きらいな建築ときれいな名建築
私は、長らく建築がきらいでした。
強い言い方になってしまいすみません。
言い訳させてください。私は前職で、建物のメンテナンス業務(主に清掃)をしてました。新築の施設や建物を担当したこともあります。
そこでよく思っていたのが、「床の材質を傷のつきやすい加工にするなんて」「すぐに汚れる素材なのにクレームを言われる」「吹き抜けのガラスなんて清掃費用がかかるのに、高額だと言われる」という愚痴でした。
建物はかっこよくお金をかけているのに、メンテナンス維持費用は考慮されずに建設されることが多かったので、どうしても恨み節になってしまっていました。
そんな背景があり、「オシャレ建築」と言われるものに対して「どうせ、メンテナンスしにくいんでしょ?」と独り言ちていました。
特殊な職業病です。
仕方ないことです。建築だって真剣だけど、私だってメンテナンスに真剣だった。それだけです。
きれいな建物で、お客様をお迎えしたい、その気持ちは同じだったと思うからこそ、建築は相容れない業種と認識していました。
それが、仕事で汚い現場を見続けていたせいで、逆にきれいな建築を見ると癒されるようになりました。皮肉なことですが、見たい世界だったのでしょう。
きっかけは、テレ東ドラマ「名建築で昼食を」です。
毎回、とてもきれいな建物が出てきます。ただただそれに癒されました。
なんなら、朝仕事行く前に見てました。(どれだけ建物の汚れをとっても、掃ききれない心の埃が溜まっていたんですね。闇を感じます)
そこから、吸い寄せられるように今回、京都旅行でロケ地にも使われた名建築を訪ね歩いたわけです。
私は常々、「興味」というのは他人には言わずに、自分の中で育てるものだと、かっこつけて言ってますが、実際に名建築を見たことで、自分の中のとろ火に、一気に火がついたのです。
詳しい様子はまた明日にしますが、嫌いだったものが好きになるなんて、よく聞くけど、言うほど、よくあることでもありません。少女マンガの世界です。
建築に夢中になりながら、「こんなこともあるんやなー(京都にいるので関西弁です)」と感慨深く、京セラ美術館の前に座っていました。
ひとつ言えるのは、仕事として建物の細かいところを見てきたからこそわかる、緻密さ、お金のかけ方や熱き思いまでを勝手に感じることができるのです。
長年仕事をやってきたからこそ見える世界が、「仕事」という眼鏡をはずした途端に、同じものでも全く違って見えてきた。仕事というのは、これほど人に影響を与え続けるものなんだなと気が付きました。
むしろ、あの仕事をしていなかったら、建築に興味を持ったかどうかもわからない。なるほど、これは、いわゆるひとつのディスティニーですね。
さて、明日は大興奮の名建築巡りを熱量通りに、お伝えすることができるでしょうか。それはまた、別のお話。