ピンチをアドリブで乗り越える技 82/100(非言語)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
先日、友人と話していて、私の思う
「演技はセリフでない」
の原点とも思える出来事を思い出したので、ご紹介します。
ピンチ禍においても、「何を言うか」ではなく、どういった表現をしているかに、気を配ることが重要かと思います。
なぜならば、演技に限らず、コミュニケーションや表現において、言語の部分というのは非常に限られているからです。
実感として、私は
相手に与える印象 = 表現 (85%) + キャラクター (8%) + 言語 (7%)
ぐらいだろうと思っていたのですが、「メラビアンの法則」では、
「視覚情報55%」「聴覚情報38%」「言語情報7%」
とされているようです。
ここで重要なのは、イギリス演劇の世界では、決して言語を蔑ろにしているという訳ではないという点です。
英国には英語という素晴らしい言語がある、という強い自負を持った国民性があります。
それに加えて、シェークスピアの存在も大きいです。
彼が作った造語やことわざは枚挙にいとまがなく、英語史において大きな功績を残した一人といえます。
英語という言語の持つ、表現の豊かさだけでなく、その音楽性や、緻密に計算された心地よいリズムに至るまで、イギリスの役者は言語に非常にこだわります。
その上で、言語は観客に与える印象の7%ほどでしかない、と思うのです。
私が8%を「キャラクター」としたのは、動作の伴っていない、静止した状態をさしてます。
そして、85%とした「表現」の部分は、ジェスチャーや所作、発声、抑揚などの技術の部分をさします。
さて、冒頭の原点となった出来事に話を戻しましょう。
実はそれはイギリスの演劇学校で演技を学ぶ以前のことです。
いや、正確には直前ですね。
ほとんどの学校は、入学試験に1次試験と2次試験があります。
まずは、全国統一筆記試験で、選択科目を最低2教科、合格点をとっている必要があります。
これは、大学入学の条件としては非常に簡単です。
そうそう、イギリスの演劇学校は大学の附属となっていることが多く、普通に学位を取得できます。
例えば、私の行ったギルドホール音楽演劇学校は、ロンドン・シティー大学の附属となっています。
筆記試験の条件をクリアした上で、入学試験のオーディションを受けます。
1次試験には20名ほどが一度に呼ばれて、用意してきた独白を個別に2つ見せ、簡単なグループワークを行います。
この時点で残るのは1人か2人です。
しかも、当日その場で通過したかどうかが知らされます。
次に行われるのが最終試験。これには1日半かけます。
競馬の品評会さながらに、様々なことをさせられるのですが、その中の一つが、オーディションに向けて練習を重ねてきた独白です。
だいたい、古典を2つ、現代劇を3つぐらい用意していくのですが、その中でも一番自信のある現代劇を見せてくれと言われました。
私が選んだ独白は、職場で、ちょっとした恋愛関係に発展した男女の話で、男性が女性に、若干上から目線な感じで、この関係はもう終わりにしようと告げるシーンです。
今でもセリフが出てくるぐらいに、この独白は相当作り込んだ記憶があります。
一度、自分が作ってきた演技を審査員の前で見せました。すると
「じゃあ、今度は僕が女性の役をやる。君は女性を誘拐して、この椅子に縛り付けているという設定でもう一度。もちろんセリフはそのままで。」
と、言われました。
つまり、しっかりと作り上げてきたものを、状況に応じて変える柔軟性を持っているか。
そして、セリフ通りの演技を敢えて変え、言語と表現を切り離して捉えられるか、を試されてました。
私は手にエアーのナイフを握りしめ、同じシーンを、同じセリフで、彼の猟奇性を少し強調して、始めました。
途中、相手役の先生が突如暴れ出したりしました。その喉元にナイフを突きつけ、言うんです。
「トリーサ、僕は君のことを、本当に魅力的な女性だと思ってるよ。」