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『つながっていいとも』木曜日 第20回 中学硬式野球 フィールドオブドリームス 監督 堀泰人さんによる「野球とPL学園と私」

オンライン配信「つながっていいとも」木曜日第20回のまとめです。
今回は、第19回ゲスト 運動塾ガットアカデミー 代表の難波田康さんからのご紹介、中学硬式野球 フィールドオブドリームス 監督 堀泰人(ほりやすと)さんによる「野球とPL学園と私」
「人に認められることの力」「栄光からの挫折、そして立ち上がり方」「好きなものの見つけ方」などのお話を伺いました。見逃された方は、こちらから!

「つながっていいとも」とは

今年の5月30日に、電子チケット会社「Peatix」主催で配信した24時間オンラインチャリティイベント『HELLO, NEW NORMAL」の中の1コーナーのスピンアウト企画です。

「オンラインでも出会える!話せる!つながれる!」をモットーに、「新しい時代のつながり方」を実践されている方をお招きし、18分間おしゃべりしています。

配信は、あの伝説の番組の名物コーナー同様、ゲストに次のゲストをご紹介いただいてシメ、となります。

MCは日替わり。火曜日はPeatix共同創業者・藤田祐司さん、水曜日はTokyo Work Design Weekオーガナイザー・横石崇さん、そして木曜日はコミュラボ幹事・辻貴之がモデレーターです。

第20回ゲスト 堀泰人さんとは

1976年5月21日生まれ。
1994年、PL学園高校にて第66回選抜甲子園大会に出場。同大会の最低身長記録となる。サブロー(元ロッテ、巨人)、福留(現阪神)と共にプレー。

2009年 小・中学生専門の個別指導型バッティングスクールを開校して独立。奈良、三重、京都、大阪に教室を持ち、生徒数は100名を超える。

2014年 中学硬式野球チーム フィールドオブドリームズを立ち上げる。
2020年 日本ポニーリーグに奈良ポニーFODとして加盟。加盟初年度に、奇跡的な逆転劇を演じ、監督として子ども達を全国大会出場へと導く。

現在、野球指導だけにとどまらず、YouTubeチャンネル「元PL学園ホーリーの野球日記」を開設。コアなPL学園野球ファンに支えられ、数ヶ月にて登録者数4000名を超える。「笑い」「本気の語り」、時には視聴者が感動の涙を流す。時には、日記のような長文のコメントが多数寄せられることもあるとのこと。独特な目線と、語りに定評があり、ファンを増やし続けている。

そんなホーリーさんとのおしゃべり、スタートです!

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ホーリーさんの自己紹介ー野球を始めたきっかけと、続いた理由ー

1994年の春の選抜高校野球に、PL学園から背番号12番で出場。ポジションはセカンドだったが、甲子園ではランナーコーチを担当。その後、奈良、三重、大阪で野球教室を開き、現在は中学硬式野球チームで監督をしている。

ー野球を始めた時期ときっかけは?

小学校3年生から野球を始めた。きっかけは兄。野球をやっていた兄の格好良さに惹かれて始めた。和歌山で生まれ、その後引っ越した奈良での監督との出会いの影響が大きかった。

監督は、初めて自分を認めてくれた大人だった。和歌山では兄が有名でスターだった。どこに行っても「堀くんの弟」と言われていた。しかし、奈良では自分を「単体」で見てくれた。中でもその監督は「ホーリーは、野球で高校に行く気はないのか?」と声をかけてくださった。

ーそうした経験は、今、自分で監督をやる中で生かしている?

子供のちょっとした変化に、できるだけ気付き、見逃さないようにしている。野球が上手くなったら、上手くなったと言える。しかし、そうしたことだけでなく、言われていないのにグランド整備をやるなど(の動きを見逃さないようにしている)。

(監督がそうしていると、子供たちも声をかけたり、動き出したりするもの?)気づいていこうと声をかけるようにしている、認識していく子供は認識していく。気づいていない子には、気づいたことが声をかけている。

気づけばPL学園へ、そして挫折

初めて甲子園を意識したのは小学校5年生。立浪選手や、片岡選手が甲子園で活躍する姿をテレビで見た。かっこいい!甲子園に行きたい!と思った。そうしてPL学園に進学した。スカウトは自分が小学校の頃から見てくださっていたそうだ。

ー甲子園から今までの野球の関わりは?

甲子園に出場後「挫折」しかなかった。子供の頃は夢を持つ。小学校の卒業文集に「PL学園へ進学し、甲子園に出場。プロ野球に進み、年棒1億円」と書いていた。そのための努力した。中学から高校に行った時は「夢は叶う。努力は報われる」と思った

PL学園に進学し、最初はレギュラーだったが、その後、控えに。「上には上がいる。プロに行く人は次元が全く違う。努力では、どうにもならないことがある」ということを知った。このまま野球を続けてもプロは無理、と気づき、野球から遠ざかる生活になった。

ーでも大学でも野球をやったのでは?そして、大学卒業後は?

大学1年で野球を辞め、普通に大学に通った。野球とは違うことを探す必要があった。大学卒業後は、野菜の卸、焼き鳥の大吉をはじめ、30過ぎまで転職し続けていた。どの仕事も面白かったが、野球の時のように燃えなかった途中で「カスカス」になった。「一生この仕事をするのか」という迷いが、生じてきた。

ー野球とそれ以外の違いは?野球にあって仕事になかったものとは?

心から好きかどうか、だと思う。25歳頃に、好きなものを仕事にしたい、と思うようになった。しかし、大好きなことがわからなくなった。そこで、朝起きてからの自分の行動を書き留めることを始めた。

「大好きなことがわからない」というのは、その行動を好きでやっているかどうかのセンサーが鈍っているからだと思ったため。わからないから、ゲーム形式で進めた。例えば、歯を磨いたら「歯を磨くのは好き?」と自問自答する。「車の運転好き?嫌い?」「色を見て好き?嫌い?」というように。

例えば、歯を磨くのは好きなことの一つだった。理由は、爽快感があるから。車で高速道路を走るもの好きだった。理由は、車を走る自由さが感じられたから。このように「なんで?」と問われると、感情に入っていくことになる。感情に触れる部分をを整理すると、大好きなものに近くのでは?と考えた。

ーその先に、今?

ある方から「ホーリーは子供を対象に仕事したら?」と勧められた。でも「やったことない」と思った。が、振り返ってみると、親戚や、友達の子供などと接している時は、ストレスなくいられたので「向いてるかも??」と思った。

どのように子供と接すれば、と考えていたところ、スポーツでしようと思った。応募をしていない体操クラブにも履歴書を送った。そうしているうちに、お世話になった方から「野球で仕事がある」と紹介され、子供と一緒に野球をやるようになった。

大好きなことは、怖い強烈に、めちゃめちゃ大好きで、自然に好きだから、(それが好きだと)気づかない。自分にとって野球は大好きすぎて、フラれるのが怖いから、選択してこなかったのだと思う。

第21回ゲスト 稲川剛さん

ホーリーさんが高校3年生の時の1年生。ホーリーさんの代表で出場した高校野球が、智弁との戦いに破れた日が入寮した。午前中、智弁との戦いを終えて、オーラがあった。まさかこういう気持ちだったとは、感慨深い。

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MC後記

「丁寧」で「謙虚」…堀さんとお話ししいていて思ったこと。言葉使いから考え方、行動まで、とても丁寧だなと感じました。そのようになった理由は「努力してもどうにもならないこと」に直面し、挫折したから。ゆえに、自分にはもちろん、他の人にも、どんなことにも、そのように向き合えるようになられたのかな、と思います。

「好きを仕事に」という自身の生き方のテーマを決め、「好きなことは何か」「なぜ、それが好きか」を掘り下げ、好きすぎてフラれるのが怖かった野球に、再びたどり着かれたホーリーさん。自分の感情や行動と丁寧に向き合って、挫折を乗り越えられた姿に、刺激をいただきました。コロナをきっかけに、PL学園時代の思い出などを語るYouTube配信も始めてられたホーリーさんの今後が楽しみです。

ホーリーさん、ありがとうございました!来週のゲストの稲川さん、よろしくお願いします!ということで、来週もみんな見てくれるかな??

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