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【イベントレポート】「第11回なぜ青梅でアートなのか 」(ゲスト:菊池康弘)

こんにちは。
合同会社ARTの地産地消は、「アートの力でクリエイティブで豊かな市民生活を実現する」をビジョンに掲げ、地域住民の皆様と地域で活動するアーティストの交流を積極的に推進していきます。

その一環として、「なぜ青梅でアートなのか?」というテーマのもと地域で活動するさまざまなアーティストやクリエイティブな方々と代表の井上がお話しするトークイベントを定期的に開催しています。

今回は、10月12日(土)に開催されたトークイベントの様子をまとめました。青梅で約50年ぶりに映画館を復活させたシネマネコ代表の菊池康弘さんをお呼びして、彼のこれまでの人生と舞台の世界での体験談、そして映画文化を地域に根ざすための考えなどをお聞きしました。最後までどうぞお楽しみください!

結婚を機に役者の世界へ

井上正行:それではよろしくお願いします。これまでに生い立ちや、舞台の世界についてなどをまずはお話しいただければと思います。

菊池康弘:どうぞよろしくお願いします。僕は日野出身です。小学校1年生の時に青梅市に引っ越してきました。それからずっと青梅にいるので、35年ぐらい青梅にいることになります。

高校を卒業してからは、フリーターをしていました。当時の僕には夢がなくて、やりたいことが見つからずフリーターをして、とりあえずお金を貯めて、やりたいことを見つけられたらいいなと。

自分の人生設計も全然していなかったので、とにかく朝から晩まで働いてました。10代の頃は、1日12時間ぐらいバイトして、毎月2、30万ぐらい稼いでいました。

多分高校卒業して1年目ぐらいでも貯金100万円以上ありましたが、特に働きたいとかお金が貯めたいというよりは、夢がなかった。やりたいことがなくて、見つからなくて。毎日仕事をしてお金を貯めることで、なんというか・・・。

井上:やっている感を出していた。

菊池:そうですね。だけど、楽しくはなくて。
その時、飲食店のアルバイトでした。料理を作るのも接客するのもすごく楽しかったんですけど、それを一生の仕事にしようとは思っていませんでした。 やりたいことが見つからずに、悩んでいたというか。

でも、仕事自体すごく一生懸命にやっていたので、職場からは店長や社員にならないかと言われていたんですけど、 自分がやりたいことはちょっと違っており、それで21歳の時、結婚を機に役者の世界に飛び込みました

井上:珍しい決断ですよね。

菊池:そこからちょっとずれてたんですね。

井上:普通、結婚して子どもができたら俳優を辞めてしまう人が多いのではないかと思います。

菊池:そうなんです。そこら辺から、多分ちょっと人と違ったんですね。飲食店店長や、社員の話が出ていたらそちらを選択をするのが普通ですよね。でも、それを断りました。子どもができて結婚すると、自分のやりたいことできなくなると思い、真剣に考えたらそれが役者だった。そういう危機感が当時はあったのかもしれないですね。

でも、小さい頃から映画が好きで、よくテレビで映画をみたり、映画館に行ったりしていたので、スクリーンに憧れもありました。自分も演じる側の世界に行きたいなと思い、オーディション雑誌などを見ながら、やってみようと思ったんです。

井上:とはいえ、そもそもやりたいことが見つからない、という状態で役者の道に飛び込むのは勇気が必要ですよね。

菊池:結婚して、子どもをつくるということはもう決めていたので、覚悟が決まったんだと思いますね。

井上:何歳までには結婚するぞと。

菊池:そうですね。どうやって子どもを育てるか、 奥さんを養うかという時に、自分が納得してない仕事が嫌だと思っていたんですよ。子どもにも、自分が夢に向かっている姿を見てほしかった。

それで、蜷川幸雄さんという演出家のオーディションを受け時にも同じことを言ったんですよ。

井上:1回は断られたんですよね。

菊池:そうですね。オーディションを受けた時、妻子がいるからという理由で、落とされかけたんですけど、オーディションが終わった後、6時間くらい裏口で蜷川さんを待ちました。妻子がいるという理由で落ちるのは嫌だと直談判をしました。そうしたらなぜか受かりました。

蜷川さんのオーディションには、150人ぐらい受けにきて、受かるの10人ぐらいなんです。 結構狭き門なんです。
僕の場合、演技で受かったというよりは、やりたい情熱を直談判して、泣き落としで勝ち取ったという感じですね。それから2年くらい蜷川さんとは交流があって、可愛がってもらいました。

井上:舞台の世界に入ってからはどのような日常を送りましたか。

菊池:初演は藤原竜也くんや鈴木杏ちゃんの「ロミオとジュリエット」に出演させていただきました。

基本的に稽古場にずっといて、稽古をみていました。俳優さんの演技を見て勉強していましたね。とにかく、蜷川さんの演出を見るという毎日でした。でもその間もアルバイトをして生活費稼がなきゃいけない。

稽古場に9時に行って、18時ぐらいまで丸一日ずっと見て、その後バイト先に行って、それでまた朝の8時とか7時まで働いて、また稽古場に戻るという生活を2年くらい続けました。だから、 毎日睡眠時間が1時間くらいでしたね。

井上:ほとんど眠れていないんですね。

菊池:毎日来る人って僕しかいなかったんですよ。だから、蜷川さんもすごい心配してくれました。他の役者さんは、来れる時に稽古場に来る感じでしたが、僕は1日も欠かさず休まずに行っていました。ほぼ寝ていましたけど。

井上:寝に行くような感じになりますよね。

菊池:半分ぐらい寝てましたね。真剣に見てるんですけど、寝落ちしちゃいますよね。すごいスターの人たちが目の前にいて、その人たちの演技を蜷川さんの横で見ながら、一生懸命勉強しているんですけど、やっぱり眠いじゃないですか。寝ていないから。

井上:毎日来てんのに!ってなりますよね。

菊池:寝てんじゃない!って言われることもありました。でも、僕が寝ずにバイトしているのを知っているから、すごく可愛がってくれました。とても、勉強になりました。

井上:1番勉強になったことはなんですか。

菊池:そうですね。蜷川さんの演技指導を間近でみられたことが学びになりました。今では考えられないくらいに厳しかったのですが、俳優が育っていくんですよ。

彼らがどんどん上手くなっていく過程をみれたのがすごくよかったです。練習過程に関わることで、俳優や監督、演出家たちの作品に対する考えや思いを感じることができました。一般の人たちは、出来上がったものしか見れませんからね。

井上:お金を払っても見れない世界ですよね。

菊池:本当にそうですね。演じる側と演出する側は、全然違う別の世界だということもすごく勉強になりましたし、貴重な経験でした。

井上:その後どのような人生を歩むのでしょうか。

菊池:そうですね。俳優は10年間ぐらいやっていましたが、蜷川さんのところを辞めた後に、俳優の上川隆也さんの付き人を4年、5年つとめました。

今度は舞台じゃなくて、テレビやドラマ、映画などの世界に関わっていくようになりました。大河ドラマの撮影現場などにもついていくことができました。僕は運が良くて、一流の世界の現場に関わることができた。

裏方の世界にいたこともあり、僕は自分で作品を撮りたいと思うようになりました。それで、29歳くらいの時に俳優を辞めて、制作会社に入りました。演じるよりも、演出したくなったんですね。ただ、ADの仕事は当時とても過酷で、それこそまた寝ない日々が続くようになりました。

井上:そうらしいですね。私も学生の頃、制作会社の就職説明会に参加したことがありましたが、その時スタッフの方が参加していた女性に対して、「子どもは産めないよ」とはっきり言っていました。

結婚はできないし、子どもが産めない体になってもいいなら入ってきなさいと言っていて、ドン引きした思い出があります。

菊池:今その場で言ったら大変ですよね。ADになったことで、僕はこれまで蜷川さんや上川さんのそばにいたから、守られていたということに気づきました。なまじ一流の現場をみていたから、先輩の仕事に口を出したくなるんですよ。でも、指摘しようならめちゃくちゃ怒られるんです。そういうことが続くと、もう言うのやめようって思うじゃないですか。

しかも、僕が指摘した内容が元請けのTV局の人が指摘したものと同じだったことがあったんですね。それで、もう自分はここで学ぶことはないなと思ったんです。だから、制作会社には半年くらいしかいませんでした。

井上:それでよかったと思いますね。

菊池:もっと吸収するものがあれば結構頑張ろうと思ったんですけどね。

今日若い子もいるから言っておきますけど、会社って入った後、絶対そこでずっとやんなくていいですからね。無理して一生そこで働こうと思わなくていいですよ(笑)

シネマネコオープンに至るまで

井上:制作会社を辞めた後はどうされたのでしょうか。

菊池:ある意味挫折じゃないですけど、 この世界で頑張っても芽が出ないなと思って、地元に戻ってきたんですよ。

井上:それから焼き鳥屋さんの「火の鳥」を立ち上げたということですね。

菊池:そうです。役者とか舞台の世界以外では、これまで飲食業しかやってこなかったから接客と料理しかできなかった。自分にできることはお店をやることだなと思ったんですね。

井上:それが10年くらい前のお話ですか?

菊池:そうですね。飲食店は立ち上げてもう13年目になりました。

井上:飲食店を始めて、10年ぐらい経った時に映画館をつくられた。

菊池:開館したのが2021年なので、そうですね。
だけど、構想自体は前からありました。映画館を作りたいとずっと思っていました。皆さんもご存知だと思うんですけど、青梅は映画の街でしたしね。

井上:そうですね。1902年には後に「青梅大映」となる「初音座」が1973年頃までありましたし、1966年頃までは「青梅キネマ」があり、1963年頃までは「青梅セントラル」という映画館がありました。

菊池:でも、当時の僕はそのことを知りませんでした。大体50年くらい前にはすでに映画館がありませんでしたから。

かつてしょっちゅう映画を見ていた地元の方が、火の鳥に来ていて、その方たちから青梅に映画館があり、賑わっていたことを聞いていたんですよ。それが自分が映画館を作りたいと思ったきっかけなんです。

実際に映画館設立に動き出すのが、青梅にやってきたフランス人写真家シャンタル・ストマンが「オウメチッタ」という企画を立ち上げたあたりからなんです。

この方はフランスで有名な写真家なのですが、青梅をとても気に入ってくれて、世界にアピールしてくれたんですね。彼女も青梅に映画館を作りたいと言って、資金集めをし始めていた。

だから、僕はシャンタルさんに直接会いに行ったんですよ。僕も映画館を作りたいから。彼女は2000万円くらい必要だと言っていました。

井上:私もお会いしたことがありますが、確かにシャンタルさんはずっとお金が必要だと言ってましたね。

菊池:お金にとてもシビアなんですよね。でもこれは文化的な違いなんですよ。フランスって国が文化に対してしっかり助成をするんですよ。 映画もそうだし、劇場もそうだし、予算の見通しが立てやすい。

それで、多分その予算規模がフランス人の感覚と日本人の感覚とで全然違っていて、日本も助成をしますが額が全然違うんです。 もう0が何個も違う。

井上:そうですね。メセナの文化が最も盛んなのはフランスあたりですしね。


菊池:その感覚で、日本に来ていらっしゃるので日本人からは金の亡者みたいに思われがちなんですけど、そもそも素地が違うんですよ。

お金の話は置いておいて、僕がシャンタルさんとお話をした時に思ったのが、この人は、本当に青梅のことを気に入ってくださっているんだってことなんです。青梅の魅力を映画で伝えたい。写真だけじゃ伝わりきらない。だから、青梅に映画館を作りたいのだと。

でも、外国の方が日本に来て写真を撮ったり映画を撮ったりして、青梅に映画館を作るのはなんか違うんじゃないかなと僕は思った。それこそ、井上さんがおっしゃっている地産地消と一緒です。青梅に住んでいる人が、映画館を作らなければいけないと思ったんです。

井上:その考えは、メセナという発想の根源にもあると思うんですよね。
例えば劇場とかホールを作るにしても、 その地域に優れたミュージシャンがいるからホールを作る。その地域で貢献してくれているから、彼らが活動しやすい場所を作るべきだろうと。

このように徹底的に地域に根差した上で、劇団、楽団、そしてホールができていく。 日本だとどちらかというと順番が逆なので、立派なホールを作って、とりあえず呼んでこようっていう感じなんですよね。

また、青梅は1902年頃に映画館が建ち始め、1973年に最後の映画館が閉館した後も映画看板の街としてあり続けました。そして、シネマネコのある青梅織物工業協同組合は、かつて青梅の織物文化を支えた産業の中心地であり、120年以上の歴史があります。

これらのかつて青梅を支えた文化、産業の歴史を総合し、再構築をしたのがシネマネコなのだと私は考えています。だから、シネマネコが成立した経緯として、この部分がとても素晴らしく、最もユニークな部分なのだと考えています。

菊池:そうですね。織物組合のような文化的建物をビジネスとして、リノベーションすること自体にすごく意味がある。映画館じゃなくてもですね。今だと古民家を改装して飲食店にすることもあると思いますが、 映画館だとどうしても資金面だったりとかハードルが高いのですが、壊して新しいものを作るよりも、既存のものをうまくリノベーションするが大事だと思っていますね。

井上:世界的な潮流として、SDGsという考えがありますよね。その流れにも適っていると思います。

シネマネコは、ちょうどコロナ禍の時にオープンしましたよね。結果としてメディアからたくさんの注目を浴びたと思いますが、オープンに踏み切りました。その時はどのような考えを抱いていたのでしょうか。


菊池:背負ってますからね(笑)。そう簡単には辞められないと考えていました。コロナ禍の時点で、工事や設計とかも動いているので、映画館ができなくても支払わなきゃいけないお金がありますから。それどうやって捻出するのってなりますよね。もう動き出しちゃってるものに関しては、もうやるしかないという覚悟がありました。

それに、設立にあたって国の補助金をもらっているんですよ。このタイミングでやらないともう取れないなと思った。

井上:辞退すると、次取得しづらくなるからということですか。

菊池:いや、というよりも、そもそもそういった予算がなくなると思ったんです。国がコロナ対策に追われるようになったら、この補助金は次の年度なくなるのではないかと思いました。だから、逆に今がチャンスだなと思っていました。

井上:シネマネコは、2021年にオープンしてからもう3年目になりましたが、現状どうなっていますか。当初はこうやろうかと思ったけれど、これはできなかった。あるいは予想だにしない、良いところが出てきて今こうなっているなどあれば教えてください。

菊池:当時、シネマネコが出来上がる前から地域から反響がありました。 全然映画館になっていない状態から地域の方が見学をしにきていただいていました。結構みんな気にしてくれているんだな、と感じていたんですよね。映画館作ったら結構人来るかなっていう思っていました。

それがいざできると、意外とこないんですよ。これ飲食店もそうなんですけど、人通りのある場所にお店出しても意外と来ないことがあるんです。

だからあんまり僕は、立地などの条件に左右されない。ではどうするかっていうと、できてからそこに人を呼ぶ施策を考えるんですよね。

もちろん、補助金申請や、融資の申請のために事業計画書などを作りますが、実際は計画書の予定通りにいかないのが当たり前なんです。

独自の施策、差別化

井上:そういう状況の中で、具体的にどのような施策を行ってきましたか。

菊池:ファンを獲得することが重要なので、会員制度を作りました。「ネコ会員」という名前ですが、それをどれだけ生み出せるかということと、知ってもらうためのプロモーションですね。SNSもそうですし、併設されているカフェの充実とか。その他のミニシアターにない、シネマネコ独自の良さを打ち出すってことですね。


ミニシアターの経営がコロナ禍できついという話がありますが、あれはコロナがどうこうというよりも、元々ミニシアターの経営が難しいという状況が背後にあるんですよ。だから、結果としてコロナ禍が打撃を与えましたが、そもそもいつ倒れてもおかしくない状況だったんです。だから、ちゃんと収益化ができるビジネスモデルを考えなきゃいけないんですよ。

今、ネコ会員は1700人くらいいますが、これは結構すごい方だと思っています。以前、数十年前からミニシアターを経営されている方に、会員について聞いたことがあるのですが、700人くらいと言っていました。

井上:ネコ会員の数を着実に増やしていくための、秘訣や理由はありますか。

菊池:どうなんでしょう。お得感はありますよね。毎回1000円で見れて、5回見たら1回無料ですし。期限は1年ですが、会員の方は大体更新してくれています。 会員カードに、スタンプを押していくとわかるんですが、1ヶ月で10個とかためちゃう人がいるんです。

僕は、映画館のある日常を送ってもらいたいんですよ。今まで、映画を見ようと思うとちょっと遠出しないといけなかった。でも今ならシネマネコの周辺住民だったら、歩いてこれる。

地域社会と映画文化について

井上:ところで、私はこれまで2021年「カンパイ!日本酒に恋した女性たち」、2023年「眩暈 VERTIGO」、2024年「疱瘡譚」とシネマネコさんの協力のもと映画上映の企画を実施させていただきましたが、そもそもなぜ協力していただけるのでしょうか。

菊池:僕は、お客さんが持ち込んでくれた映画の上映会をやってみたいと思っているんです。一般的に、ミニシアターなどは館長が好みの映画を流している場合が多いんです。でも僕はそうではなくて、お客さんがみたいと思っている映画を選んでいます。

以前、僕はとあるミニシアターで開催されていたワークショップに参加したことがあるのですが、その時ある参加者が自作の映像作品をぜひ上映してほしいとそのシアターの方にお願いしていたのを見かけました。シアターの方は、受け取りもしないで「うちはそういうことをやらないから」と言って断ったんです。

もちろんビジネスですから、集客のことも考えなければならないので理解はできます。ですが、僕はまた別の考えを持っていて、例えば、お客さんの持ち込み企画を受け入れることで、これまでシネマネコに来たことのなかったお客さんと出会うことができるのではないかと思っています。

井上さんの持ち込み企画は視点がユニークなこともあり、おそらくシネマネコとあまり縁のなさそうなコアなお客さんを呼ぶことができると思っているんです。昨年の詩人・吉増剛造さんが出演されている「眩暈 VERTIGO」や先日まで上映していた暗黒舞踏の記録映画「疱瘡譚」などは特にそうですね。

井上:私も、絶対にシネマネコで上映しなさそうな映画を持ち込んでいるので、結構ドキドキしています(笑)

菊池:でもそれが楽しいじゃないですか。僕もそこで知らない人と出会える。それこそ吉増さんもそうですが、 色々なレジェンドの方に会える。しかも、生でお話が聞ける。

お客様にも、トークショーがすごく好評なんですよ。監督を呼んでのトークイベントとか、俳優さんを呼んでのトークイベントも結構やってきました。こういう、映画とトークを一緒に行う企画を一番最初にやらせてもらったのが「カンパイ!日本酒に恋した女たち」でした。やってみて、すごくいいなと思ったんです。

「カンパイ!日本酒に恋した女たち」上映後のシーン、右から菊池さん、井上。

井上:あの時、満員でしたもんね。

菊池:そうでしたね。ですから、こういう企画力がある方が持ち込みしてくれると、集客の面でも助かりますし、上映だけでなくトークイベントもセットで行うことで他の映画館と差別化することもできると考えています。

上映に限らず、これまで音楽ライブも何度かやってもらい、それも評判がいいですね。こういったものを定期的にやるのは、こちらとしてもありがたいですね。

井上:そうですね。青梅には外の音や光を遮ることのできるボックスがほとんどないんですよね。つまり、劇場空間として成立している場所がない。

しーん、として空間を作れるのはシネマネコしかないと言ってもいいので、地域にとって貴重な存在だと思います。

菊池:そうなんですよ。今日は市議会議員の方が来ているので、1つ言いたいことがあります。青梅市では年に数回「S&Dたまぐーセンター」無料上映会をやっていますよね。

シネマネコでやらせてもらえないでしょうか。うちを窓口にしてもらって、1日2回上映とか3回上映とかしてもらった方が、お客さんにとってもいい環境で映画を見ていただけると思うんです。実際に上映会に参加したことのある方から、感想を聞いたのですが、やはり観づらいそうなんです。

まず、フラットじゃないですか、そして椅子も2時間の上映に耐えられるような仕様になっていないんですよ。シネマネコの椅子は、2時間座っていても疲れません。

井上:本当に、環境は重要ですよね。確か最高級品の椅子を使っていますよね。

菊池:そうです。フランスのキネット社の椅子です。
できれば予算を組んでもらってね、一緒にやれたらと思いますね。

井上:観る環境は本当に重要ですよね。大きなスクリーンで映像を観ることだけが映画ではありません。

50人、100人の人たちと同じ空間で映画を観ることは、周囲の人たちが一体何を考えて、どういう気持ちで映画を観ているのか想像しながらスクリーンに向き合うということが映画鑑賞の醍醐味だと思っています。こうした鑑賞体験を生み出すためには、ちゃんとした場所が必要なんですよね。

菊池:そうですよね。だからもしうまくいくなら、シネマネコを基点として、町全体を巻き込んだ映画祭をやってみたいなと考えています。

井上:ぜひやっていただきたいです。ワクワクしますね。本日はありがとうございました!

菊池:ありがとうございました。

お知らせ

アトリエ利用者募集中!

現在、「THE ATELIER」の利用者を募集しています。2024年の8月1日以降から利用可能です。見学するだけでもとても嬉しいです!
随時募集を受け付けております。

必ず募集要項をお読みの上、ご応募ください。

トークイベント「なぜ青梅でアートなのか?」

今度の10月26日は、写真家の奥村さんと青梅とバリ島を行き来する生活について、自身のルーツであるフラメンコダンサーの写真や、現在のバリ島での写真撮影についてなどをお聞きします。

そして、11月9日には、代表の井上だけで登壇します。1年間、月に2回開催することを目指し、始まったトークイベントも早いところでもう半分にまで差し掛かりました。そこで、9日はこれまでの振り返りと中間報告も兼ねて、4月から本格稼働した合同会社ARTの地産地消の現在、そして未来について語る予定です。

イベント折り返しの一発目第14回目のゲストはフランスから青梅にやってきたレニオ・トリスタンをお招きし、Vtuberプロデューサーとしてのお仕事や、俳優としてのキャリアについて深掘りします。
THE ATELIERで開催しますので、見学も兼ねてぜひいらしてください!

ご応募はこちらから

■第12回ゲスト:奥村よしひろ氏
日付:2024年10月26日(土)

■第13回ゲスト:井上正行
日付:2024年11月9日(土)

■第14回ゲスト:レニオ・トリスタン氏
日付:2024年11月23日(土)

いずれも
時間:14:00開始 15:00終了予定
場所:THE ATLIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
定員:15名
参加費:1000円(資料代)当日お支払い
主催:合同会社ARTの地産地消

連絡先:lplc.of.art@gmail.com/0428-84-0678(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)

おわりに

イベントのご案内はもちろん、その他会社の詳しい内容は直接私たちにご連絡いただけると幸いです。
会社の拠点となりますTHE ATELIERには、同じフロア内に喫茶店を併設しております。基本的には定休日なしで営業しておりますので、お気軽にご来店いただき、お話出来たら嬉しいです。


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