「あの頃、確かに球場にいた」思い出(3)
こんばんは。台風の影響がまだまだ心配です。くれぐれもご安全にお過ごしください。
本日も、皆様から寄せられた「あの頃」の思い出をご紹介いたします。
スワローズの私設応援団長、岡田正泰氏が「架空の人物」と思っていた、という方は意外に多い印象があります。私自身、あんな人が実在したのか、たまに半信半疑になるぐらいですし…。笑
お送りいただいた通り、「がんばれ!! タブチくん!!」へも登場し(なんと映画版にも!)、テレビアニメにもなった「おじゃまんが山田くん」にも「オカダ教授」として登場しています。
そして、ホージー選手も懐かしい助っ人外国人の一人ですね。ヘルメットにプリクラを貼りまくっていて珍プレー特集の常連でした。日本シリーズでのグリップエンド秘打も印象深いですね。1997年にホームラン王を獲得する活躍を見せたものの、翌98年は不振でその年限りで解雇。それでも、未だに自宅には当時の写真などを飾っているようで、いちプロ野球ファンとして、とても嬉しくなります。
これは凄い!日本球界のスーパーレジェンドたちが現役バリバリで活躍していた頃のエピソードですね。おそらくですが、昭和50(1975)年5月5日の巨人対中日戦@後楽園球場だと思われます(5/15のジャイアンツは敗戦)。「長嶋さんのゲームメイクの下手さを現した内容」という辛辣な表現に笑ってしまいました。
当時に思いを馳せれば、同点の九回裏、ランナーを背負って対するは、ジャイアンツ、いや、世界の四番、王貞治…。時間制限があったという当時のルールを踏まえて、中日の最善手は間違いなく敬遠だと思いますし、実際にサインも出ていたのでしょう。
しかしそのサインを無視した男・星野仙一。かっこいいですねえ。球団は違いますが、「男が大地の華と咲く 野球はドラマだ人生だ」を地で行った、今は亡き闘将に心から敬意を表します。
当法人は、「昭和~平成中期頃」のプロ野球私設応援団、ひいては当時の球場の雰囲気の足跡を後世に伝えるために活動しておりますので、こんなについ最近のエピソードをお送りいただけるとは思ってもいませんでした。だからこそ、とても嬉しく思います。いつの時代も誰かの「あの頃」なんですね。
応援している選手の引退や戦力外通告は、胸にこみあげるものがありますね。それこそ、先の投稿をいただいた方であれば長嶋茂雄さんや王貞治さんの引退は印象的だったでしょうし、ましてや2017年はスワローズが歴史的に敗戦を重ねた年でしたから、その思いもひとしおだったと思います。
神宮球場の大きな特徴として、選手とファンがクラブハウス⇔球場間で直接触れ合えるという点が挙げられます。特にここ最近のフランチャイズ球場ではちょっとあり得ないような身近さ、親近感が神宮球場の大きな魅力ともいえるかもしれません。そんな間近でご覧になったお三方も、現在はそれぞれの道でご活躍のようです。徳山投手は球団職員として、今浪選手はYouTubeで、真中監督は言うに及ばず、ですね。笑
ぜひ、ご自身に無理のない範囲で、引き続きプロ野球を楽しんでいただければと思います。
引き続き皆様の「あの頃の思い出」を募集しています。スワローズに限らず、12球団にまつわる思い出をぜひお寄せください。
今回ご紹介しきれなかった思い出も、近日中に掲載したいと思いますので、ぜひ気長にお待ちください。
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