描かずにはいられなかった初期衝動の物語 藤本タツキ原作の劇場アニメ『ルックバック』
漫画家・藤本タツキの読み切りコミック『ルックバック』が、上映時間58分の劇場アニメーションとなり、6月28日より全国公開されている。『ルックバック』はクリエイターたちがもっとも大切にする“初期衝動”をモチーフにした作品だ。連載漫画『チェンソーマン』を大ヒットさせた藤本は、2021年7月19日に『ルックバック』を集英社のウェブサイト「少年ジャンプ+」にて発表した。人気漫画家として、これから先に進む上でどうしても描いておかなければいけない作品だった。
運命に引き寄せられた少女たち
物語の主人公となるのは、田舎の小学校に通う少女・藤野(CV:河合優実)。学年新聞に4コマ漫画を連載し、人気者だった。クラスメイトたちから「将来は漫画家だね」とおだてられ、まんざらでもなかった。ところがある日から、隣のクラスの不登校児・京本(CV:吉田美月喜)の作品も一緒に掲載されるようになる。
藤野は驚愕した。京本の描いた作品はまったく4コマ漫画にはなっていないものの、絵のクオリティーは小学生ばなれしていた。この学校に自分より絵のうまい子がいることが、藤野は許せなかった。ライバルの出現に刺激され、藤野は猛烈に絵の練習に励む。友達と遊ぶのも、学校の勉強もやめた。本屋で参考図書を購入しては、デッサンを重ね、スキルアップに努めた。週に一度の学年新聞を通し、藤野と京本との画力対決が静かに繰り広げられる。
だが、一日中部屋に引きこもって絵を描いてばかりいる京本に、藤野はどうしても勝つことができない。小学6年生になった藤野は漫画を描くことをやめてしまう。中学に進学すれば、普通の女の子としての青春を謳歌するつもりだった。
小学校卒業の日が、2人にとっての運命の日となる。担任教師から頼まれた藤野は、卒業証書を京本宅まで嫌々ながら届けにいく。証書を置いてすぐに帰るつもりの藤野だったが、運命のいたずらが起き、京本と対面することに。初めて会う京本は「藤野先生!」と呼んだ。学年新聞に連載する藤野に憧れて、京本は絵を描いてきたという。京本から「なんで、連載をやめたんですか?」と問われ、見栄を張った藤野は「長編漫画を構想中」とつい答えてしまう。
京本宅からの帰り、雨が降る田んぼ道を藤野は弾みながら、踊るように歩いていく。クラスメイトや家族が褒めてくれるのとは違う、自分が本当のライバルと認めた相手から評価されていたことが何よりもうれしかったのだ。何もない田舎の田んぼ道が、ミュージカル映画『雨に唄えば』(1952年)のように美しく輝いて感じられる。
人生最良の日の後に訪れる、悲しい別れ
中学生になった藤野は、京本と合作し、「藤野キョウ」名義での長編漫画を描き始める。藤野がストーリーとキャラクターを考え、京本は背景を描いた。京本は相変わらず中学校に行けずにいたが、藤野の部屋には通うことができた。窓からは季節が変わる様子が映し出され、2人はひたむきに漫画を描き続ける。ふたりで一人、藤子不二雄の青春時代を描いた『まんが道』のような濃厚な時間が流れていく。
念願かない、藤野キョウとしての漫画は、出版社に認められ、プロの漫画家としてのデビューが決まる。出版社から振り込まれたデビュー作の原稿料(懸賞金)を引き出し、一緒に街へと繰り出す。彼女たちにとって、人生最良の日だった。
だが、人生最良の日を迎えたことは、同時に悲しい別れが近づいていることも意味する。物語後半に描かれる離別は、あまりにも悲しすぎるものだった。
人気映画をオマージュしたクライマックス
記事の冒頭で、『ルックバック』は“初期衝動”をモチーフにしていると書いたが、初期衝動という言葉をネットで検索してみると、意外だがウィキペディアにも辞書にも載っていなかった。はっきりとした定義はなく、使う人によってニュアンスがけっこう異なる言葉であるらしい。
ざっくりとしたイメージで語るなら、それまでオリジナル曲を歌ったことのなかった若者が自分の中に溜め込んだ感情を我慢できずにギターを掻き鳴らし、大声でシャウトするような感じだろうか。うまいとか下手とかは関係ない。売れたいとか、コンクールに入賞したいとかでもない。歌わずにはいられない、自分自身を突き動かす原始的な衝動なんだと思う。
大ヒット作『チェンソーマン』を連載していたプロの人気漫画家・藤本タツキにとって、連載を中断してまで「描かずにはいられなかった」大切な初期衝動とは何だったのだろうか?
(以下、ネタバレあり)
藤本は2020年12月に『チェンソーマン』第一部の連載を終え、2021年7月19日に『ルックバック』を発表した。原作コミック、および劇場アニメ『ルックバック』をすでに観ている人はご存知のとおり、「もっと絵がうまく描けるようになりたい」と願った京本は、自分の意思で地元の美術大学に進学。本格的な絵の勉強を始めた矢先に、恐ろしい悲劇に遭遇する。
京本が遭遇する体験は、2019年7月18日に起きた「京都アニメーション放火事件」を連想させるものだ。社会の居場所を失ったと思い込み、「無敵の人」と化した男によって、無辜なる多くの命が奪われた。残虐な事件からいちばん遠いはずの、丁寧な仕事ぶりで評価されてきた心温まる作風のアニメーションスタジオで起きた惨劇だけに、より衝撃は大きかった。
遺族や関係者たちは、生涯にわたって心に深い傷が残ったままになるだろう。尊い命を奪った犯罪は憎いが、亡くなった方たちがその生涯をアニメーションづくりに捧げたことは忘れたくない。あなたが進んだ道は、決して間違っていなかったと肯定してあげたい。
体の一部を失ったような、埋めがたい喪失感を抱えた藤野は、久しぶりに京本宅を訪ね、再び運命のいたずらに遭遇する。映画好きな人なら、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)、ドア越しのシーンはクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』(2014年)を彷彿するに違いない。藤野と京本は物理的には離ればなれとなってしまったが、創作を志す者として心の中では2人はずっと結びついたままだ。
漫画家やアニメーション作家が担う、もうひとつの役割
古くから「物語」には、亡くなった人たちを悼み、鎮魂する役割があるとされてきた。『古事記』は国譲りによって命を奪われた大国主命を、『平家物語』は源平合戦によって滅びた平家一族と安徳天皇を弔うための物語だ。非業の死を遂げた者たちは、フィクションの世界で永遠の命を与えられてきた。
そうした物語の役割を、近年の日本では漫画や映画、アニメーションが担うようになった。特撮映画『ゴジラ』(1954年)や高畑勲監督の『火垂るの墓』(1988年)は、太平洋戦争の戦没者たちの怒りや悲しみを記録した作品でもある。宮崎駿監督のファンタジーアニメ『となりのトトロ』(1988年)は、現在も未解決のままの「狭山事件」がモチーフになっているとされている。新海誠監督の大ヒット作『君の名は。』(2016年)は、東日本大震災に触発されて生まれたことが知られている。
すでに起きてしまった不幸な歴史は変えることはできない。ならば、せめて物語というフィクションの世界に彼ら彼女らが生の輝きを放った瞬間を残しておきたい。漫画家やアニメーション作家は、現代の語り部としての役割も負っているようだ。
藤本タツキ原作、押山清高監督による劇場アニメ『ルックバック』は、絵を描くことに生涯を捧げた人たちを慈しみ、そして突然の別れに傷ついた人たちの魂を浄化させるために作られたように思う。物づくりを志す人たちの心を揺さぶる、初期衝動の塊のような作品だ。
劇場アニメ『ルックバック』
原作/藤本タツキ 監督・脚本・キャラクターデザイン/押山清高
声の出演/河合優実、吉田美月喜
配給/エイベックス・ピクチャーズ
(c)2024「ルックバック」製作委員会