ピンチをアドリブで乗り越える技 73/100(完コピ)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
昨日は、棒を使ったエキササイズのお話をしました。
イギリスの演劇学校では、それぞれの演技メソッドの名称と、その意義を先生から教わることがなかったのと同じように、このエキササイズの呼称も知らないのですが、私は『The Stick』と呼んでいます。
キレないことの絶対的な重要性が、このエキササイズの学びの一つであるとご紹介しました。
もう一つの学びは、模倣の大切さです。
この連載で、重ね重ね『傾聴』(5/100などを参照)という単語を使ってきていますが、求められているのは、
音に耳を傾けること
ではありません。
音だけでなく、僅かなボディーランゲージや、些細な表情にまでも、耳を傾けるのが『傾聴』です。
このエキササイズで、前の人が行った、非常に単純な、棒を持ち上げて棒を置く、という所作に対しても、十分に傾聴をしていないと、真似をすることは出来ません。
日本では、能狂言のルーツに「猿楽」というものがあり、これは真似、模倣の芸能であったと言われています。「猿真似」ですね。
日本の伝統芸能の世界では、師匠からものを習うときは、「口移し」と行って、師匠がみせたお手本を、そっくりそのまま、おうむ返しで繰り返すことで、稽古が進んでいきます。
そっくりそのまま、です。
声のトーンから、抑揚、強弱、覇気に至るまで、全てを完コピしなくてはいけません。
ここにも、『傾聴』が必要です。
そうはいっても、師匠とは熟年度が違いますし、技術の差もあります。なんなら、体格差や、声帯の違いもあります。
それでも可能な限りの完コピを目指して、おうむ返しをするわけです。
師匠が、完コピできていないと思うと、
「違う!」
という檄が飛んできます。
いや、それならまだ良い方です。
実際には、何も言わずに、「もう一度言ってみろ」という意味で、同じセリフを繰り返されます。
能狂言では、これを繰り返して、3度目には完コピ出来ていなければいけないと言われています。
まあ、難しいですよね。
でも、誤解を恐れずにあえて付け足すとすれば、ここで重要視される感コピの要素は、抑揚などの「言い方」ではなく、「どう言うか」や「何を言っているか」です。
まさに、演技はセリフでなく、その裏にある意図である。(55/100参照)
ということだと思います。
でも、流石に何度も
「違う!」
とだけ言われていると、萎えてきます。そうです。
「NO」
とだけ、ただ言われているのと同じです。
でも、社会に出てみれば、これって結構よくあることじゃないですか?
ただ「違う」とだけ先方から言われる、なにが違うのかは分からない。
実は、先方も「何が違うのか」分かっていない。
何が違うか、うまく説明できないけども、何かが圧倒的に違う。
そういう状況に置かれたとき、冷静に試行錯誤する精神力を鍛えるのが、このエキササイズです。
「違う!」
と、言われたときはピンチに感じるかもしれません。
でも、実はこれってまだ良いパターンなんです。
一番厄介なのは、「違う!」ではなく、乏しい語彙力と、先方の思い込みで、妙な具体的な訂正が来てしまい、それに翻弄されるというパターンです。
こうなってしまうと、もう泥沼です。
ああ、このエキササイズから学べることは3つと言いましたが、まだありますね…
明日に続きます。