読書感想文 「環境心理学」環境デザインへのパースペクティブ
きっかけ
松波晴人さんの「ビジネスマンのための『行動観察』入門」を読み、環境心理学という言葉・学問を知った。
元々、人間のことをよく知り、より良いプロダクトを生活者に届けたい、という思いから、生活者と触れ合ったり、本質的な価値提供のために、リサーチ活動をしたいという気持ちから、行動観察のことを知り、その本を読んだ。
自分は、建築の分野にも興味がある。
建築は人間の生活とは切り離せない概念であると同時に、作家性も含んでいるモノがあるところに魅力に感じている。
ある意味自分の中では、プロダクト領域と空間領域が繋がる部分が環境心理学なのでは、という直感を得、その響きにも魅力を感じ本を読んでみよう、ということになった。
気づき
要は、結果的に同じ環境を得られたとしても、その過程に自分の意思決定が入っているかどうかで人間の感じ方は変わるということだ。
確かにそう感じられることはよくあるなと思う。
エアコンの設定温度にしても、夏に自分の部屋で能動的に26℃に設定するのと、他人の部屋で偶然26℃で設定されているのでは、感じ方が異なる経験がある。
自分の部屋では、もう少し涼しくしたいけど、汗をかいたら調整すればいいか、と納得するかもしれないが、他人の部屋では、設定温度は自分の管理外のことと感じて、我慢を前提に過ごすことになることもある。
これを気のせいと表現する人がいる。
その気持ちもわかる。たしかに”気”のせいなのだから。
ただ、エアコンというのは、”気”持ちよいか、”気”持ちよくないか、が重要であってその設定温度はあくまで数字の話なのである。
気のせいであるから切り捨てるのではなく、気のせいだからこそ、重要なのである。
そういった人間の機微は、往々にしてゾンザイに扱われかねないが、そういったことの積み重ね、組み合わせで空間は設計され、環境は生成されていく、と胸に刻んだほうが良いと感じる。
ハウスとホームの概念を区別して理解する、という文脈の上での解説である。
”ホーム”という概念は、家だけでなく、いろんなものに適応できるものだと思う。
例えば、
・海外から帰ってきた際の母国の感じ
・サッカーでのホールとアウェイの違い
・出張先から自社に帰ってきた際の感覚
などなどいろいろあると思う。
人間は特定の環境をホームであると認識することによって、そこから安心感を得ている。
ホームとは何かを自分なりに考えてみると
・共通理解のある味方がいる
・ほとんどが知っている要素で構成されている
・安全が確保されている
というところだろうか。
こう考えてみると、ホームがあってこそ人はアウェイを求めることができるし、チャレンジをしたい気持ちを抱けるのではないか、という仮説に至る。
ホームはある意味刺激の少ない環境であるため、それだけでは人間は暇に耐えられなくなるかもしれない。
一方で、ホームとアウェイの概念を混ぜたり、境界を取り払ったり、第3の選択肢を設定したり、と新しい環境の概念を作る活動も、それはそれで興味深いと思う。
環境とは、器であって最終的に何かを決定づける力はない、というスタンスである。
選択肢の提供、というところが肝だろうなと思う。
人間は選択肢がない場合、不自由を感じストレスを受ける。
また、選択肢があったとしても、それが現在の自分の状況に適していないものであった場合、それまたストレスとなる。
人間というのは、当然ながら主観的な生物だな、と思い知らされる。
自分の状況に合っている環境を良いと感じるし、合っていない場合、不快になる。
環境を設計する上では、その空間で
・どんな立場の人が
・どういう目的で
・どういった気持ちで
・どういった前後の文脈
で暮らすのか、ということを意識した方がよいのだ、ということを改めて感じる。
ただ、環境は人間をコントロールできるものではない、ということも頭に入れておいた方が良いだろう。
むしろ、コントロールされている感覚を得た時点で、それは選択肢を奪われているような感覚にもなるため、どういった感覚を受けるか、という心理的な機微に配慮した繊細な設計が必要だと思う。
やること
人間と環境の関係はおもしろい。
ある環境において、人間がとっている行動や感情のルーツを探る際には、その環境がどういった選択肢を与えているのか、という視点に立つと、より人間の行動を理解できる鍵になりそうだ。
また、環境の設計は人間の状況などに配慮するのは当然だが、それが支配的にならず、あくまでも人間を中心に据えて検討をすること、を心がけていく。