少人数の承認


休みの日には予定があったりなかったり半々で今日は人と会う約束もないので昼頃に起きた。
なんだか昨日の会社の先輩とのやりとりを思い出す。

「週末のご予定は?」
「特にないです」
「まじで!俺そんな週ないよ、絶対誰かと遊ぶ予定が入ってる」
「割と家いるのも好きなので」
「そうなんだ、すごいね」

寂しい人間だと思われただろうか。話題もない奴だと。でも嘘をついたってしょうがない。
別に自分が友達が少ないとは思わない。
コミュニティとしては学校の友達くらいだから広範囲にいろんなグループがある訳じゃないし遊ぶのも同じ顔ぶれではあるけれど友達には恵まれたと思う。

あとはひとりでいるのも嫌いじゃない。
晴れた日は布団を干して洗濯をして掃除機をかける。すると生きてる、生活してるって思えて温い心持ちになる。

ただ今日は少し起きたのが遅かったからそれは明日に取っておくことにして、ひとり池袋をフラフラしてた。
OSHMAN’Sで目についたpatagoniaの紺色のキャップがあって、かぶってみたらいい感じだったから買っちゃった。普段帽子はしないんだけど。

最近はいいなと思ったものは躊躇なく買っちゃう傾向がある。
末っ子だからお下がりが多くて自分で選んだモノってあまりなかった。
服や机、ゲームとか文具とかも。
充分役割は果たせるしその引き継いだ感もそんなに嫌ではなかった。
でも成長してくると物理的に服は着れなくなったり人格が形成されてきてしまうので自分で欲しいものが出てきた。
いいなと思えるモノに巡り合えるのがまず幸せ。加えて下手に労働して小金を持っているせいですぐ買っちゃう。

自分がいいなと思えるのも大切なんだけどやっぱり誰かに認めてもらうのって嬉しくて、「いいね」って言ってもらうために靴を履くし服を選ぶし曲をきいてる。

更にここ数年で思うのはモノを手に入れる過程、その背景も大切にしたい。
別に機能が変わる訳じゃないにせよ心持ちが変わるからね。
例えば下北沢に初めて行った時古着屋で買ったハリーポッターみたいなニット。
ニットには変わりないけどこれだけでかなりいい。だって下北だよ?

でもこういう背景って側からみたらわからないんだよね。
だから自分でプレゼンしちゃう。
そのニットいいねって言ってくれたら「ありがとう。下北で買ったんだ」ってはにかむ。
この説明するシーンまで含めていい。二度美味しいどころじゃない。

どんなものにも必ずしもストーリーがあるはずで、それを認識していたいし、いいなって思っていたい。
それにこれからの日々が物語に足されていくからどんどん愛おしくなっていくはず。

今度白Tにこのキャップでみんなに会いに行こう。
それいいね!って言ってくれる友達が、ぼくにはいるから。

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