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誤訳

誤訳、というのはすぐに分かる。
単純に話がおかしくなるからだ。

日本語として読める言語がそこにあっても、状況がおかしい。感情の流れがおかしい。行動がおかしい。何故そうなる? 何を言っている? そう思った箇所には必ず誤訳がある。

考えれば分かることなのに。登場人物の、存在の流れがそこで寸断されているというのに。分からないのにとりあえず言葉を置き換えるからそうなる。翻訳は言葉の置き換えではなく、解釈の映像を間に挟まないといけない。些細なことだ。その小さなひび割れから、物語全体が崩れてしまう。

考えれば分かるはず。でも、それが渦中にいると分からなくなるのだ。自分にも沢山覚えがある。

さっきからずっと怒って泣いて、スマホを壊しそうな勢いだ。大切な物語が、美しい場面が、不可解な日本語のせいで価値を失っていく。人のことを言ってる場合じゃ無い、と何度も自分に言い聞かせる。怒ったって良いことなんか一つもない、怒りは何も生まない。分かってはいるけれど、こればかりは私は許せない。どうしたって許せない。

本当に怖い。この怒りと恐怖が自分に向きますように。けっして慢心することのないように。

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