戦争をなくすために | SDGs歴史編〜 エコロジーの生まれ 〜
1969年、カリフォルニア州バークレーの地で、ベトナム反戦の渦中にあった学生運動が過激化していた。カリフォルニア大学バークレー分校のキャンパスは緊張に包まれ、学内外でシュプレヒコールが響き渡っていた。この時代、テレグラフ・アヴェニューを歩く際には、イヌのフンに注意を払わねばならないほど、街はイヌと共に生きていた。
バークレーの一角には「ヒッピー地区」と呼ばれる場所があり、そこで一つの小さな投稿記事が地元のアンダーグラウンド新聞に掲載された。それは、放置された空き地を清掃し、野菜や花を植えようというものだった。このアイデアを提案したのはデラクールという男性で、彼は空き地を公園に変えることを夢見ていた。
デラクールは理想の公園づくりに熱意を示すヒッピーたちと共に、アイデアを共有し、地元の商店主から集めた資金で芝生、植え込み、トマトの苗などを購入し、空き地に運び込んだ。そして、ゴミを片付け、土をまいて、野菜の種や樹木、芝を植え、公園の建設に着手した。彼らはこの場所を「ピープルズ・パーク」と名づけ、共有の空間を創出した。
開園日には、気球を飛ばし、フルーツや酒を分け合い、音楽とダンスで祝った。ピープルズ・パークは、"PEOPLE HAVE THE POWER"というメッセージを掲げ、ユートピアの実現を夢を見ていた。ここでは、裸足で踊り、野菜を配り、夜通しボンゴを鳴らし、酒を楽しんだ。
しかし、この平和的な共存の場は、土地の所有者である大学と、地元住民の間で軋轢を生んだ。当時カルフォルニア州知事であったロナルド・レーガンの決定により、ピープルズ・パークは閉鎖され、警察が出動して公園を封鎖した。5月15日の早朝、警察は公園にいた人々を追い出し、フェンスを張りめぐらせた。その後、抗議活動が呼びかけられ、警察とデモ隊との間で激しい衝突が発生した。この過程で、一人が死亡し、多数が負傷した。
ピープルズ・パークへの弾圧は、エコロジーという言葉と概念が若者の間で広く広がるきっかけとなった。エコロジーがアンダーグラウンド新聞に頻繁に登場し始め、エコロジー・アクションやDDT、森林、環境主義といった言葉が全米に広がっていった。ピープルズ・パーク事件は、エコロジー運動の芽生えであり、人間と自然の共存、持続可能な社会への関心を高める重要な出来事となった。
つづく…
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