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【こころ #85】精神病院による就労移行支援を地方から都心へ


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木村 念伸さん


 うつ病・精神科の病院として、1945年から群馬県に根ざしてきた『原病院』。そんな原病院が、東京・渋谷の、それも宮下公園の真ん前にカフェのようにおしゃれな『就労移行支援事業所ワークフォー』を3年前に開設した。群馬から、なぜ渋谷に。



 同事業所でサービス管理責任者を務める木村さんはまず、「精神医療現場の変化」から話してくれた。
 かつては、精神科病院にかかって入院すれば数十年という世界が一般的だった。しかし、精神障害者手帳の取得率が上昇したことで、入院期間を限定して地域に戻り住まいや仕事を見つけながら寛解を目指していく流れに変わっていった。
 原病院もその流れの中で、精神科の病院という役割に留まらず、退院後に一人暮らしができるまでの「グループホーム」、就労ができるまでの「就労移行支援事業所」、福祉サービス利用に必要な「相談支援事業所」と、地域に求められる役割を拡大していった。


 並行して、こうした分野には、ずっと地域に根ざしてきたわけではない民間企業も数多く参入してきた。特に就労移行支援事業所は、病院の隣接地に拡大していった原病院に対して、民間企業はターミナル駅である高崎駅の周辺に立地していく。若年層などの集客の面で、結果の差は歴然だった。


 「コンセプトから大きく変えなければいけない」と感じ、でも精神科病院の強みとして専門医や公認心理士の知識も盛り込んで、新しいコンセプトを練り上げた。
 内装デザインは、採光を重視した全面ガラス張りに加えて、一人当たりのデスクのスペースも十分に取られている。従来の就労移行支援事業所のイメージとは全く異なる。
 プログラムは、学校の授業のような講座形式はほぼなく、利用者一人ひとりに応じて構成される。始めるステップとして、週1回からスタートする人もいれば、午後から来たり午前で帰る人もいる。しかし、スタートは自由でも、目標はしっかり設定する。いかにその人に合ったやり方でステップアップするかが重視されている。


 「強みはひきこもりの方」と、木村さんは話してくれた。すべては、まず「その方が出やすい環境」をつくるための仕掛けだった。
 「就労移行支援」をビジネスとして考えると、できるだけ就職しやすい方に来てもらい、できるだけ早く就職してもらう、いわゆる「回転が速い」方がありがたい。
 しかし、「医療法人が土台の事業所」として、焦らずに着実にステップを踏むこと、その結果として就職後も長く活躍できることを重視している。さらに、それでもビジネスとしてちゃんと回ることが素晴らしい。


 そんな、いわば「高崎モデル」を渋谷に持ち込んだのが、冒頭でご紹介した『就労移行支援事業所ワークフォー』。当初は、北関東など隣県に進出することも検討されたが、「東京都心で成功すれば他でも成功できる」というトップの決断で、渋谷に進出した。
 高崎の事業所同様に、開かれたガラス張りの窓からは宮下公園が見え、室内はおしゃれで、とにかく明るい。
 さらに工夫も重ね、開業して約3年だが、すでに多くの成功例を生んでいる。例えば、「30年ひきこもった方でも、目標を設定し、週1の通所から始めて、1年間かけて就職に至った」ケースでは、かなり低かった自信や自己肯定感を、他者との交流を少しずつ増やしながら改善していくことから始めた。その方は、就職した今でも、仕事の休日に事業所に顔を出しに戻ってくる。
 そんな温かい事業所に、他の大手事業所でついていけなかった利用者さんも門を叩く。



 もちろん、地方と都心の勝手が全然違う面もある。利用者への認知度向上や、支援後の就労先の開拓など、地元群馬では行政機関や昔からの企業のつながりが大きかった一方で、都心では「完全にネット」。事業運営としては、アプリの導入から広告戦略まで新しいチャレンジも多かった。
 一方で、そんな中でも、「医療法人が土台の事業所」として、「地域への貢献意識」は揺るがない。地域の方々に向けて事業所を公開する機会を設けたり、医療法人としての専門性も説明していくなど、群馬同様に渋谷でも「地域に根ざしていく」つもりだ。



 こう話してくれた木村さんご自身のお話をお聞きして、なぜ木村さんがこの事業所で、土台である精神科病院で活躍してきたか、腹落ちした。
 木村さんの実家の目の前の家には、身体と知的の障害のある子がいた。「自転車に乗れなければ、自分の後ろに乗せればいいだけ」だから、いつも地域のみんなで一緒に遊んだ。地域では養護学校との交流もあり、「福祉は身近だった」
 最終的に障害分野の仕事を選んだ背景には、「重度だからこそ、できないことにチャレンジする面白さ」を知った経験があった。
 海に行ったことがない筋ジストロフィーで自ら筋肉を動かせない当事者の夢を叶えるために、海に連れていき、浮き輪に乗せて、手を海水に浸した。「それを口に当ててもらえますか?」と言われ、そうすると、「海って、しょっぱいんですね」と返ってきた。
 「感動と、それもできないんだという驚きがすごかった。”できないことができるようになる”、それが仕事になればいいのにって思う連続で、ここまできました」


 医療法人を土台に、自分のペースで目標に向かっていけるプログラムがあり、”できないことができるようになる”ことに喜びを見出すスタッフがいる。そんな事業所が、都心のど真ん中の渋谷にある。しかも、カフェみたいにおしゃれだ。
 「こんな事業所、他にないだろ」なんて、言いたくなる。だからこそ、都心にも根ざした上で、もっと広がってほしい。





ここまで読んでくださった皆さまに‥


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