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主体と客体を交換するという技術

最近「ベクション」という言葉を知りました。
ベクションとは、自分は静止しているにもかかわらず、移動しているかのように感じる錯覚のことです。
例えば、自分が乗っている電車が停車中に、隣にいる電車が走り出した時とか、ガソリンスタンドで乗車したまま洗車機内にいる時とかに感じるあの感覚です。

決して豪快なくしゃみの音ではありません。

ベクションへの気付きは、天動説から地動説への転換にも見られます。
どういうことかと言うと、天動説時代は「地球は静止しており地球以外の天体が動いている」と錯覚していたのだが、あるとき「あれ?動いてるのって実は地球の方じゃね?」と気付き地動説時代に突入する、というわけです。

このベクションは、めちゃめちゃ捨象すると「主体と客体の交換」と表現できると思います。
そして「主体と客体の交換」の技術は、取り組むべき課題を明確化する際に役立ちそうな気がしています。
つまり、何か課題を抱えているときにそれを要素分解して、自分が変えられる課題(自分が主体となる課題)にだけ手を付け、自分が変えられない課題(自分が客体となる課題)は所与として受け入れる、ということです。

この技術を身につけることができれば、過度に他者のせいにすることなく、適切に課題を解決することができるようになるんじゃないかと思います。

例えば僕が住んでいるマンションは驚くほどに壁が薄いです。
発泡スチロールでできているのかなっていうくらいに。
そんなわけで隣の部屋の音が聞こえまくって、夜寝付けないことがあったりしていたのですが、
このとき、「自分=客体、騒音=主体」と置いてしまうと、騒音を受け入れるしかありません。
しかし、「自分=主体、騒音=客体」と置くことによって、「騒音は自分の行動によって軽減することができる」という意識になり、耳栓をしたり管理会社に連絡をしたりという対策が講じられることになります。

こんなふうに考えていると、自分が抱えている課題のほとんどは自分自身に主体を置くことができるなと気が付きました。

「変数を自分に置く」
これは大学の先輩がよく口にしていた言葉です。
当時は「先輩、相変わらず意識高い系ですね」と揶揄していたのですが、最近になって「なかなかいい言葉だな」と思うようになりました。(あのときはごめんね、先輩。)

ベクション、主体と客体の交換、変数を自分に置く、、、
なんだか連想ゲームのようになって収拾がつかなくなってきたので、この辺で終わりにします。

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