【イベントレポート】「第12回なぜ青梅でアートなのか 」(ゲスト:奥村よしひろ)
こんにちは。
合同会社ARTの地産地消は、「アートの力でクリエイティブで豊かな市民生活を実現する」をビジョンに掲げ、地域住民の皆様と地域で活動するアーティストの交流を積極的に推進していきます。
その一環として、「なぜ青梅でアートなのか?」というテーマのもと地域で活動するさまざまなアーティストやクリエイティブな方々と代表の井上がお話しするトークイベントを定期的に開催しています。
今回は、10月26日(土)に開催されたトークイベントの様子をまとめました。トークイベントは奥村さんが主催する展示「フォト・ジャランジャラン展」の会期中に行われました。いつもとは異なり、写真に囲まれた空間でのイベントになりました。
スペイン、バリ島、青梅と幅広い世界で写真活動をおこなってきた青梅在住の写真家・奥村やすひろさんにお話を伺いました。なぜ、写真家になったのか?なぜフラメンコなのか?バリ島ではどのような活動をしているのか?そして、青梅で写真展を開催し続ける理由とは?など話題は多岐にわたりました。
サラリーマンから写真家へ
井上正行:今回は、アトリエで現在開催中の「フォト・ジャランジャラン展」を企画・運営されている写真家・奥村よしひろさんをお招きしました。自己紹介からよろしくお願いします。
奥村よしひろ:奥村よしひろと申します。私は写真家として仕事をしています。 なぜ写真家になったのかというお話を最初にしたいと思います。以前、私はサラリーマンをしていました。
会社員時代、趣味でスキューバダイビングをやっていたんですよ。日本だけでなく、海外にも行っていました。伊豆の大瀬崎というスキューバダイビングで有名な場所があるんですが、そこで事故を起こしてしまいました。死に損なったんですね。それで、いろいろな方面に迷惑をかけてしまったんです。
ある日、ベッドの上でまだまだ動けない状態の私の元へ、写真をやっている先輩がきたんです。「もう海にはいかないほうがいい。危険だ」と言ってくれたんです。そして、「陸上で写真を撮れば命の危険はないよ」と説得されました。実はこれがきっかけとなって写真を始めることになったんです。それからは、青梅にある写真クラブに入って活動を始めました。
ダイビングをやっているとき、私はビデオ班でした。仲間達で海に行くとき、私は写真が好きだったから自動的にビデオ係になっていたんですね。でも、今度は写真でしょう。何を撮ろうかなと思っていると、クラブの先輩がテーマを決めてくれと言ってきたんですね。
それで若い頃のことを思い出しました。かつて仕事の都合上、よく「常磐ハワイアンセンター」(現:スパリゾートハワイアンズ)に泊まっていたんですね。ご存知の方はいますか。ショーが観れたり、温水プールもあったりして外国人もよく利用する宿泊施設です。そこで行われたショーの風景などを思い出したんですね。
当時私は、羽村の会社に勤めていました。羽村には、「エルムンド」というスペイン料理屋さんがあるのですが、そこで月に1回フラメンコダンスをやっていたんです。これをテーマにしようと思い、店主に聞いてみたらいいよと言ってくれました。
それ以来、いつも、目の前の1番いい席を用意してくれるようになりました。
クラブでは毎月例会があるので、そこに写真を持っていくと誰もこれがいい写真なのか悪い写真なのかわからない、自分自身もわからない。先輩たちは撮っているジャンルが違うので、フラメンコを評価できないんですね。私もアマチュアですし、困ったなと。
それで、今度は先生に写真を持っていくんです。するとこれがいいとか、悪いとか言ってくれるんですね。
井上:先生というのは?
奥村:フラメンコの先生ですね。
撮った写真をただであげるんですよ。どうですかって。 すると見て、うんとかダメとか言ってくれた。こういうやりとりを、私は5年間続けました。その間、フラメンコしか撮りませんでした。そうすると、だんだん写真の良し悪しがわかってくるんですね。
どこかで個展をやったらどうか、という話も出てきました。かつて新宿にコニカミノルタプラザというギャラリーがあったのですが、そこの審査に通って個展を行うことができました。
井上:それが2001年に開催された「タブラオぶらぶら フラメンコ・アーティストたちの熱き舞台」ですね。
奥村:そうです。
フラメンコの写真を撮り続けて、そして個展ができて、 なんか面白かったんですよ。サラリーマン生活をしている時とは違う人たちがいっぱい来ましたし。もうサラリーマンに飽きたんです。正直見えるじゃないですか。自分はこうなるんだろうな、みたいに。
それで、会社をぱっと辞めたら「どこ行くの」とか聞かれて、「写真家になるよ」と言っても信じてもらえなかった。その時、結構うまいねと評価されていたし、アルバイト的にもちょっと稼いでたのがあって、「なんとかやれんじゃない」という甘い考えでやったんです。 そこがスタートです。それからはフラメンコをずっと撮り続けて仕事にしていきました。
大体年に1回か2年、フラメンコの発表会があるんですよ。そういう場で、皆さんからお仕事をいただきました。今もそうですね。そういうわけで、私はフラメンコ写真家として活動しているというわけです。
井上:ありがとうございます。いくつか質問があります。元々は青梅のご出身ではないんですよね。
奥村:私の生まれは九州の福岡です。高校卒業後、上京してサラリーマンになりました。
井上:サラリーマンをやられていて、お辞めになったのが2000年あたりということですか。
奥村:確か、会社を辞めたのは2002年頃でしたね。
井上:今から20数年前ということですね。「エルムンド」は私も名前をよく聞きます。羽村市にある老舗のスペイン料理屋さんですよね。
奥村:スペイン風居酒屋ですね。そこで月に1回フラメンコをやっていました。
井上:今もやられているのですか。
奥村:コロナでちょっと色々と状況が変わったじゃない。きつくなったでしょ。フラメンコは狭いところで、汗を飛ばすんですから、この時代最悪じゃないですか。でも今やっと、年に2回くらいの頻度でやり始めたそうですよ。
井上:スペインにも行かれることはありましたか。
奥村:2000年頃から、8年間ほど毎年スペインに行ってました。 ゴールデンウィークのお休みをとって大体10日間くらい。大体の場所をカメラを持って回りましたね。
井上:フラメンコの撮影をする際は、どういう感情で臨むのでしょうか。
奥村:やっぱりすごいなと思いますよね。様々な舞台がありますけど、それとフラメンコは全然違う。フラメンコの踊りって伝わってくるんですよ。一緒に踊っているような気持ちになる。
踊るようにしてシャッターを一生懸命押してました。そうすると、いい写真が残ることがありますね。
井上:いい写真というのは、どういう状態を写したものになるのでしょうか。
奥村:それはね、人によって違うと思いますよ。ですが、私はどちらかといえば、パシッと止まっている作品よりも、ブレている写真が好きです。
井上:動きを感じられるような写真ということですか。
奥村:そう。動きがあるんです。フラメンコでは、顔は動かないですが、他の部位が激しく動いてます。そういう動きの雰囲気が残せたらいいですね。
井上:動きに対してこだわりや良さを感じるのは、元々動画を撮っていたことが関係しますか。
奥村:それとはあまり関係ないね。海の中の動画って、ある意味ずっと押してればいいっていうイメージなんですよ。
でも、カメラはそういうわけにいかないでしょ。一瞬を切り取らなければいけないので。それでも自分の気分が乗った時は連続的に撮影していますよ。
私は、フィルムカメラの時から撮影をしていましたから、シャッター音がするんですよ。今はしないカメラが多いですけど。踊り手からはシャッター音がいいよって言われます。要するに、カシャっと音がすると踊っている人も今撮られたなってわかるんですよね。今よかったのかなって思うみたいなんです。カシャカシャって連続で音が続いたら、踊る側も気分が乗ってくるようです。
モデル撮影でも、ポーズを撮る時に、カシャッと音がしたら、ポーズ変えますよ。それに近いですね。
井上:それで、フラメンコの写真を8年間撮り続けてきた。
奥村:そうですね。まず5年間はアマチュア写真家として撮っていました。その後は、先生の発表会で撮影した写真をサムネイル画像にして持っていくんですね。この中から欲しい写真を選んでください、と言って注文していただくということをしていました。
もちろん、撮るだけでもお金いただきましたよ。売れなかったらマイナスになってしまいますから。
生徒さんたちがいっぱい買ってくれました。収入の大半は生徒さんからの注文でしたね。
バリ島への移住計画
井上:今はバリ島にも行かれていますよね。なぜバリ島だったのでしょうか。
奥村:僕は、プロカメラマンの組織に入っていたんですけど、いじめられたんですよね。 すっごくね。プロの組織ってこんなところかと思って、すごく嫌になった。それで、もう日本はいいかなと思って実は移住を考えていたんです。
それで、マレーシアやタイに移住先を探しに行きました。 でも、いまいちでした。
井上:どのようなところがいまいちだったのでしょうか。
奥村:例えば、マレーシアのキャメロンハイランドという場所に行きました。とても、雰囲気は良かったんですけど、日本人会があったんですよ。外国に来て、日本人と一緒に生活しないといけないのは嫌だなと思った。外国に来る意味ないなと。
井上:その写真家組織が嫌というか、もう日本が嫌になってしまったようですね。
奥村:それもありましたよ。
その後、タイのチェンマイにも行きました。雰囲気は良かったです。でも、なんとなくしっくりこなかった。
3番目に行ったのはバリ島なんですよ。その時訪れたのが、ウブドという場所でした。初めて行った場所でしたが、すごく気に入ったんです。ウブドは絵画の村なんです。街中に絵を販売する小さなお店がたくさんある。
「バリ絵画」といって、ヨーロッパとバリの芸術が合体した芸術のジャンルがあるんです。土地の人々もみんなフレンドリーだし、気候も過ごしやすかった。そして、風景も良かったんですよ。村人たちはお米を作って生計を立てているので、田園風景が広がっているんです。
井上:それで、移住を決められた。
奥村:移住はするつもりでしたが、それよりも、いっぱい写真を撮るとこがあるんですよ。そのため最初は、写真を撮って、日本に戻って、また行って、と当時年に2回は行っていました。そっちの方が楽しかったんですね。
行く時は、大体1ヶ月くらい滞在していました。 そのうちに、現地の日本人が経営してるカフェのようなところから個展のお誘いがありました。僕の作品を日本から持っていってやりました。好評だったんですよ。だから継続するようになりました。
今度は、外国人のお店でもやることになりました。1回目は大丈夫だったんですが、2回目からは拒否されてしまいました。なぜか。湿度の問題があったんです。向こうは湿度が高いので、しばらく展示していると紙のプリントに問題が生じるんですね。
それで、あと3日で日本に帰らないといけないという時に、ふとひらめいたんですよ。自分でギャラリーを作ってしまおうと。
井上:すごいですよね。それで実際に作ってしまうのですから。
奥村:同じホテルにずっと泊まっていると、現地の友達ができるんですよ。彼も写真が好きというから、カメラをプレゼントしました。
それで、「今度、ギャラリーで作るから、どこか場所を探してきてよ!」と言ったんです。そうしたら、1日で探してきたんですよ。「よし、すぐ行こう」となり、決めてしまいました。
井上:ちなみに、奥村さんが日本にいるときギャラリーはどうなっているのでしょうか。
奥村:現地に販売や受付を担当するスタッフがいます。
井上:ということは、バリ島のギャラリー経営者ということなんですね!どのような方が買っていきますか。
奥村:観光客ですね。現地の人は買いませんね。
井上:ところで、バリ島にはどのような文化が根付いているのでしょうか。
奥村:ヒンドゥー教の文化が根付いていますね。バリ・ヒンドゥーといいます。 インドネシアは、イスラム教によって改宗されましたが、バリ島にはヒンドゥー教が残った。それが今でも続いています。
そのため、バリ島独自の文化を感じるためにあらゆる国の人々が島を訪れます。
井上:インドネシアの中でも、バリ島は独特な地域なんですね。観光地でギャラリーを開設したことは、良い判断だったといえますね。
奥村:そうですね。だから、定期的に行かないといけないので、ローテーションになっています。現地で写真を撮って、日本に帰ってきてから写真の選定をし、向こうでプリントをするという流れです。
ちなみに、紙だとカビてしまうので今はキャンバス地にプリントをしています。それを現地で出力すれば、安く済みますからね。
当初は移住する予定でしたが、今はこういう動きの方がいいですね。青梅での写真展もやらないといけないですし。
なぜ青梅で写真展なのか?
井上:今ちょっとお話に出たので、バリから青梅に視点を移します。2013年頃から青梅駅前周辺で「青梅フォトカジェー展」という写真展を開催されていましたよね。これについてお話いただけますか。
奥村:なぜこの写真展をやったかというと、私も写真クラブに入っていましたが、クラブのメンバーによる自己満足になることに違和感を感じたんですよ。「なんか狭いな」と思った。
井上:青梅の写真団体への批判意識があったということですか。
奥村:批判というか、それぞれクラブのやり方や特徴があるのはいいと思っています。ただ、もっと横に広げた写真展があってもいいと思った。もっと街の中でやってみるとかね。 写真展って普通どこかの会場を借りてやるんですよ。この辺りだと、「ボッパルトホール」ですね。
やってみると、知り合いは来るけど、知り合いじゃない人はほとんど来ないんですよ。たまたまお買い物客が来ることもありますけど、基本的にはないですね。それだとなんか面白くないんですよ。
だけど、青梅の街中に写真展の会場を持っていくと、写真クラブとは関係のない街の人たちが見に来るんですよ。
彼らは正直にこの写真はいいって言うし、ダメならダメだっていうんです。こういうのが大事だと思っています。だから、写真家たちも襟を正すよね。利害関係のない人たちが、好きなことを言ってきますから、背筋がピリッとするんですよ。
井上:本来の展示のあり方だと思いますね。
奥村:それをやりたかった。
でも、私はよそ者ですからまちなかの商店に、写真展会場の依頼交渉をするのは少し気が引けたんですよ。そうしたら、ちょうど私が所属していたクラブに地元で古くから商店をやられている方が入ってきました。彼の協力があれば、地域の空き店舗などを借りる交渉がしやすくなると思ったんです。実際に彼のお陰で、価格交渉などがスムーズに進みました。それで、4、5箇所会場を借りました。人の動きが生まれますからね。
また、「フォトカジェー」ではコンテストスタイルを採用したんですよ。西多摩地域のベテラン写真家に声をかけて審査をしてもらいました。受賞した方々はとても喜ぶんですよ。プロのカメラマンから講評していただけますからね。
10年近く写真展をやったので、区切りとして終わりにしようと思ったんですよ。参加者も減り、審査員も亡くなってしまいましたし。でも、一方で「なんでやめるんだ」という声もありました。
継続するかどうか、1年考えました。今度やるとしたら、コンテストは嫌だなと思っていました。
自分の作品を自由に出せるようなスタイルがいいよねとなった。
それで去年から、改めてスタートしたのがこの「フォト・ジャランジャラン展」です。
井上:ところで、「ジャランジャラン」とはどういう意味ですか。
奥村:これは、インドネシア語なんですよ。「フォト・カジェー」のカジェーはスペイン語で、「通り」という意味です。当時の私はフラメンコの写真を撮っていましたからね。
それで、今はバリ島と関わっているからインドネシア語にしようと思った。「ジャランジャラン」は「散歩」という意味なんですよ。 散歩をするように写真をみてもらいたいと思いましたから。
「カジェー」も「ジャランジャラン」も思想は一緒なんですよ。街の通りにある写真、散歩するように写真をみるというね。
ただ、今回からはコンテストではないから、自分の好きな写真を自由に展示することが目的です。1メートルの範囲で、どんな展示にしてもいいとしました。
井上:これまで写真文化を広げる活動をやって来られましたが、どうして青梅で写真活動なのでしょうか。
奥村:それは、元々青梅の写真クラブで活動していたからですね。地元ですからね。街中で展示をしたいと思えば、自分が住んでいる街でやろうとするのが自然ですよね。だから、もし私が横浜に住んでいたら横浜でやっていたかもしれません。
井上:写真家たちと地域を巻き込んでいこう発想があるように思えるのですが、その考えはどういうところから生まれているのでしょうか。
奥村:巻き込むってどういうことですか。街の人を巻き込む、ということ?
井上:写真家仲間たちを巻き込んで、場所の交渉など色々やられてきましたよね。例えばアーティストの中には自分の世界に集中して、コツコツと個展の準備するような方もいます。
でも、奥村さんのように仲間たちを引き連れて、街中に拠点を探して、写真文化を広げてきました。これは、写真家としてだけではなく、何か別の特性が働いていると思うんです。
奥村:そうなんですか。さっきも言いましたけど、私は写真の世界にいて「なんか狭いな」という感覚を持っていたんです。
写真家の中には、自分が得意なジャンルだけがいいと思っているような人がいて、それ以外の分野の写真については批判的になる人が割と多いんですよね。すごく極端な言い方をすれば、「これは写真じゃない」みたいにね。
でも私は、なんかそれ違うんじゃないと思うんですよね。思っている以上に写真のジャンルは広いですから。
展示を中心にする写真家もいれば、お店の商品などを撮影する写真家もいる。私なんかは、舞台写真を撮っていましたしね。他にもたくさんあります。そこに上下はないんです。
だから、「フォトカジェー」のような写真展は、参加者がみんな横並びになるでしょ。クラブではないですから。上下関係ではなくなるんですよ。たくさんの写真をみてそれぞれ感じてほしいんです。
そうすれば、写真のレベルだって上がると思いますよ。人の写真を嫌でも見ますからね。
ですから、巻き込むって言われましたけど、町内会の会長と打ち合わせをして、こういう会をやっていきましょう、みたいなことはしていません。
井上:あっという間に時間になってしまいました。本日はどうもありがとうございました。
奥村:ありがとうございました。
お知らせ
アトリエ利用者募集中!
現在、「THE ATELIER」の利用者を募集しています。2024年の8月1日以降から利用可能です。見学するだけでもとても嬉しいです!
随時募集を受け付けております。
トークイベント「なぜ青梅でアートなのか?」
11月23日(土)のゲストはフランスからやってきたレニオ・トリスタンをお招きし、Vtuberプロデューサーとしてのお仕事や、俳優としてのキャリアについて深掘りします。
THE ATELIERで開催しますので、見学も兼ねてぜひいらしてください!
12月15日(日)には、第15回のゲストとして青梅出身の彫刻家・いいじまれいか氏をお呼びします。11月16日(土)・17日(日)にTHE ATELIERで彫刻展を開いたので、いらした方は記憶に新しいでしょう。いいじまさんにとって彫刻を制作することはどういうことなのか?青梅での暮らしはどういうものだったのか?これからどんなキャリアを築いていくつもりか?など様々な質問を投げかける予定です。
なお、15日はいつもとは違い日曜日開催なので、ご注意くださいませ。
■第14回ゲスト:レニオ・トリスタン氏
日付:2024年11月23日(土)
■第15回ゲスト:いいじまれいか氏
日時:2024年12月15日(日) ※曜日にご注意ください。
いずれも
時間:14:00開始 15:00終了予定
場所:THE ATLIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
定員:15名
参加費:1000円(資料代)当日お支払い
主催:合同会社ARTの地産地消
連絡先:lplc.of.art@gmail.com/0428-84-0678(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)
蜂鳥あみ太=4号 デッサン会
2024年8月にも開催した、「蜂鳥あみ太=4号 デッサン会」が12月2日に行われます!プロミュージシャンであるシャンソン歌手のあみ太さんはプロのデッサンモデルでもあります。
絵を上達させたい人、とにかくデッサンをやってみたい人、あみ太さんを愛する人、美しい肉体を眺めてみたい人、などあらゆる人たちにおすすめです。代表の井上は詩作で参加します!
日 時:2024年12月2日(月)/13:30〜16:30
モデル:蜂鳥あみ太=4号
定 員:10名程度
参加費:¥3500(現地支払い)
集合場所:「THE ATELIER」
住 所:青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204
https://maps.app.goo.gl/tb6Xku1C14osf87u9
【連絡事項】
・絵の種類は問いません。
・特に発表の場がある訳ではございませんので、お気軽にどうぞ♪
・会場内、水道使えます。
・絵画材料は各自でお持ちください。
・当日ライブはございません。
・定員に達し次第締切りとさせていただきます。なるべくお早めの参加表明お願いいたします。
企画:合同会社ARTの地産地消
連絡先:lplc.of.art@gmail.com
0428-84-0678(喫茶ここから内担当:風間真知子)
SHOGEN原画展 不恰好で心地よい世界
2022年頃より、青梅市で活動する機会が増えているペンキ画家・SHOGENの絵画展を実施します!
展示では、青梅で描かれた絵画作品と、未発表作品の数々を一挙公開します。今年の年末年始は、「THE ATELIER」でアートを堪能しませんか?
また、会期中の12月28日(土)と2025年1月5日(日)にはSHOGENによるトークイベントが開催されます。多忙を極める作者本人による、作品解説を聞ける大変貴重なイベントです!
【トークイベント詳細】
原画展期間中に、SHOGENが自作を解説するトークイベントを実施します。
今回初展示の海外や離島、東京青梅市で描いた数々の絵画作品について、様々なエピソードや体験談を交えながら皆さまに語りかけます。
ここでしか聞けない貴重な機会をお楽しみください。
日 時:2024年12月28日(土)、2025年1月5日(日)
①10:00-11:00 ②17:00-18:00
定 員:各回20名
場 所:原画展会場「THE ATELIER」
参加費:¥5,000(18歳以下¥2,500/保護者膝上お子様無料)
お申込みはフォーム
またはメール(lplc.of.art@gmail.com)にてお待ちしております!
※各回定員になり次第締切りとさせていただきます。
※こちらの参加費は全額、青梅市に鎮座する武州青梅金刀比羅神社の修繕及び運営費用に充てます。
おわりに
イベントのご案内はもちろん、その他会社の詳しい内容は直接私たちにご連絡いただけると幸いです。
会社の拠点となりますTHE ATELIERには、同じフロア内に喫茶店を併設しております。基本的には定休日なしで営業しておりますので、お気軽にご来店いただき、お話出来たら嬉しいです。
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