子どもが死ななければ学べないのなら
あなたは
あなたの命に価値を感じていますか?
わたしはわたしの命を一度、絶とうとしてから
自分のために生きるのを終え、
誰かのためにこの命を使おうと決めました
だけど、
虐待や事故、いじめ、紛争、戦争
子ども達の命が
どんどんと奪われていく社会
なぜ、私は生きているのに
子ども達が死ぬのか
死にたがったわたしが生きて
生きたかったであろう子どもが死ぬのか
あなたの中で譲れないもの
これが崩れると心が崩れるというものが
ありませんか?
私にとって
子どもの命が護られないことは
心の平穏を保てない要素
だから、無残な最期を過ごした子ども達を見ると
当たり前に加害者を批判して罵倒したくなる
社会はダメだ、クソだと嘆いて
物を壊して壁を叩いて、
無力な自分を傷つけたくなる
でも、そんなことをしても社会は変わらない
私だって少なからず二十数年生きてきて、
なにも変わらない日々を経験してきた
幼い時に望んだ
子ども達の貧困・平和・平等な教育の機会は
実現されてない
でも、少しずつ変わっていることも
あるのかもしれない
自分がすべきことは
目の前の感情に流されないこと
そして子どもの命に
ここまでのプライオリティを感じて生きていくこと
そして自分にできることを少しずつ達成するしかない
昔のことばは正しい
急がばまわれ
急いては事を仕損ずる
走れば躓く