【映画】感想『ネクスト・ゴール・ウィンズ』~恐るべしタイカ・ワイティティ~
2024年2月23日に日本公開となった『ネクスト・ゴール・ウィンズ』をようやく観ることができました。『マイティ・ソー』シリーズへの出演から『ジョジョ・ラビット』(2019年)の監督と、マルチな才能をもつタイカ・ワイティティ監督の最新作です。
サッカー米領サモア代表の成長を、97分という短い上映時間の中で描いた作品で、さらりとした描きぶりにも関わらず印象に残る映画でした。まさに恐るべし、タイカ・ワイティティ!と言ってしまいたくなるこの作品の魅力について、今回は語りたいと思います。
監督・出演・あらすじ
監督・脚本:タイカ・ワイティティ
出演者:マイケル・ファスベンダー、オスカー・ナイトリー、エリザベス・モス、ウィル・アーネット、リス・ダービー、デヴィッド・フェイン、ウリ・ラトゥケフ、ビューラ・コアレほか
ネクスト・ゴール・ウィンズ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画
外側は王道スポーツ映画
この作品は(冒頭でタイカ・ワイティティ監督自身も言及していますが)、ストーリー展開は王道スポーツ映画の展開となっています。屈辱を受けた主人公(チーム)が、あるきっかけから心機一転して努力を重ね、屈辱を晴らすという話の展開です。本作品でも、オーストラリア代表に0-31で敗北というFIFA主催の公式戦における最大点差での敗北という屈辱を受けますが、その後主人公であるトーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)を監督として迎え、初ゴール(初勝利)を目指す話の流れとなっています。またスポーツ映画を意識しているため、王道スポーツ映画の代表格である『ロッキー』をオマージュした場面があります。
しかしこの作品は、『ロッキー』とは異なり、最後に屈辱を晴らすカタルシス(用語1)がメインの作品ではありません。隠し味的にいくつかのスパイスが効いていて、そこにタイカ・ワイティティ監督の魅力が表れているのです。
内側は脱力系コメディ(≠スポ根)
この作品の最大の魅力は、結論からいうと緩い空気感、独特な笑いにあります。主人公であるトーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)が初めて米領サモアにやってきた際のチームの歓迎シーン、ロンゲンの小間使いをする少年、ロンゲンが海辺で黄昏ているときの空き缶のくだり等々。コミカルなシーンがこれでもかと各場面にちりばめられています。この独特な笑いがまさにタイカ・ワイティティ監督節炸裂といった感じで、好きな人はきっとそこにハマるはず(一方で響かない人には(後述する淡泊さもあり)全然面白くないと思います)。
この独特な笑いの緩さが根底にあることで、それが淡泊な描写や真面目な場面とのメリハリになっています。というのもこの作品、ロンゲン以外の人物の心境の変化については、あまりにも描写が浅過ぎるのです。その意味で、深く感情移入して鑑賞するのは難しいかもしれません。映画の尺自体が短いこともあり、恐ろしくさらっと話が進んでいきます。
例えば、タビタの息子は当初ロンゲンに不信感を抱いていますが(チーム全員も同じです)、いつのまにか彼を信頼するようになります(ちなみにこの信頼獲得の場面は、『ロッキー』オマージュのダイジェスト的な部分に集約されています)。王道スポーツ映画なら描いて然るべき、新参者と古参によるチームビルディングがほぼ描かれていないのです。
ジャイヤがロンゲンに仲直りを持ちかけるシーンもアッサリとしたものです。チームに置いてくれてありがとうという旨の発言をするジャイヤですが、そもそもロンゲンが来る前はチームにおいてもらえなかった的な描写はなく、仲直りを持ちかけるにはいまいち説得力に欠ける場面になっています。
このように、心情描写に厚みがないと言われかねないこの作品。にもかかわらず、観ているうちに不思議とストーリーに惹き込まれてしまいます。これは独特な笑いが登場人物に深みを与えつつ、ストーリーに大きくメリハリをつけていて、物語全体のリズムに巻き込まれてしまえるからでしょう。
カタルシス
冒頭でも述べたとおり、この映画は体裁こそ王道スポーツ映画の形を取っています。しかしその手の作品によくあるような、勝利によるカタルシスが主たる魅力の物語ではありません。それは上述した、淡々と進むストーリーに起因しています。登場人物の極端な喜怒哀楽が描かれないことによって、カタルシスの度合いはそれほど高くなくなってしまっているのです(観客からすれば努力の過程があまり大変そうに見えないので、仕方ありませんよね)。最後の対戦相手のトンガに対するヘイトがそれほど高くないことも一因として影響しているでしょう。しかしこの作品、実は勝敗とは全く別のカタルシスが用意されているのです。
それは、ロンゲンの娘が実はすでに亡くなっており、ロンゲンは最後にその悲しみを乗り越えたというもの。作中、なぜロンゲンは別居しているのか、なぜ直接娘と電話をしないのか、なぜしきりに妻から心配されているのか等、ロンゲンに対する疑問が付きまといます。淡々と進むストーリーと相俟って、彼がなぜ苦しんでいるのかは少々わかりにくいのです。しかし最後のハーフタイムの演説で、ついにその理由が明かされます。そして彼はその大きな悲しみを克服することに成功します。そして現在の幸せに目を向けられるようになるわけです。因縁のライバル(でさえないのかもしれないですが)を打ち倒すことに主眼が置かれているわけではないのです。
この映画の序盤、悲しみの5段階(キューブラー・ロスの死の受容過程、用語1)に触れるシーンがあります。ロンゲンは物語の最後、娘の死を受け入れたのであり、その意味でまさにこの映画は5段階の最後「受容」の映画でもあったのでした。
王道スポーツ映画という外面でありながら、タイカ・ワイティティ監督節炸裂の独特な笑いでメリハリをつけ、悲しみの受容という大きなテーマを伏線的に忍ばせていたこの作品。
一見淡泊ではあるものの、深みもあり、タイカ・ワイティティ侮るべからずと言いたくなる良作でした。
用語説明
1:カタルシス
2:悲しみの5段階(キューブラー・ロスの死の受容過程)