『つながっていいとも』木曜日 第18回 有限会社角心 代表取締役 角田直仁さんによる「野球から台湾かき氷への道」
オンライン配信「つながっていいとも」木曜日第18回のまとめです。
今回は、株式会社PGT代表取締役社長 谷尾俊通さんからご紹介いただいた有限会社角心 代表取締役 角田直仁さんと語る「野球から台湾かき氷への道」。今日は、「恩返し」「まずは信じる」をモットーにした人との関係づくりのお話を伺いました。
「つながっていいとも」とは
今年の5月30日に、電子チケット会社「Peatix」主催で配信した24時間オンラインチャリティイベント『HELLO, NEW NORMAL」の中の1コーナーのスピンアウトです。
「オンラインでも出会える!話せる!つながれる!」をモットーに、「新しい時代のつながり方」を実践されている方をお招きし、18分間おしゃべりする企画です。
配信は、あの伝説の番組の名物コーナー同様、ゲストに次のゲストをご紹介いただいてシメ、となります。
MCは日替わり。火曜日はPeatix共同創業者・藤田祐司さん、水曜日はTokyo Work Design Weekオーガナイザー・横石崇さん、そして木曜日はコミュラボ幹事・辻貴之がモデレーターです。
「いいとも」木曜日 第18回ゲスト 角田直仁さんとは
小学生の頃から野球小僧で小学生はリトルリーグ・中学生はシニアリーグで活動し、高校は岐阜県中京商業高校硬式野球部へ特待生として野球留学をされたました。
大学は高校の系列大学の中京学院大学へ進学。そして20歳まで大学野球部に在籍後、中学当時の師に影響を受けて教える側の喜びを覚え、20歳で自身のプレーヤー人生に終わりを告げます。それから23歳までの3年間は、母校岐阜中京高校硬式野球部打撃コーチへ転身致しました。
2002年に22歳で大学を卒業後、お父様の運営する会社へ就職しつつ、1年間は野球のコーチ業も兼業していたそうです。また、入社後は、2005年の愛知万博の誘致活動へ参加していたお父様の背中をみて勉強。そして2005年の愛知万博では、6つあった日本のテーマレストランの一つとして、お父様の会社で回転寿司を出店。
愛知万博の営業終了後、25歳の時にお父様の会社を退職し、「角田の心」という意味の有限会社角心を立ち上げ代表取締役社長に就任。独立前からやっていた出張回転寿司以外に、天使の雪(台湾かき氷)やレストランの運営をされているそうです。
第17回ゲストの谷尾さんとは、2005年の愛知万博でご一緒されたそうです。
そんな角田さんとのトーク、スタートです!
(見逃した方は、こちらから!)
自己紹介ー球児から飲食業経営へー
名古屋で台湾かき氷の「天使の雪」、「出張開店寿司」、そして「レストラン」を3店舗運営している。
(コロナの時期は?)レストランは休業したが、今は9割戻ってきた。出張回転寿司は影響なく、家や老人ホームなどの予約が常時入っていた。
ー元は球児
小さい頃から大学まで硬式野球をやっていた。20歳でプレーヤーを引退し、母校の打撃コーチに転身。転身したきっかけは、元プロ野球選手で、中学の時の恩師からの教え。「野球に関して得たものを、後輩に教えよ」と言われてきた。しごかれたり、代表でしからられたりしたこともあったが、教えていただいた内容が好きだった。それを元に、母校で教えたいと思った。
ーその後、野球コーチから家業へ
家業は寿司屋だった。自分は次男だったこともあり、野球を好きにやらせてもらっていた。大学に入った頃に、父が愛知万博の誘致に動いていた。自分は野球で全国遠征することもあったので、大型バスの免許を持っていた。そこで、バスに協会の人を乗せて各地を案内したりしていた。
(大学を卒業して、家業の会社へ入社後)愛知万博では「日本のテーマレストラン」が開設されることになり、「回転寿司」は日本の文化だということで店を開いた。出張回転寿司のトラックを運転していたこと活かし、会場内をバスで走り回って商品を届けたり、各地回ってバイオマスの肥料で作った農作物を撮りに行って、会場に持っていたりしていた。
ー家業から独立、そしてかき氷、レストランへ
愛知万博後、野球を通じて日本中に知り合いがいたので、各地の缶詰やラーメンなど「インスタント食品」を集めたバーを開いた。そうした中で「台湾のフワフワのかき氷屋をやってみないか」とのお話をいただいた。
台湾に行ってみるとかき氷は練乳で甘かったので、今は工場を作って自社で展開している。現地にいくうちに友達ができたり、万博で台湾からの留学生がいたことも、今につながっている。
レストランも、あるイベントでかき氷屋(天使の雪)をやっていた時に声をかけられたことがきっかけ。野球から氷、氷からレストランへ、とつながっている。
人との関わりで心掛けていること
相手を信用しきること。騙すより騙されたい。そう接して、騙されたこともある。台湾にかき氷の機械を作っている会社がいくつもあり、その中でなど。しかし、台湾で守ってくれる人が出てきた。
得たものは、従業員に共有している。野球時代に後輩に接していたように、教える感覚で、わかってもらうように伝えるようにしている。従業員に店を任せて、いずれは渡していきたい。
ーどういうポジションだと心地いい?
先頭に立って突っ走っている状態。いろんな方が、いろんな機会をつないで下さっている。(人がついてこない時などは)年上のストッパー役の方からお言葉をかけていただく。言われたことは、昔から素直に聞ける。人からは頑固ものと言われるが、自分はそうは思っていない。
第19回ゲスト 難波田靖さん
中学時代の野球の先輩。憧れのPL学園で投手として活躍されていた。今は野球教室などを運営されている。(角田さんが)小学校の後半くらいからの付き合い。
MC後記
「つなぐ人」…自分の野球の知見を後輩へ、お父様からは家業の一端を受け継ぎ、台湾からはかき氷を持ってきて、それも含めた自分の飲食業の経験を従業員の方へ。自ら学んだり、いろんな人からバトンを受け取ったりして、それをさらに次の人へ「つなぐ人」という印象です。
そのベースは、中学時代の野球の恩師の方の「得たものを、後輩に教えよ」、すなわち「恩返しせよ」いう教え。そして人と接する時は「信じ切る」。この「恩返し」×「信じ切る」姿勢があれば、いつまでもバトンはつなげる気がしました。
「これからは飲食業以外にも挑戦したい。いろんな社長さんたちと、議論している。でも今は、飲食業に集中する」と話して角田さんが、次にどのようにバトンをつなぐのか…楽しみです!
角田さん、ありがとうございました!来週の難波田さん、よろしくお願いします!ということで、来週もみんな見てくれるかな??