【棚卸し】マネージャーは面白い③ターニングポイントはここだった
前回は、大学で出会ったアルティメットというスポーツを、「自分には向いていない」と気付きつつ入部した話をしました。
1.トラブル発生!!
少しずつ、周りの同期との差を感じつつも、必死に練習に取り組んでいた、夏休みのある日。
私は練習中に大けがをしました。
右膝前十字靭帯損傷。
実は、この前日、私は夏の高校野球を観戦するため、甲子園に行っていました。そこで、熱戦を観て、相当張り切って練習に臨んでいました。
そして、起こった大けが。
実に私らしい経緯。
ほどなくして、治すのに手術が必要との診断を受けました。
ちなみに、整形外科の先生も、当時アルティメットというスポーツを知る人は少なく、「フリスビーの競技で…」と説明するところから始まりました。
YouTubeがまだない時代。
先生たちは揃って、「あの投げて遊ぶフリスビーでなんでこんな大けがに?(苦笑)」と言っていました。
マイナー競技の悲しいところです。
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私は、三井寿以上に、諦めが悪い人間でした。
まだ、選手としての自分を全く諦めてませんでした。
悩んだ末に、手術を受けることにしました。
しかし、親に大学に行かせてもらっていることを考えると、大学を休むわけにはいかない。
入院1ヶ月を要することもあり、手術は怪我から半年後の2月にしました。
その間に、シーズンの大事な大会は全て終わってしまいました。
2.このトラブルがターニングポイントだった
けがをしても、チームに貢献したい気持ちは1㎜も落ちませんでした。
私は、動けなくてもやれることを、率先して探し始めました。
練習も休まず行き、チームメイトに声を出したり、1年生がやっていたビデオ撮影も引き受けました。
全ては「チームが強くなるためにはどうしたらいいのか?」ということだけで動いていました。
1年生のやる雑用(ドリンクをつくる、渡す、ビデオを撮るなど)もなるべく引き受けるようにしました。
チームが強くなるためには、全体の底上げが必要で、1年生の上達も必須だと考えていたからです。
1年生は申し訳なさそうにしていましたが、気にせずにもっと近くで先輩のプレーを見るように促しました。
悔しい気持ちがなかったわけじゃないですが、チーム全体を見た時に、「どの役割を自分が引き受ければ、チームにプラスとなるのか」を常に考えられていたような気がします。
(この「全体を見て、不足している部分を見つけて行動ができる」ところが私の強みだと、つい先日友人が話してくれました)
そして、何のためらいもなく、喜んで雑用をしている自分がいました。
3.チームへの強い想いが引き起こした事件
そうして、チームへの貢献方法を徐々に掴んでいった私の、強い想いが引き起こしたトラブルもありました。
それは、大会中にただ応援していて、コートの外で痛めていた右膝を再び怪我をしたのです。
これは、恐らくアルティメット界でも類を見ない怪我でした。
この「コート外インジャー(怪我)」が私の代名詞になりました。
チャップリンは言います。
「人生はクローズアップで見れば悲劇でも、ロングショットで見れば喜劇だ」と。
その通り、当時は少し走れるところまでできるようになったのに、また松葉づえに戻ってしまって、絶望を感じたものの、5年後には完全な持ちネタとなりました。
まぁ、主治医には飽きられましたが。
そんなことがありながらも、無事手術を終えて、一生懸命リハビリをしていました。
当時、復帰までには術後1年かかると言われていたので、練習には出ながら、他の時間でリハビリをする日々が続きました。
復帰できたのは、4年生になってから。
その間に、私はコート外で力をつけていきました。
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