいけど自分で言えないから、親に言ってもらう、みたいなことが起きている。
アメリカは、理解できないコミュニティと交わる機会がある。
まず握手するなど、方法をわかっている。しかし、日本ではそのような機会もなく、わかっていない。
ー(コミュラボメンバーからの質問)1,000人規模のコミュニティで仲良くなるには?
コルクラボは、150人超えると150人に戻る。
やめないと思われる人がやめる。この150人は「ダンバー数」と言われ、コミュニティの限界値と言われている。8人までは協力し、8倍超えて10倍の結果が出る。しかし、9人になると8倍、8人分しかでない。10人になると、もっと下がる。
人数が増えてきたときの文化の継承は、学校が参考になる。違う学年が運動会や部活といった活動を通じて仲良くなる。そこに共通する文化が生まれ、育っていく
コミュニティの最小単位は7−8人が最適。
1:1だと、相性が悪いとももめる。その1人が憎くて、コミュニティ全体が憎い、ということになる。
Facebookの 広告アルゴリズムは、よくできている。
「友達の友達の意思決定」に人は影響される。直接の友達に何かいい、と勧められても「へー」で終わる。しかし、友達の友達が何かについていい、と語り、友達がそれに感化されているのを見ると、自分にも影響が及ぶ。友達の友達の行為が、購買活動にもっとも影響する。
転職活動もしかり。
直接の友達の会社に転職するのはハードル高い。なぜなら、万が一気まずくなると、その周辺にある人間関係も捨てなければならない可能性があるから。なので、そのような関係での転職は「気まずくなる」可能性のある長期プロジェクトに従事するようなもの。一発の短期プロジェクトはできる。そのため、転職や仕事には「緩いつながり」の関係性の方が結びつく。
コルクラボは、まず5−6人のそこそこ濃いめの人間関係ができるように設計している。そこでまず詩学の勉強をした後、部活などで150人と出会う。サディと、部活と、5-6人の緩いつながりやプロジェクトに帰属する。プロジェクトには必ず終わりがある。メンバー間の相性が悪くても、合宿などを苦手な人とも一緒にやって、勉強になることもある。
コミュニティの中のメンバー同士の関係、人の在り方
ーメンバーに役割はいらない?
コルクラボでは、メンバーに役割は持ってもらわなくていいと思っている。家でも会社でも地域でも学校でも役割がある。しかし「役割だけ」を期待されているコミュニティにいると、疲れる。なぜなら、役に立たなければならないから。
ーコルクラボは、DoはなくてBeだけでいい
いるだけで存在を認められていると思う。
自分の存在への安心感があると、コミュニティに貢献したくなる。そんな貢献する時に「出番」を作る。「全員に役割がある」と「出番に出たい時に出て、ありがとうと言われる」のは違う。ありがとうと言わないと回らない関係にしたくない。
自分の人間関係では「ありがとう」と言わないと回らない人間関係はいや。なぜなら、やりたくてやっているだけだから。自分のためにやっていると、他人のためにもなる、という関係性が幸せ。まさしく「情けは人の為ならず」である。
ーコミュニティでの人は、「主人公」であって「主役」ではない
主役=目立つ人、誰かが目立つ役割。主人公=物語の指示に影響を与える人、それぞれの人が自分の人生で主人公になっている人。コルクラボを立ち上げた当初は、みんなに役割を、そして主役と、と思っていた。今は、みんなを主人公にしたいと思う。
(どうすれば主人公になるか?)コミュニティに「いるだけでいい」とすること。すると、自然とやりたいことが出てきて、出番があって、聖なる一歩を踏み出せるようになって、他のコミュニティでは出来なかったことが出来るようになる。
主役は役割。
期待を超えようと、能力を持っていることをやる。主役になろうと思うと、会社でやっていることをコミュニティでもやることになりかねない。
学びのコミュニティは、2-3年で学んで卒業となりやすい。DOは卒業があり、BEは苦しい時に来れるイメージ。そのためにコルクラボでは「自分の安全と安心」を知ることを、まずやる。自分がどのくらい緊張するとか、他人と関わるのが下手かなどを知る。
ー自分の在り方
昔は、結果を出したいという目的があった。今は、結果は必要ない、プロセスや過程が大事だと思う。結果や成果は、プロセスの先にある。
(なぜそのような思考になったのか?)結果を追っている人は、視野が狭い(と気づいたから)。視野が狭い人は結果を得ることができない。結果を追う人には結果がこないと思う。
2012年に起業し、今は慣れてきて気づいた。視野が広くなってきた。会社が走り出した頃は、120キロで走り出して周りの風景が見えなかった。それが見えるようになってきた。
ー人の行為は?
人の行為は、不安を解消するためにやっていることが多い。
何かをする時に「それやるといくら?」と考える人が多い。やりたいのにいくら?と考えるのはなぜか。やりたいなら、お金を払ってでもやればいいと思う。しかし「食っていけるか?」と言う不安があるから、そのように考えると思う。ボランティアででも、やればいい。
(このオフ会の冒頭で、ゴールを設定していたことに対し)いらないと思う。コミュニティの寄り合いは。寄り合うことが目的。持って帰るものはいらない。なので、コルクラボの定例会は、持って帰る話をしていない。
目的が設定されていると、主催者側も役に立つことを考え、来ている人も学びの時間にしなければ、と考えるので疲れるかもしれない。気配りは不安だからやっているのでは?「無視する」と言う気配りもある。
コミュニティの秩序の作り方
ーコミュニティ内での気配りの仕方(ルールや秩序などの維持の設計の仕方)
地域コミュニティで犯罪が起きないのは、警察が動いているから。
しかし、コミュニティの秩序の維持のために、頑張っているのが見えない。こうした裏側の設計方法は、村ができるときに順番に決めるもの。
国の法律の決め方は素晴らしい。
独占禁止法のような法律は、最初に決めない。今までの歴史を見ると、権力が人権を疎かにした。全体のために個人の人権を脅かすのは仕方ない、という歴史だった。しかし、人種間の争いや差別、戦争などを約4,000年という歴史を経て、ここまで複雑なルールができた。ルール作りは繊細である。このコミュニティが快適、となるルールを作る順番は複雑。なので今、人類の歴史を辿りなおしている。
ールールを決める順番は?
話し合って決めていくもの。
自分にとっていいだけ、は楽な決め方。しかし、あなたにとっても良くて、自分にとってもいい、とはならない。
お互いこれくらいづつ我慢していると言った「バランスの取れたルール」と話し合いの仕方は感じは、ある種バランスの取れたことがわかってないと決められない。日本人は、話し合いの仕方がわかってない。
アメリカは、議論のために血が流れてきた。
そのために言論術が発達した。ディベートは相手を負かすこともあり、現実に実装するのは難しい。現実の中での意思決定は、日本人はできない。アメリカ人はできる。
これからの社会は「全員がこれが公共的と言う課題」を、見つけ、金を投じることになるだろう。公共的であるためには、相手の立場がどう見えるかを知る必要がある。
ー世代間の違いの超え方は?
(今の日本は)デバイスを含めて、新しい世代に対応していない。
日本の平均年齢43歳で、50歳以上が半数を占めている。東南アジアはもっと若く、アメリカでは30歳、アフリカでは17歳くらいである。17歳と43歳が同じ意思決定をしない。
高い世代の意思決定が、国に対してマイナスインパクトを持つ可能性があることを自覚し、メタ認知できるようになる必要がある。長期的に緩やかに、日本は滅びる。世は盛者必衰である。Twitterなどでも衰退すると新しい人が出てくる。
ーコルクラボとは
社会がしんどい人にとっての、ひとまずの「居場所」的なところ。
1回落ち着く場所、再挑戦したり、社会と接続できる場所としてコルクラボある。
ービジネスとコミュニティの関係は
ほとんどの人がフリーランスで食っていけるようになる。
今でも、誰もが自分の能力を売れるサイト「ビザスク」などを、副業の場として活用できる。SNSで仕事が作られるなど、いろんな形の仕事の仕方がある。
ー対価の受け渡し方は?
お金を支払うのは面倒。他人の銀行口座にお金を入れるのは面倒。今はPaypayのQRコードを示せば簡単に振り込める。今ならちょっと話して、それが面白かったらお金を払って、といえば(Paypayなどで)払ってもらえる。銀行が無くなろうとしている時代。お金の移動コストが下がっている。
現金を使わずに暮らす実験してみるといい。身の回りのものを売って、メルペイ、ペイペイで暮らす。自分は宛名書き能力を起業したタイミングで失ったので、気合を入れても発送ができないので難しい。
今後は、支払い方法はなんでも良くなる。金銭的な「何か」に価値変換できればいい。ポイントのまま、お金の代替物として生活可能。また、ホームレス小谷さんのように、食べる場所と食事は恵んでもらう生き方もある。
自分は、バリューで稼いだビットコインを回している。時価総額が上がり、ちょっと売り出した。ビットコインで対価が入ってくる。
ー意欲を発揮して、価値を得る
コミュニティにいる時間が長くなるうちに、コミュニティ内で互いに投げ銭が生じる。
コミュニティ内経済でお金がグルグル回る。国の経済は、老人で止まっている。回る速度を高める。コルクラボは(会費の)50%をラボの運営に回し、コルクラボギルドでラボの外での仕事を得る仕組みを作っている。
コミュニティへの入りを出より増やすと、コミュニティが豊かになる。
それがポイントで行える。国の運営が、コミュニティで起こせる。サロン主が搾取、経済コミュニティが貿易黒字と赤字、オンラインサロンというと、搾取や宗教と言われることもあるが、経済コミュニティとも言える。
コミュニティ内で国の互助が起き出している。互助は生活を豊かにする。ブータンのように、GDPが小さくても豊かな国が存在する。この中ではお金が周り、食べ物が周り、寄付のお金が回っているから。
ー幸せとは?
幸せを作る仕組みがその人に合っていれば、幸せ。
資本主義の中では、お金を使って幸せを得る仕組み。そうなりたいと思うか。どう言う状態が自分にとって幸せか。自分が幸せになる仕組みが作れるとしたら、どのように作るか。今後の人との関わり方の在り方は、どう考えるか。
起業前には仕事で関係する人たちと、仲が良いと思っていた。ゴルフに行ったりなどの人間付き合いしていた。いざ、起業してみると「仕事を円滑にするため」にゴルフをしたり、役割を果たすためにノミニケーションしていたことに気づいた。その「役割」がないと、飲むことはない。本当に役割も意味のない仲間と会うのは難しい。それを認めることが相当大事。
資本主義は、お金を回すこと。金銭的価値が人間にも適用されていた、今までは資本主義だったが、これからは、資本主義の外のお金の流れができる。現実のドル円と交換可能となる。資本主義の外に社会があることが価値。人間関係は、昔みたいな意味がないけどつながりあう関係が大切になる。
この流れにのれない人をケアするのは国の仕事。自分は自分のできる範囲で自分に興味のある人をケアする。
質疑応答
ー観察力はどこで養った?講談社や外国での経験からか?
息子を見ていてもそんなに小さい頃からあるので、会社で鍛えられるものではないと思う。日常生活で良くなっていく。
ーDoでなくBeのコミュニティとは?コミュニティに入る、入らないが好きではない。
地域コミュニティは、入っている、入っていない、と意識することが無いまま、いる。抜ける、抜けない、はあまりない。実際は引っ越す、引っ越さない、で出入りすることになる。国も同様。その恩恵を得るためには運営コストをどう負担するか。恩恵を受けるためには運営を担うことが求められる。
ーコミュニティの境界線は?コミュニティに入る、入らないの一線は?
コルクラボの場合は会費。
ラボの中の掲示板やスラックなどのコストがかかるものなどに充てる。
何か起きたら守る、守らないの対象を決める必要がある。国も、法的に義務として守る。自分は何かあった時、コルクラボに関することは出る。それ以外は忙しさで、成長の有無で判断している。時間は有限だから。
ーフリーライダーは?
プライベートのコミュニティは、今は完全にわかりやすくお金。それ以外の基準を作るとわかりにくくなる。フリーライダーは、いずらい。しかし、コルクラボには無職もいる。生活が苦しいと言うと会費から10万もらえる仕組みがある。
編集後記
サディの体験と思考に基づくコミュニティに関することのアップデートぶりに、改めて驚愕。
特に印象的だったのは、そもそもコミュニティは「人の集まり」であり、そうした場を、今は趣味や概念、好きといったことを「旗印」として作り、つながる時代になったことを踏まえた上で、コミュニティにいる人の「役割」は不要、「出番」があればいい、というくだり。
そこにいるメンバーに役割は持ってもらわなくていい。
いるだけで存在を認められている状態。
そうした自分の存在への安心感があると、コミュニティに貢献したくなる。そんな貢献できる「出番」を作る。「全員に役割がある」と「出番に出たい時に出て、ありがとうと言われる」のは違う。
また、主役は目立つ人、誰かが目立つ役割。主人公は、物語の指示に影響を与える人、それぞれの人が自分の人生で主人公になっている人と整理した上で、コミュニティに「いるだけでいい」とすると、人は「主人公」になれる、というのもなるほど、と思いました。
すると「自然とやりたいことが出てきて、出番があって、聖なる一歩を踏み出せるようになって、他のコミュニティでは出来なかったことが出来るようになる」から。
とかく語られる「コミュニティの心理的安全性」の確保は、まずは「いるだけで存在を認められている状態」にすることから始まる、と改めて確信しました。
そうすることを意識して、活動の設計の仕方、文化の作り方、秩序の考え方などなどに思考がおよぶと、配慮する対象やその度合いも、今までと違ってくる気がしました。
今回のグラレコは、イラスト可視化士の中尾仁士さんのお年玉企画!
この拡散しまくりの話を、ポイントを押さえてまとめてくださいました。ありがとうございました!