ピンチをアドリブで乗り越える技 87/100(スピーチ4 -バネ)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
スピーチシリーズも4回目となりました。
昨日、オバマ前大統領が目線を上げるために、アクリル板のテレプロンプターを使い始めたという話をしましたが、後から確認してみると、演台は使っているみたいですね。
演台は、威厳を出すためにも有効ですが、観衆との間に距離を生む、バリアになってしまうと言いました。
しかしこの場合は、おそらくこの演台が保安上の、文字通りのバリアとしても機能していたのではないでしょうか?
演台を取り除くと、演者は自由に動き回ることが出来ます。無防備です。
逆に、演台がないのに、ただ真っ直ぐ棒立ちになっている状態というのは、不自然ですし、演者にとってもどこか落ち着かない状況だと思います。
そこで、テック関係の演者たちは、演台を取り除いた時、舞台上を右へ左へと歩き回るようになったのだと思います。
ところで、先日、西洋と東洋の演劇的身体表現について、講義させていただいたのですが、私の中でもなんとなく気がついていたことを、改めて掘り下げる機会となりました。
イギリスの演劇学校では、西洋的な体の使い方は、曲線であり螺旋だということを学びました。
中世の宮廷ダンスから、城の螺旋階段、武器の使用法に至るまで、身体を螺旋状に使うエネルギーの出し方が、西洋的身体の根底にはあります。
そこには振り子の原理があり、延伸力があり、螺旋式バネといった物理的原動力を使うことによって、身体を効率的に使おうという思想があるように思います。
対して、日本古来の体の使い方というのは、どうでしょうか?
私の個人的なイメージとしては、西洋が螺旋状のバネであるのに対して、日本では板バネ式のエネルギーの出し方を用いているように思います。
バネというと、一般的には螺旋状のものを指しますが、列車の車輪部分などに用いられている(たしか)バネは、板ばねと言って、直線的な動きをします。
針金をコルク状に巻いたのが、螺旋のバネで、鉄板を何層にも重ねてその跳ね返りを利用するのが板バネです。
(正確には違っていたらすいません…)
能狂言の立ち姿である、カマエはこの板バネ式の立ち方をします。
ちょうど免震構造のビルに近いのですが、身体をジグザグにすることで、歩行による縦運動を吸収させて、摺り足をします。
ASIMOに近い歩行運動です!
歩くといえば、その昔、日本人はナンバ歩きといって、左右同じ側の手足を出す歩き方をしていたと言われます。
右足を出す時に右手を前に出し、左足を出す時に左手も前に出すという歩き方です。
これって、違和感でしかないですよね。
実際にやってみると、本当に変な感じになります。
何かがおかしい、と私は常々思っていました。
対して、イギリスの演劇学校では、螺旋式の歩き方というのを、何度も練習させられます。
腰部と胸部を、左右逆方向に捻る運動を原動力として歩行するのが、螺旋式の歩き方です。
この歩き方に慣れすぎている現代人が、先述のナンバ歩きをしようとするから、変な感じになってしまうのではないか?
と、仮説を立ててます。
つまり、今の身体性でナンバ歩きをしようと思うと、腰部と胸部を、左右同じ方向に捻って歩こうとしてしまうのです。
でも、能狂言では腰部や胸部を捻るということをしません。
また、江戸から京をわずか二、三日で走り抜けていたと言われる飛脚は、重心をおもいっきっり前方に倒すことで走っていたと言われています。
古武道の世界では、身体の力を抜くことで、予備運動なしの瞬発力を生むことが出来ます。
文章だけで表現するには限界があるのですが、私が思うにナンバ歩きとは、
腕を振ったり、胸部を捻ったりすることなく、重心を丹田あたりまで低く持っていき、膝を柔らかく使い、重心移動で歩く
そういう身体の使い方なのではないかと思います。
ああ、またなぜ、スピーチの時に壇上を左右に歩くのか、という話まで踏み込めませんでした…
でも、方向性は見えてきたのではないでしょうか?