読書感想文 『「ついやってしまう」体験のつくりかた』

読む前

この本との出会いは、書店に立ち寄ったとき最新本のコーナーに置いてあって
”つい” この本と目が合ってしまったことであった。

そのときは、「へ〜、任天堂の人か〜。おもしろそう。」と、パラパラ数ページめくっただけで、とりあえず他の用事を済ませた。

体験のデザイン、体験価値への興味はその時もあったが、今現在、
"体験のデザイン自体を仕事にしたい" と思うところまで来てしまって、頭の片隅にあったこの本のことが忘れられずに amazon で購入。

気づけばこの時からすでに僕の体験はデザインされていたのかもしれない。


かなり個人的なことだが、筆者が青森県八戸市出身、つまり同郷であることを
知ってヴォクの興味は、100倍膨れ上がった。と同時に、誉れを感じて「この人は味方である、この人に言っていることは分かる。」というバイアスがかかってしまったことも事実。とにかく、同郷という不変の共通点はどんな前提よりも強い。
僕は勝手に絆とか運命を感じている。


気づき

1.  心の文脈こそが体験の意味を決めている


いささか抽象的な表現だが、本の表現を借りるとこうなる。

クリボーを見ているだけだと、プレイヤーの気持ちはわからない。
クリボーが登場する前のプレイヤーの気持ちを考えると
「右へ行って正解だった!」とよろこぶことが分かる。

つまり、スーパーマリオを始めた瞬間においては、プレイヤーは何をすれば良いかわからないが、いろんなアフォーダンスを頼りに右に進むことを決心する。

その結果、クリボーに出会うことで自分がとった行動が間違いではなかった、
ということに気づくのである。

まさにこれは 文脈=時間 をデザインしていると言える。



2.  物語の使命は、物語の受け手を成長させること


これはおもしろい考察だと思った。

我々人間は、文字や映像から情報を受け取って自分を変化させることができる。

それを実感させるためにゴールの後、にスタート地点に戻して過去の自分と比較
させる。

プレゼンテーションにおいてもこれは活用できる要素。

最初の問いかけをプレゼンテーションを通した後どのように感じているか、そこの差分こそがプレゼンテーションの価値、物語の価値と言える。

『UXの教科書:安藤昌也』にも人間の欲求は、所有 → 体験 → 変革 とあったので(確か)その意味がようやく実感を持って分かった気がする。


3.  体験デザインは、直感、驚き、物語、それぞれのデザインから成り立っている

わかりにくい問題  →   直感のデザイン
疲れ飽きの問題      →   驚きのデザイン
やりがいがない問題 →   物語のデザイン

それぞれの問題に対して、どのようにデザインすれば良いかが具体的に書いてあったのがよかった。

直感のデザインのためには、共通点を見つける。
驚きのデザインのためには、タブーを使う。
物語のデザインのためには、敢えて大切なものを失うストーリーを描く。

体験デザインでおもしろいところは、最初にデザインしようとすることが全然具体的なモノではない、ということである。

人の気持ち、人の成長、にフォーカスしていることが僕は好きだ。

僕は結構、精神世界で生きていることが多いので、要は、物質と切り離された世界が頭の中にある人間なので、そういった目に見えないことについて考えたり、物思いに耽ることが大好きである。

たぶん体験のデザインは僕に向いている。


やること 


 "驚きのデザイン = タブー" にフォーカスして、日常生活でいろんな悪戯を仕掛けてみたい。

性:エッチな感じ、恋
食:食べる行為、狩り、飢え
損得:お金、嫉妬
承認:階級、自己承認
けがれ:醜さ、グロテスク、罪
暴力:喧嘩、武器、差別
混乱:まちがい、不条理
死:血、絶体絶命
射幸心と偶然:ギャンブル、祈る
プライベート:秘密、過去、センス、個人情報

こうやって並べてみると、とてつもなくヤバイ人間ができあがりそうだが、驚きをデザインするには、”日常感”、”普通の文脈”があることが前提である。

つまり ”フリ” があって初めて成り立つ。





















驚きのデザインってユーモアの話じゃね?






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