神様のとどめ
「最後は神様がとどめを刺してくれるから、その日まで安心して生きなさい」
母が言ったこの言葉を、折に触れて思い出すことがある。
私は母をごく平凡な、どちらかというとあまり苦労をしていない種類の主婦だと思っていた。母は地方公務員だった父の稼ぎで暮らしながら、申し訳程度に和菓子屋やジーンズショップでパートをしていた。週末はプールに通い、書道にはまり、最後は料理教室にまで通っていた。
いつだったか小樽の高校の同窓会に出かけた母は、同窓生たちが語るそれなりの苦労……離婚、不倫、死別、借金といった……を聞いて、目を丸くして帰ってきた。「びっくりしちゃった。そんなドラマみたいなことって本当にあるんだねえ」と、初めて人生の真実に触れたかのように言う母を、子供ながらに少し呑気すぎるのではないかと思ったものだ。
母は札幌の短大を出ていた。本人曰く、成績優秀で弁護士にもなれると言われていたそうだが、高校の途中で「あることに気づいちゃって」、それまでのやる気をすべて無くしてしまったらしい。母は法学部のない短大に入り、他大学とのサークル活動(童話の研究会だそうだ)で知り合った父と卒業後すぐに結婚した。
母がすべてのやる気を無くした「あること」が何かは聞かなかった。いや、正確にはたずねることができなかった。母の口調は軽かったが、声色の底に流れるなにかが、私を押しとどめたのだ。
母が神様のとどめの話をしたのは、私がクラスの女子全員から無視され、酷い円形脱毛症を抱えていた中二の冬休みだった。そのころ私は毎朝、シーツの枕元にベッタリとついた黒い髪を見ないように目を細めて起きては、重い足取りで学校へ通っていた。それまで話をしていた友達(私は友達だと思っていた)が離れていったので、今で言うスクールカーストの下の方に属する子達と一緒に帰るようになった。彼女たちが暮らしていた静かで透明な場所は、馴染んでしまうと意外と心地よかった。
そのころ母は「チベット死者の書」や「唯脳論」と言った教養書にハマっており、夕食後の台所のテーブルで、私に本の内容を興奮気味に説明することがあった。その日も、そんなふうに母の相手をしていたのだと思う。ぽつりと母が言った。
「……透子、最後は神様がとどめを刺してくれるから、その日まで安心して生きなさい」
「神様」という言葉の清らかさと「とどめ」という言葉の暴力性のギャップ、何より母の口からそんな言葉が出たことに私は驚いた。
母がどこでこの言葉を知ったのか、あるいは、自分で考えついたのかはわからない。しかしそこには何かしら「本当のこと」が含まれているように私には感じられた。母はいじめについては何も言わなかった。
いじめは半年続き、ある日パタリとやんだ。ターゲットが変わったのだ。新しい標的はいじめの主犯格だったバスケ部のマネージャーだった。その後、高校、大学、社会人となんとか人生を進め、辛い時や、重要な決断をしなくてはならなくなった時に、私はその言葉を思い出した。「大丈夫、最後には神様がとどめを刺してくれるから」と。
自殺用の薬を入れたペンダントをいつも首にかけている男と知り合ったことがある。「これがあると安心して冒険できる、本当にやばくなったらこれを飲めばいいから」と彼は言った。でもそんなものわざわざひけらかさなくとも、最後にはみんな神様がとどめをさしてくれるじゃないか、と私はどこか白けた気分で聞き流した。とどめがどんな形かは、誰にもわからないけれど。
コロナ禍が終息し、街に活況が戻ってきた。母の葬儀を終えた帰りのタクシーの中で、七つ年が離れた兄が家族の思い出話の後に、ぽつりと私に言った。
「……お前は小さかったから聞いていないと思うけど、母さんは貰われ子だったんだ」
思わず私は聞き返した。「え? じゃあ小樽の爺ちゃんと婆ちゃんは?」
「血は繋がっていない。だから俺たちの母方の本当の祖父母はわからないんだ。昭和の北海道では、めずらしくないことだったらしいよ」
子供の頃、私は何度も母の心へと手を伸ばした。しかしあるところまで近づくと、その度に透明な見えない壁のようなものに遮られた。笑顔の向こう側にあるそのひんやりとした壁に触れるたびに、私は少しかなしくなり、やがて手を伸ばすことをやめてしまった。
その壁の理由。高校生の母が気づいてしまったという、あること。最後は神様がとどめを刺してくれるから、私はこの世界をその日まで安心して生き、歩いていくんだと心に決めた母の後ろ姿が見えた気がした。
三十代の終わり頃、仕事やプライベートの飲み会の度になぜだか座右の銘を聞かれる時期があった。酔っ払った彼や彼女たちは、決まってどこか冗談のように映画や宇宙兄弟のセリフを披露し、それから私に聞いてくるのだ。あるいは誰もが、何かしらの指針のようなものを求めていた時期だったのかもしれない。
その度に私は、いや、特にないよと答えてやり過ごしてきた。でも私が病める時、悩める時に思い出すのはいつも、母のその言葉だった。
そして、その度に思うのだ。母は安心して歩けたのだろうか、と。
彼女が歩くことになった、ただひとつの道を。神様がとどめを刺してくれた、その日まで。