井上ひさし-イプセン-アリストテレス
先日、『劇作バトル』という日本劇作家協会関西支部のイベントにスタッフとしてかかわった。ホストが劇作家協会関西支部新人の平田オリザ君だ。最近関西支部に入った僕は、「同期」ということになるので、君呼びで構わないはずである。でも楽屋の片づけを手伝う僕とは、扱いが全然違う。大型新人である。今回のイベントでもそうだったけれども、平田君のトークではしばしば井上ひさしの名前が出る。そしてその井上ひさしは、イプセンを持ち出すことが多い。井上ひさしが「イプセンはすごい」という旨の話をしたのを聞いたので、ちゃんとイプセンを読み直すと、確かにそうだという体験が得られた。チェーホフから技術的なものを学ぶことはできなかったが、イプセンならちゃんと学ぶ(まねぶ)ことができそうな感覚がある。
『劇作バトル』に以前参加したときは、俳優としてだったが、「学べる作家」と「学べない作家」というのがいる。それは良い・悪いという問題とは別のところにある。前者は、策士として戦略的に戯曲を書いていて、後者は直感の赴くままに書く。前者について井上ひさしは「自分たちがやっている仕事はペテン師がやることのようなもの」と自虐的に笑いにしていた。そういう自虐は好きである。策士として戯曲を書くタイプの作家は、僕が見たところでは、三島由紀夫、平田オリザ、井上ひさしあたりだろうか。直感の赴くままに書いているような印象を受けるのは、唐十郎、渡辺えり、野田秀樹、鴻上尚史らへんである。かなり雑な分類だから、あまり深く考えないでほしいけれども、何らかの先立つ「理論」めいたものがあって、それに向かって書いている作家と、頭から自分も観客としてどうなっていくかわかっていないまま書いている作家とがいる・・・・・・
いや、それは自分自身のことなのかもしれない。何も考えずに前から書いていくときと、いろいろ戦略めいたものを先立てて書いていくときがあって、無意識のうちに自分の書く姿勢の二つの類型に、自分以外の作家たちを当てはめているだけなのかもしれない。
イプセンと、井上ひさしをしっかり読んでいきたいと思っている。井上ひさしは「イプセンは全集が図書館にありますけれども」と言っていて、つまりこれは「イプセンくらい全部読めバカヤロー」というメッセージであると、小生は受け取った。イプセンではないかもしれない。アリストテレスだったかもしれない。いずれにせよ、図書館に全集がある時点でその知は「開かれている」と言ってよい。開かれているのに、どうして手を伸ばさないのか。これは単なる怠慢であるから、今すぐにでも振り切ってしまわねばならないだろう。とにかく部屋を出よう。すべてはそこからだ。
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