「重いコンダーラ」について今まで勘違いしていた件
タイトルを見て、「はいはい、あの整地ローラーのことを『コンダラ(コンダーラ)』だと思い込んでいたんでしょ?」と早合点された方へ…
その少し先のお話しになりますので、読み進めていただければ幸いです。
テレビアニメ『巨人の星』が放映されていたのが1968~71年のことらしいので、リアルタイムで視聴されていたのは私(59歳)の少し上の世代になりましょうか。
いわゆる「スポ根」モノですので、女性よりも男性限定になってしまうかもしれません。
「『巨人の星』のせいで、校庭にあったあのローラーのことを『コンダラ(or コンダーラ)』という名前だと思っているヤツが多いらしいヨ」というお話しは、有名な都市伝説の1つとして定着してしまいました。
「えっ?なんで『巨人の星』のせいで『コンダーラ』と呼ばれてるの?」
「テレビの『巨人の星』のオープニングの主題歌でさぁ、ちょうど『おもいこんだ~ら』という歌詞の時に飛雄馬が重そうなローラーを曳いてたからだよ!」
と、こんな話しをお聞きになった方は多いと思いますし、なんならご自身もそう思い込んでいらっしゃる。
かく言う私自身は、幼少の身ながらけっしてあのローラーのことを「コンダーラ」だとは思っていませんでしたが、「その歌詞の時に飛雄馬がローラーを曳いていた」という印象は明確に持っていたような気がします。
ような気がします…
そうなんです。
「気がする」だけで、実は「その歌詞の時に飛雄馬はローラーを曳いてなんかいない!」という事実を最近知りました。
論より証拠、
Youtubeから「巨人の星」のオープニングを確認してみましょう。
第1話も含めて長いので、冒頭の 00:24~00:35辺りだけ観てもらえればお分かりになるかと思います。
そう、「思いこんだら、しれんの道を(原文まま)」の部分は吹雪の中をランニングする父子の姿から真夜中の千本ノック。そして「行くが男のどこんじょう」で夕陽の中をうさぎ跳びする父子の姿が描かれており、件の「重いローラーを曳く」シーンはありません。
では、「『おもいこんだ~ら』という歌詞の時に飛雄馬が重そうなローラーを曳いていた!」という証言は嘘なのか?というと、左に非ず。なんと第12話「鬼の応援団長伴宙太」の巻でそのシーンが実在するのです。
それはオープニングでもエンディングでもなく、物語の途中で飛雄馬が父・一徹を想いながらローラーを曳くシーンで、件の「行け行け飛雄馬」が流れてくる。その一瞬が「重いコンダーラ」の原点でした。
では何故に、その1シーンだけから整地ローラーが「コンダラ」と化したのか?
それはどうやら、1980年前後の深夜ラジオ「MBSヤングタウン」が発端らしい!ということまでは判明しました。
あの伝説の、谷村新司とばんばひろふみの名コンビによるヤンタン金曜日、「重いコンダーラのコーナー」(後に「聞きこんだら」のコーナー)というのがあって、リスナーの歌詞聞き間違えの面白い投書ハガキを紹介していたらしいのです(因みにこの類の企画は、笑福亭鶴光の別番組を経てタモリの「空耳アワー」へと昇華していきます…)
というわけで、何が言いたいかと申しますと…
・「『巨人の星』のせいで整地ローラーのことが「コンダラ」という名前で広まったよね」
・「そうだね、ちょうど主題歌のその歌詞のところで、ローラー曳いてたもんね」
という伝言ゲームのような拡がり方が如何に危険か?ということに、今さらながら改めて気付かされたという次第であります。
なお、更に今回知ったことではありますが…
「ローラーを曳いた」と何度も書いてきましたが、あのローラー、正しくは「手動式整地用圧延機」と呼ぶらしいですが、けっして曳くものではなく、押して使うものだそうです。
曳いて使用すると、万一、勢いがついた折に後方から圧し潰される形となり非常に危険なんだとか…。でも、押していても勢いがついて制御できなくなった場合には、前方の人や物を圧し潰すリスクは同様に孕んでいるわけですが…
さて、ここで終わってもよいのですが、私にとって同様の事例が他にもありましたので、ご紹介しておきます。
いずれも、その時は「へぇ、そうなんや」と記憶していたものの、今になってその真相を知って驚いているという事例です。
●服部幸應氏 調理師免許持ってない案件
去る10/4に、料理評論家の服部幸應さんが亡くなりました。享年78歳。
1990年代にテレビ番組「料理の鉄人」で解説役として主宰・鹿賀丈史を支え、またご自身も服部学園(服部栄養専門学校等)を経営される料理界の重鎮でしたが、2019年の文化庁長官表彰、2020年の旭日小綬章の頃から、「服部氏は調理師免許を持っていない!」との報道がネットを賑わせ、「ハッタリの似非料理人」みたいな呼ばれ方をした時期もありました。
服部氏が調理師免許を持っていなかったのは事実であり、特段隠していたわけでもありませんし、私もそれを聞いて「へぇ、そうなんや」くらいの心持ちでした。
実は今回の同氏の逝去に際して知ったことなのですが、服部氏ご自身が調理師学校の団体である「全国調理師養成施設協会」の会長を務めており、調理師資格の試験問題を作成する側だったということでした。
試験制度を立ち上げ、その試験を運営する側だったからこそ、自身が試験を受ける立場ではなかったと、そういう事情です。
現在でも、調理師学校の校長は調理師免許を持っている必要はなく、相応の見識と経験があれば良いとのことでした。
そういう裏事情も知らずに、「服部幸應は免許も持たずに一流料理人を気取っている!」とさながらブラックジャックの如く揶揄していた一般庶民と、それを鵜呑みにしていた自分が恥ずかしいと感じます。
因みに…
服部氏は、先述の「料理の鉄人」等のテレビ出演の折に「黒いマオカラースーツ(立襟の背広)」をトレードマークとして着用されていました。
その契機としては、自身のセルフブランディングの一環として友人でVAN創業者・服飾評論家の石津謙介さん(2005年逝去)に相談した折に薦められたとのことで、料理人の白いコック服と対照的でもあり、その上品な佇まいは服部氏のイメージにピッタリだったと思います。
改めまして、謹んで合掌…
●「旧中山道」案件
元フジテレビの人気女子アナウンサー・有賀さつきさん(2018年逝去・享年53歳)がテレビ番組の中で、江戸時代の主要幹線道路だった「旧 中山道(きゅう なかせんどう)」のことを、「1日中 山道(いちにちじゅう・やまみち)」と読んだという事件。
当時、「女子アナ」ブームの真っ只中でもあり、高学歴でルックスのよい各局女子アナが持て囃されていたわけですが(有賀さんもフェリス女学院からフジテレビに入社した才色兼備)、それに対するヤッカミも含めて話題になってしまいました。
しかし、実はそれも単なる「知ったかぶり」であって真相はもう少し奥深い。
実際には、1990年代の上岡龍太郎さんの某番組で「ギョーカイ人のトチリ実話」というトークをしていた時に有賀アナが指名され、『旧中山道』と書かれたフリップを指差しながら、
「この『きゅうちゅうさんどう』をですね、某アナが『いちにちじゅう、やまみち』と読んだんですよ!」と得意気に…
すぐさま司会の上岡龍太郎の失笑を買い、
「『いちにちじゅうやまみち』と読んだバカがおる! これは『きゅうちゅうさんどう』と読まなイカン!ということやな!」
と有賀を庇いつつも笑いに変えたと…。
つまり、
・『旧中山道』を『いちにちじゅう、やまみち』と読んだのは有賀さつきではない
・それどころか、よりによって有賀さつきは『きゅうちゅうさんどう』と読んだ!
というのが真相なのですが、世間には
・有賀さつきが『いちにちじゅう、やまみち』と読んだ!
という風に広まり、今もそう伝わっているということ。
これには後日談があって、有賀さつきさん自身が2016年に出演した番組「有吉反省会」の中で、
「もう何度訂正してもどうせそう言われちゃうから、それは自分がしたってことにしました」と開き直っていたそうです。
これもまた、今回初めて知りました。
今回、採りあげました一見なんの関連もなさそうな3案件、
いずれも世間で話題になりながらも人づてにその真相が塗り替えられ、違ったストーリーで人口に膾炙していくお話しでした。
「悪貨は良貨を駆逐する」、
「言葉の誤用も、それが多数派になると正しい使い方として認められる」
そういったことも含めて、人間は「口コミ社会」でも「ネット社会」でも同じような営みを繰り返しているんだなぁと感じた次第であります。